31話 バダイ渓谷の戦い3
駆け抜けるリリに襲いかかる女にクロがマスケットを放ち、ほぼ同時にキリクの突きが肩を掠め足止めする。
その隙に上層に進むリリたちを見送りながら、キリクは切られた自分の胸、縦に割られたハタルの頭、そして相手の腕を見比べて逡巡する。王都で相対した蜘蛛女の眷属ということは、虫か動物とを混じり合わせた亜人種なのだろうが、今返り血を舐めている腕は普通の人間のそれだ。
武器を持っていたり仕込んでいる様子は無さそうだ。先ほどのすれ違いざま、奇妙に変形した腕で切りつけられたように思えた。一度様子を見てみることにする。
「シャアァッ!」
レイピアで突きを放つと見せフェイントでバックステップし、カウンターを合わせてきた相手の右腕の攻撃を受け止める。キリクの首筋に迫る右腕は、肩から先が巨大な蟷螂の斧となっていた。
「カマキリ女か……しかも瞬時に変形できる……!」
姿からは想像できない膂力に耐えながら唸るキリクに、複眼の目を見開いて女が応える。
「その答えじゃ20点だね」
レイピアに鍔迫りする蟷螂の斧が、蠍のような鋏脚に変化しねじ伏せていく。そして左腕も鋏脚に変化し、レイピアを握る手首を切断せんとする。
とっさにレイピアを放して逃れ、素早く背後を取るキリク。腰の短刀を抜き急所を狙うが、蠍の毒尾に変化した左脚の後ろ蹴りを腕に受けてしまう。
「ぐぅっ!」
距離を取り、傷口に短刀を突き立て毒抜きするキリク。女は奪い取ったレイピアをキリクと逆方向に投げ捨てる。
「蟷螂に蠍……?虫女か……!」
「フフフ、お前が死ぬまでに何種類出させてくれるんだい?」
「キリク兄ちゃん!」
短刀1本となったキリクに迫る虫女の背後から、回復したハタルが投げナイフを放つ。やすやすと鋏脚で掴むと投げ返し、キリクの肩口に刺さる。
「クソッ!」
キリクが短刀で決死の突進を試みたかに見えたが、すれ違いざま上衣をぶつけると横をすり抜け、ハタルを抱えて窓から納屋の中に逃げこむ。
予想外の逃走に一瞬あっけにとられた虫女も、すぐに兄妹を追い納屋の戸を開ける。この戦いから逃走するつもりなら、砦の外に出るか上層へ上がり仲間に助けを求めるはずだ。キリクとハタルは、まだ戦う気で納屋に飛びこんだのだ。虫女もそれを察知し、回復と準備の時間を与えぬようすぐに追った。
虫女が入るとすぐに、キリクが次々と穀物の麻袋を投げつけてくる。手近の袋が無くなると納屋にあった薪割り用の斧で斬りかかるが、手負いの、しかも慣れない重たい斧での攻撃は全く脅威にならない。
やすやすと躱し、肘からゴミムシ由来の毒性高温蒸気をキリクの顔面に吹きかける。熱傷と毒で身動きが取れなくなったキリクの腹に、ハチの毒針に変化させた腕を突き立てる。
「グッ…ハァ……」
キリクは口から血を吐きながらも、とっさに体を押し付けて針を貫通させた。針先から毒を注入されるのを防ぐためだ。
キリクは毒で目が効かない。女の髪を掴み位置を把握すると、首に短刀を突き立てる。
「ギャアッ!」
悲鳴を上げキリクを押しのけた虫女は、納屋の中に炎が上がり煙が立ち込めているのに気づく。逃げ込んですぐ、キリクが火を放ったのだ。
虫女は毒と刺傷で動けないキリクにとどめをささんとするが、自身も首に深手を負い、なによりも体に流れる虫の本能が炎と煙を抗い難く拒絶していた。
「そこで焼け死ね、野良猫」
キリクに呪詛を吐き外へ逃れようとするが、扉はキリクが投げつけた重い穀物袋で塞がっている。舌打ちし、窓から飛び出す。
炎による根源的な恐怖から逃れ、安心して冷たい新鮮な空気を吸い込んだところで、自分の肉がズブズブと割かれる嫌な感覚が走り息が詰まる。息を吸うことも吐くこともできない。
痛みが走る自身の右肩に目をやると、首筋から下向きに深々と剣が刺さっている。肺も心臓も、他の臓器も貫いている、これは助からない、と女は考えた。肩の上で、もう一匹いた小さい方の猫が泣きそうな顔で剣を握っている。
(私を刺しておいて、何を泣きそうな顔をしてるんだ)
と猛烈に怒りが湧いてきたところで、虫女の不幸な一生は終わりを迎え崩れ落ちた。
全てはキリクの指示だった。キリクは、女がすぐ追跡して納屋に入ってくることも予想していた。納屋に入ってくると同時にハタルを再び外に出し、レイピアを拾って屋根の上で待ち伏せるよう指示したのだ。
穀物袋を投げたのは脱出経路を窓のみに限定するため。最初から斧と短刀で勝つ気はなかった。ハタルが屋根の上に登り、火が回るまでの時間稼ぎができればよかった。相打ちで深手を与えられたのは僥倖だった。
目論見通り女を窓から退避させられても、体も小さく剣にも長けていないハタルが一撃で仕留めるには、飛び降りざまの体重を利した突きしかありえない。
まさに針の穴を通すような作戦を、キリクは納屋に飛び込んだ数秒で立案し指示実行したのだ。
凄まじい形相で事切れた女の顔を暫し呆然と見ていたハタルだが、迫る熱気と煙に我にかえる。
「兄ちゃん!」
再び窓から飛び込み、キリクを担いで転がり出る。燃え上がった屋根が落ち納屋が倒壊したのは、その直後だった。腰から下げたイサク特製の回復薬を、慌ててキリクに飲ませる。
「倒したのかハタル……よくやったぞ……」
弱々しく語りかけるキリクに、いつもの減らず口も叩けずただただ抱きつくだけのハタルだった。
リリは、下の階層で上がった火の手を不安そうに見下ろしながら進み、居館の前に辿りついた。
「キリク達がやってくれたんだろ、心配するなリリ」
「うん……ここはヴォドンもかけられてないし、鍵もかかってないみたい」
「余裕こきやがって……
俺が開ける。リリは下がってろ」
クロが蛮刀で蝶番を叩き壊し、大扉を蹴り破る。なだれ込むと、オーラムはホールの奥に設えられた謁見用の椅子に座していた。
「乱暴な奴らだな……3人だけかね?」
「ふん、大物ぶるなよオーラム。渓谷の魔物たちは総崩れ、ボディガードの女も今ごろキリク達が倒してる。お前1人でどうするつもりだ?」
「逆に聞くが、お前たちは私をどうやって殺すつもりだ?何百人も連れてこなかったのは“お前たちにとって”幸いなことだな。私1人いれば王家などいつでも滅ぼせるし、アンデッドも魔物もまたいくらでも生み出せる。私にとっての懸念は悪魔が選んだリリだけ、そしてまんまと殺されに来てくれたという訳だ」
無言で銃を向けたクロの胸を、熔けた壁石が撃ち抜き吹っ飛ばす。
「リマニで無駄なのは分かっただろうに。リザードマンは知能が低いのか?」
再び数十個の灼けた壁石が3人を囲む。イサクが防御障壁で守り、クロに治療術を施す。
「リリちゃん!障壁で防いでいる間にアニマを!」
詠唱を始めるリリを横目に、オーラムはまるでカーテンでも開けるかのように障壁を解除し、3人の間近に迫った。
風のアニマでイサクを切り刻むと、リリの髪を掴んで柱に叩きつけた。倒れたリリの頭を踏みつけてオーラムが言う。
「もう一度聞くが、お前たちどうやって私を殺すつもりだ?」
リリは顔を踏まれながらも倍音唱法の複合アニマを詠う。極低温の吹雪の竜巻がオーラムを襲い、上半身を凍結させる。立ち上がったクロが蛮刀を叩きつけ、胸から上を四散させた。
「リリ!」
クロがリリを助け起こし、血を拭ってやる。柱に打ちつけられたリリの唇はザックリ切れ、右目は腫れて塞がっている。
(あの野郎……体格に劣るリリだけ、単なる暴力を振るいやがった。絶対に許せねえ)
復讐を誓うクロの前で、オーラムの胸から上がみるみる再生していき、上半身裸体となったオーラムが三度問う。
「何度でも聞くぞ。お前たちどうやって私を殺すつもりだ?」
声にならない叫びを上げながら斬りかかるクロの眼前で火のアニマが爆発を起こし、黒焦げた体がリリに倒れかかった。




