32話 オーラム
上半身が砕け散っても即座に再生し、詠唱無しで致命のアニマを連発するオーラム。
クロは火のアニマの爆発をまともに受け一瞬気を失ったその刹那、自分の背後に悪魔の姿を見た。横たわったまま叫ぶ。
「イシェル!」
クロの呼びかけに応じ現れた黒い悪魔の姿に、オーラムが一瞬身を固くする。
「俺の命と引き換えだ!オーラムの不死の力を引っ剥がせ!」
「バカ!やめてクロ!」
しかし、待っていたのはイシェルの無情の宣告だった。
「それは出来ねえ。オーラムの不死の力は悪魔との契約による対価だ。俺たち悪魔は、別の契約を打ち消したり介入することは出来ねえんだ」
クロの文字通り命を賭した決意は、役場の窓口の事務的な対応の如くけんもほろろにはねつけられてしまった。
あまりのことに反論することもできず口をパクパクさせているクロと対照的に、オーラムは腹を抱えて笑っている。
「アーッハッハッハ……これは愉快だ……
英雄になりそびれたな、リザードマン。リリと一緒に殺してやるから、幽世でせいぜい詫びることだな」
恐怖を煽るようにリリとクロの前に巨大な火球を形成しはじめた時、切り裂かれて倒れていたイサクが声を上げた。
「カデン!」
コウモリの翼で裸身を覆った女性形の悪魔が現れ、オーラムが目を見張る。
「お前たち、まだ悪魔を連れていたのか……!」
「僕の寿命を10分残して全部やる。オーラムの不死のヴォドンを解呪する力を僕にくれ」
「オーラムのヴォドンを解呪できる約束はできない。イサクの寿命を霊力に変換する。それでいい?」
「じゅうぶんだ、やってくれ」
「やめろ!」
イサクが言い終わらないうちに、オーラムが火球の矛先をイサクに変えて撃ち出す。しかし巨大な火球はイサクの手のひらほどの防御障壁で、熱気の1片すら残さず消え失せた。
メーヴェルリムでの鎮魂と瞑想、そしてソレイリアとの魂の交流で、イサクの霊力はかつてないほどに高まっている。そこに加えて、悪魔取引により寿命を霊力に変換したイサクは、歴史上どのヴォドンも到達し得なかった高みに立っている。
イサクには、オーラムの体は毛玉のような魂や霊力の糸くずに覆われているように見えた。
「おお……なんておぞましくて歪なヴォドンだ。でも今は全部見える、おそろしいほどに……」
今のイサクには絡みあったそれをスルスルと解きほぐしていくことができた。
「や、やめろ!やめてくれ!」
上半身裸体のオーラムがまるで寒がっているように両肩を抱え、目に見えないなにかを剥がされていく。
力を込めていたイサクが膝をついた瞬間、オーラムの横にクロがにじり寄っていた。蛮刀を腹に突き立て、手首を捻り傷を拡げる。
オーラムが慌てて地のアニマで石礫を食らわせ引き離すが、クロはニヤリと笑っている。
「威力も精度もさっきとは雲泥の差だな、オーラム。しっかり集中しろよ。
リリ!さっきの吹雪をもう一発だ!今なら倒せる!」
リリが甲高い高音の水のアニマと、チェストボイスの風のアニマを同時発声し、氷の竜巻を生成する。オーラムも炎の竜巻を作り打ち消さんとするが、徐々に押され体が凍りつく。
「私が!わたしがこんなところで……!」
左半身が凍りついた頃、オーラムは火のアニマで自らに火を放ち氷を溶かそうとする。金色の長髪が燃え尽きて頭皮が露出し、端正な顔が焼け焦げて悪臭が立ち込める。
「ザマン!ザマン!妻と子を持っていけ!この氷を打ち消して……」
「君の妻子は君にとって既にかけがえのないものとは言えない。その取引は応じられない」
「アァ〜!クソ悪魔め!この右手を……」
言いかけた瞬間に、クロが右腕を噛みちぎり床に吐き捨てた。
「不味い腕だぜ」
「……契約に使うものが無くなってしまったな。もう一度最初から頼む」
オーラムは腕を千切られた痛みと自ら放った炎で、もう半狂乱になっている。
「あぁ~あぁ~、もう命でもなんでも好きに……しろ……リリを殺せぇ〜」
「それなのだがオーラム、私とリリが交わした契約でリリの命は代償に支払われていてな。それが別の契約による転移で有耶無耶になってしまい……私も初めての事例なのだが。ちょうどイシェルもカデンも居るなら、相談に乗ってくれるか?リリの転移はイシェルの契約だろう?」
もがき苦しむオーラムの横で禍々しい悪魔3体が額を寄せ合って相談する情景は、あまりに非現実的で残酷だった。
「オーラム待たせたな。今回のリリ殺害はやはり保留させてもらうので、よかったら他の願いを……おや、もう死んでしまったかな?」
すでにオーラムは地面に突っ伏して浅い息をしているばかりだ。ぶつぶつとうわ言のように何かを呟いている。
「リリちゃん、手を緩めちゃ駄目だ!オーラムはまだ生きている!完全に凍らせるんだ!」
イサクが叫ぶが、オーラムの言葉を聞き取ったザマンが地獄の業火の如く高笑いをあげる。
「それが君の願いか、オーラム!
いいだろう!君の命と幽世での安寧と引き換えに、その願い叶えてやろう!
このタウロン王国のあまねく大地、地は割れ水は枯れ風は止み陽の光はささず、作物が実らぬ人が住めぬ、不毛の大地としよう!」
「そんな!」
砦の広間に居るリリたちにも、にわかに暗くなったことが分かった。塔を上がり見張り台から外の様子を窺う。
空にはぶ厚い雲がかかり、夜かと見紛うほどに暗くなっている。砦の周りの常緑樹の森も葉が枯れ落ち、枯れ葉が山と積もっている。タウロン連邦軍が戦っている渓谷でも、地割れが起き飲み込まれている兵士の姿が見える。
リリの横でイサクが真言を唱えはじめる。
「まだ魔物と戦っている兵士もいる。僕の人生の最後の5分は彼らのために使うよ」
イサクの極限のヴォドンで、見渡す限りの兵士の体が防御障壁で包まれていく。リリはイサクの胸に顔を埋め、ただ静かに涙を流した。イサクは淡々と真言を唱えながらリリの髪を撫で、顔の傷を癒した。そして、クロと視線を交わして小さく頷きあった。
そして、その時が来た。イサクはカデンに導かれ闇の中を歩いていた。カデンの翼が薄暗く光を放っていて、足元を照らしていた。イサクがその光を辿っていると、見知った足が現れて顔を上げた。
ソレイリアが呆れたような怒ったような嬉しいような顔をして立っていた。焚き火の側で寄り添って寝たあの晩と同じだな、とイサクは思った。
「来るの早すぎない?どうせ人のために使っちゃったんでしょ」
「うん、君と一緒だよ」
「バカ……」
抱き合う2人にカデンが声をかける。
「じゃあね。アンタたち2人の渇望、最高に美味かったよ」
カデンが飛び去ると辺りは闇に包まれ、2人の姿は見えなくなった。
砦の尖塔で眠るように崩れ落ちたイサクを、クロが後ろから支えゆっくり横に寝かせる。すがりついていたリリが涙を拭いて立ち上がり、オーラムの呪いを受けた世界と向き合う。
(精霊たちが飛び交うこの世界。そしてクロと、メガンさんと、キリクとハタルと骸骨の剣士さんと、そしてイサクさんと出会って旅をしたこの世界。元の美しい世界に戻したい、皆、力を貸して)
リリはタウロンの大地に向かって詠いはじめる。
『トプラ、お願い』
低い声の地のアニマ。割れた大地が閉じ埋まり、木々が力を取り戻しはじめる。
『スー、いい子ね』
高音の澄んだ声の水のアニマ。枯れた川と湖に再び水が溢れ、雨が降り乾いた大地を潤す。
『ルズヤ、アテス!』
地平線まで届くチェストボイスが、渓谷の兵士達にも届く。風のアニマが陽光を遮る厚い雲を吹き飛ばし、再び生い茂った緑を揺らす。
最後にリリは、ハイFの超ソプラノで火のアニマを詠う。火のアニマは蘇った太陽の輝きを強め、タウロンのあまねく生命に活力を与えた。
雨上がりの空を陽光が照らし、大きな虹がかかった。リリは虹に乗せて地水火風のアニマを繰り返し詠う。
タウロン中の精霊がリリの歌とともに飛び回って大地と空気を癒し、最後に笑顔のリリの周りを一周し、虹をなぞってそれぞれの場所に帰っていった。
詠い終わり、リリはほぅっと一息ついてクロに向きなおる。
「救国の英雄……本当に世界を救っちまったな。リリ、お前はすごいやつだよ」
「クロ、あなたに出会えてよかった」
2人は美しさを取り戻したこの世界で、静かに抱擁した。




