8話 アンデッドドラゴン
ドラゴンは、鱗も筋肉も骨もそれぞれが鋼に匹敵する強度を持っている。どれかひとつを貫くだけでも、並のソードマンには出来る芸当ではない。
メガンが爪の一撃を大盾で受け止めると、横からクロが前脚を切断してみせる。
クロが噛まれるのも厭わず竜の喉の奥に蛮刀を突き立てると、メガンが脳天にグラディウスを突き立てる。
しかし、どれだけ致命の攻撃を加えても斬りつける端から回復してしまい、前衛の疲労とダメージが溜まるのみだ。
「イサク!キリがねえぞ!自動で傷を修復する術なんかあるのか?」
「あるにはあるが、こんなスピードはあり得ない!どこかから回復術をかけているはずだ!」
「ヴォドンの姿が見えないぞ!どこかに隠れているのか?」
「さっきから探しているが見つからない!竜を目視できる範囲にいるはずなんだ」
「見つけろ!このままじゃジリ貧だ!」
アンデッドドラゴンが首をもたげ、胸を膨らませる。ファイヤブレスの前兆だ。クロを襲う炎を、メガンが再度水の精霊を帯びた大盾で守る。
先ほどより長く吹きかけ、大量の水蒸気が立ち込める。
「グ、グウゥ……!」
クロとメガンが痛みに呻きをあげる。直接炎を浴びなくても、高熱の水蒸気で蒸し焼きにされているのと同じ状況だ。皮膚も肺も熱傷を負ったのだろう。2人の動きがガクンと落ちる。
「水蒸気……そうだ!イサクさん、私が引きつけるから2人に治療術を!」
リリが地の精霊の石礫をぶつける。
「わ、分かった!リリちゃん気をつけて!」
イサクが竜の視界から外れるように駆け出す。
イサクに限らず、多くのヴォドンの戦闘能力は皆無と言っていい。戦場では最も慎重な立ち回りが要求されるのだ。
石礫の攻撃を受けたアンデッドドラゴンが、リリに向かう。
『リリ、どうするの!ボクの水じゃ爪や牙は防げないよ!』
『ファイヤブレスを吐かせたいの、トプラ、なんとか粘ってくれる?』
『厳しいのう……』
竜がリリに向かって前脚の爪を振り下ろす。地の底から響くような地の精霊語の詠唱。リリの目の前に、地面から岩盤が立ち上がり爪の一撃を防ぐ。
しかし竜の一撃は岩盤を破壊し、破片とともにリリは吹き飛ばされる。
額から血を流し痣だらけになりながらも、立ち上がるリリ。
「だいじょうぶ!」
リリを噛み砕かんと顎を開く竜。
高い声で水の精霊語を詠う。高圧水流を細い線に打ち出し、竜の喉を貫く。
精霊術は、物質を生成し動かすだけでも凄まじい集中力を要する。
一点に力を集中させ高圧で狙ったところに打ち出すのは、尋常ならざる技である。
爪と牙を防がれた竜が業を煮やしたように胸郭を膨らませ、肋骨の隙間から炎が溢れる。
『来る!スー、トプラ、お願い!』
モンゴルのホーミーを応用した倍音発声で低音の地の精霊語、高音の水の精霊語を同時に詠う。しかも、ファイヤブレスを吐かれる前に、2つの術法を複雑に組み合わせなければいけない。きわめて高い精神統一が必要だ。そして、失敗すれば死ぬ。
しかしリリは落ち着いていた。(オーディションの歌い出しって、いつもこんな気持ちだったな)と懐かしさすら覚えていた。
リリの精霊術は竜の眼前に、“中に水を閉じ込めた岩塊”を形成した。ファイヤブレスが岩塊を直撃し、高熱が内部の水を一瞬で水蒸気に変える。
密閉された空間で気化によって体積が1700倍に膨張した水蒸気は、周囲の岩盤を吹き飛ばしながら大爆発を起こした。水蒸気爆発である。
竜の眼前で起こった爆発は、頭部と首と前脚までを全て吹き飛ばした。
……そして、弾け飛んだ岩盤の一片が、リリの細い体の左脇腹を抉り取っていった。
リリは薄れゆく意識のなかで、竜に回復術をかけるヴォドンの声、ファイヤブレスの中で不貞腐れる火の精霊の声を聞いた。
リリは、死にゆく身体が見せた夢の中で、火の精霊と会っていた。
『まったく碌でもないよ!』
『どうしたの?』
『竜は好きだよ、人間より強くて賢いし。でもアイツ死んでるじゃん、苦しそうだし。そんなヤツに力を貸すのはゴメンだね』
『あの子もやっぱり苦しんでるんだね……』
『もう死んでるのに、横にいる人間が何回も生き返らせてさ。気の毒で見てられないよ』
『あの子を楽にしてあげたいの。力を貸してくれる?』
『イヤだね!オレ達が力を貸すのは竜みたいに美しくて賢くて強い奴らだけさ。だいいち、オレと一緒に歌える人間なんか見たことないね』
『どんな歌?』
『オマエは人間の中では美しいから、特別に一回だけ聴かせてやるよ!』
火の精霊の歌の一節をリリが完璧にトレースしてみせると、精霊の炎が大きく揺らめいた。
『ホントかよ!
……オレの名はアテスだ。もう少し話してやってもいいぜ』
『うふふ、火の精霊アテス、素敵な名ね。私はリリ、よろしくね』
再生が終わったアンデッドドラゴンの猛攻を、クロとメガンが必死に凌いでいる。
「イサク、リリの治療を!早く!」
イサクの目の前で血まみれで横たわるリリは、すでに自発呼吸が止まり、弱々しく心臓が動いているのみだ。精霊たちが慌てた様子で周りを飛び回っているのが、イサクの目にも見えた。
イサクは逡巡していた。
リリ殺害を命じた黒いフードの男。王都の手の者だろうか?このまま放っておけば、リリは3分と経たずに死ぬ。僕は任務から解放され、大金を得る。
これだけの怪我なら、すでに息絶えていたと言ってもクロもメガンも納得するだろう。不本意だが仕方ない。
“不本意だが仕方ない”だって?どこかで聞いた言葉だ。……そうだメーヴェルリム戦役だ。僕がそう呟きながら、何度も剣豪ギバールの魂を呼び戻したんだ。怨嗟の声に耳を塞ぎながら。
『魂の求めるままに』
リリの声が頭の中に響いてきた。そうだ、僕の魂はここで金と命を得てどこへ向かおうと言うんだ?
メーヴェルリムの死者の魂と同じく、どこへも行けず彷徨うだけじゃないのか?
僕がプレゼントした赤い外套を身に着けて一回転してみせるリリ。
美しい精霊語を詠唱して勇敢に竜と戦うリリ。
風が吹き荒れる山頂で僕のベルトに命綱を結んでくれたリリ。
そうだ、今度こそ僕は魂の求めるままに行動する。リリの清らかで美しい魂を、絶対に消させはしない!
イサクが、リリの抉れた左脇腹に手を当て、幽世の言葉である真言を唱える。見る間に脇腹の骨肉が再生し、リリの顔に血色が戻る。
気管に溜まった血を咳き込んで吐き出しながら、目を覚ましたリリが弱々しく話す。
「ありがとうイサクさん、今のお経綺麗な唄みたいだったね」
「リリ、すまない」
「どうして?」
イサクの目からこぼれる涙を、リリが優しく拭った。
イサクが回復術をかけている間も、クロとメガンはアンデッドドラゴンと絶望的な戦いを続けていた。
深いダメージが回復しきっていないメガンが、竜の長い尾に捕らわれメリメリと締め付けられる。
すかさずクロが尾を切断するが、後ろ脚の一撃でチェーンメイルが引き裂かれ深い裂傷を負う。
その時リリの驚異的な聴力は、竜の尾に回復術をかける術者の真言を聞き取きとり、正確にその発生源を特定した。
「クロ!ヴォドンは竜の右翼の横2.5mの宙空にいる!姿が見えないけど確かにいる!」
胸を裂かれ倒れているクロがマスケット銃を抜く。一分の迷いもなく言われた地点に向かい、たった一発込められた弾を撃つ。
宙空に、長いローブを羽織った初老のヴォドンの姿が浮かび上がる。撃たれた胸を押さえ“信じられない”といった表情で地面に落下していく。
回復術を失った竜は、今までの痛みを全て一度に受けたように半狂乱となった。肉体を崩壊させ、腹のあちこちから油脂を吹きこぼれさせながら、特大のファイヤブレスをリリに向かって吐きかける。
リリは迫りくる灼熱の炎を前に、竜と火の精霊の慟哭の声を聞き、憐れみの表情さえ浮かべた。
リリが現世と幽世の間で火の精霊アテスから聞いた歌。それはオペラのソプラノでも世界で数十人しか出せない超高音、第6オクターブのファ(ハイF)を含む歌だった。
『強く賢く可哀想な竜、幽世でどうか安らかに』
リリが慈愛に満ちた超高音で、火の精霊の歌を詠う。ファイヤブレスは全て竜のほうへ戻っていき、崩れつつある身体を焼き尽くした。
炎から、赤い光がリリの方に伸びる。リリの周りの緑の光と青い光とともに侍るように飛ぶのを、クロとメガンとイサクは呆然と眺めている。
『私の新しい友達、火の精霊アテスよ。スー、トプラ、仲良くしてね』




