5話 ヴォドンのイサク
翌朝、ベッドの上でリリが悶えている。
「うう頭痛い……わたし病気になっちゃったのかな……」
「ただの二日酔いだよ。ほら水飲め」
そう言ってクロが水を差し出す。
「まったく……せっかくの報酬を大盤振舞いしちまって。まあでも顔と名前は売れたかな。バウンサーは横のつながりが大事だからな」
なんとか起き上がり、水を飲んで身だしなみを整えるリリの横で、スーとトプラがぶつぶつと文句を言っている。
『リリお酒臭いぞ!』
『それに肌も荒れとるな、まったくけしからん』
『うるさいわね!お酒って知らなくて酔いつぶれて寝ちゃったんだから仕方ないでしょ!』
精霊たちと言い合いをしながら髪を梳かしているリリを見て、クロが口を挟む。
「ははは、精霊たちが怒っているか?リリ。精霊たちは美を尊ぶそうだからな。そこにアラスエ草の化粧水があるだろ、使いな」
「これって私たちが取ってきたやつ?」
「ああ、この宿はバウンサーがよく使うからな。薬師ギルドのやつが試供品で置いてるのさ。俺たちが素材を仕入れて、それで職人が商売して。持ちつ持たれつだな」
リリが化粧水を顔につけると、青々しい爽やかな香りが漂う。
「あ、これすごく香りがいいね!」
『ねえ、精霊たちが美しいって思うのってどんなの?』
『難しいことは分かんないけど、スーはリリのこと好きだよ!』
『調和じゃな……元々持つ魂の美しさと、整えられた形の美しさとの』
『難しいなあ。とにかく明るく健やかにってことかな』
ギルドの酒場で、朝は簡単な朝食を出している。リリとクロが朝食を取っていると、1人のヴォドンが近づいてくる。涼やかな目元の、痩身の若い男性だ。
「やあリリちゃん、昨晩はエールをごちそうさま。僕はヴォドンのイサクだ。よろしくね」
そう言ってリリの手を取り、甲に軽く口づけする。
『リリ、ろくでなしだぞ。気をつけろ』
リリより先に、スーが警戒している。
「クロ、昨日の話なんだがどうかな?」
「ああ、考えたんだがリリにはまだ危険過ぎるからな。今回は手を引かせてもらう」
「何の話?」
「昨日イサクが持ちかけてきた仕事の件だ。アンデッドドラゴンの討伐なんだが、まだリリには危険過ぎる。断るつもりだ」
「ドラゴンって、空をとんで火を吹くドラゴン?」
「今度のヤツは空は飛ばないね。火は吹くらしいけど」
と、イサクが横から説明する。
「え!絶対見たい!」
「リリ、遊びじゃないんだ。危険過ぎる」
「クロ、私の精霊術は見たでしょ?足手まといにはならないよ。それに、クロのほうが先輩だけど対等のパートナーなんだから、私の意見を聞いてくれてもいいでしょ?」
リリの物言いにたじろいだクロに、イサクが追い打ちする。
「クロ、リリちゃんもこう言ってるし、多少の怪我は僕が直しちゃうから問題ないと思うよ。前衛ももう1人腕利きを段取りしてる」
「……仕方ないな。イサク、乗るよ」
「クロありがとう!」
リリに抱きつかれながら(次からも勿体つけるのもアリだな……)とクロは考えていた。
「よし!じゃあ明日朝出発だ!4〜5日の旅になるだろうから準備を整えておいてくれ」
そう言って立ち去るイサクが誰かと目配せしているのを、リリの足元でトプラだけが気づいていた。
翌朝、王都の北門でリリは少し大きな、クロは巨大なバックパックを背負ってイサクと待ち合わせる。
「お待たせ!目指すは北の城塞都市ゲルメクだ。そこで、もう1人ソードマンと合流する予定にしてるよ」
「了解、信用できるやつだろうな?」
「ゲルメクのギルド所属だからこっちじゃ名は知れてないけど、実力は折り紙付きだよ」
道すがら、リリがイサクに尋ねる。
「イサクさん、私ヴォドンの術よく分かってないんですけど、傷を治す術なんですか?」
「僕が得意とするのは治療術だけど、ヴォドンは基本的に人や動物の魂に関わる術だ。
治療術は、僕が関わってきた魂に手伝ってもらって回復を促進させる術で、ヴォドンの典型だね。
身近なところでは、死んだ者の魂を正しく幽世に送るのもヴォドンの仕事……簡単に言えば葬式だ。
いずれにしても、多くの魂と関わるほど、そして自己の魂を内観すればするほどヴォドンの術は深く強くなる。
どれも膨大な経験と時間を要する。僕がこの年齢でここまでの術を使いこなすのは、天才たる由縁だね!」
『自分の魂を深く内観しとるのに、この軽さか……』
リリの気持ちをトプラが代弁する。
「アンデッドドラゴンは自然に生まれるものなんですか?それともヴォドン?」
「いい質問だね。人間は賢いぶん込み入った魂を有しているから、死に方によってはゾンビや悪霊になってしまうこともある。
だがドラゴンや動物はそんなことはほぼ無い。ヴォドンの禁術で作り出されたとみて間違いない。
ヴォドンの術は、自己と他者の魂を正しい方向に導くのが目的だ。死体を弄ぶなんてのは……外道も外道だよ」
涼やかなイサクの目元に、怒りと苦渋が浮かんだのをリリは見てとった。イサクもそれに気づいたのだろう、慌てていつもの調子に戻り話題を変える。
「ところでリリちゃん、着るものはそれだけかい?ゲルメクはここよりだいぶ冷えるからね、途中の街で何か羽織るものを買おう。プレゼントするよ」
「わっ、ありがとうイサクさん!」
『気をつけろリリ、調子がいいキザ野郎だぞ』
『心配しないでスー、やっぱり悪い人の声じゃないわ』
その日の夕方、一行はタウロン王弟が領主を務める街、エギムに到着した。
「明日は山越えだから、約束していたリリちゃんの外套を仕入れてくるよ。先に宿に向かっておいてくれ」
イサクはそう言って宿のメモを渡し、市場に消えていく。
「よしリリ、先に荷物を下ろして飯を食べに行こう」
「うん!」
イサクのメモに従い宿に向かう2人は、細い路地に入り込んでしまう。
「なんだかずいぶん入り組んだところにある宿だね……」
「まあだいたいバウンサーが泊まる宿なんてのは1等地にはないんだが、道を間違えたかな……リリ、お前も見てくれるか?」
「……わたし、字読めないよ」
「そうだった。
……おっと、俺達に用事みたいだな」
いつの間にか、短剣を構えた覆面の5人に前後を挟まれている。
「クソ狭すぎる。リリ、守りきれんかもしれない!」
「え?守る必要なんかないよ」
そう言うとリリは、地の底から響くような声で精霊語を詠う。地の精霊トプラを使役する詠唱だ。
ジリジリと距離を詰めている5人の背後の石畳の一片が外れ宙に浮かぶ。詠唱の最後、力強い一節とともに猛スピードでそれぞれの後頭部に激突した。
クロがすかさず手近の2人に追い打ちの前蹴りを食らわせる。壁まで吹っ飛んだ仲間を見て、残りは慌てて逃げ失せる。
「おい、物盗りか?誰かに頼まれたか?」
クロが1人の胸ぐらを掴み引き起こすと、迷いもなく自分の喉をナイフで突いた。リリが思わず目を背ける。
返り血を浴びたクロが、死体となりつつあるそれを悔しげにそっと下ろす。
「リリ、行くぞ」
クロがリリの肩を抱き、足早に立ち去る。
リリのための赤い外套を携えたイサクの前に、黒いマントとフードを被った男が現れた。
「イサク、ご苦労。ここまでの報酬だ」
「……どうも」
イサクが金貨の入った小袋を受け取る。
「だが我々が放った刺客は返り討ちにあった。追加の報酬を払おう。ドラゴンに焼かせるなり、崖から突き落とすなり、手段は問わん。お前がリリを殺せ」
「僕が請け負ったのはこの街にあの娘を連れてくる事だけだ。刺客を放つなんか聞いていないぞ」
「もう断れる段階じゃないのは、お前が一番わかっているだろ?イサク」
イサクの肩をひとつ叩き、フードの男が立ち去る。イサクは赤い外套を握り、立ち尽くすばかりだった。




