3話 パートナー
おそろしい魔物も、倒してしまえばバウンサーにとっては貴重な資金源である。
グラスランドウルフは毛皮、ヒドラは内臓の一部に価値がある。クロが処理して担いだ時には、日がだいぶ傾いていた。
「すまん時間がかかってしまった。今日は村の近くまで戻って野営しよう」
「ヒドラを倒したって言えば、村の人も快く入れてくれるんじゃない?」
「その可能性もあるが、リザードマンでバウンサーを長く続けてる俺としては寝首をかかれる心配のほうが勝つな」
「……分かった、先輩に従いまーす」
村にほど近い森のなかで焚き火をし、簡単な夕食を取る。
「え……ヒドラって食べれるの?」
ヒドラ肉の串焼きを、リリがおそるおそる握っている。
「グラスランドウルフよりはるかに美味いぞ。リザードマンは人間より食べれるものが多いが、それでも狼は硬くて臭くて地獄だったな」
「なるほど、それを聞いたら多少のことには眼を瞑れるかも!いただきます!」
意を決して齧りついたリリを、クロが興味津々に見つめている。
「美味しい!あっさりしてて、白身魚と鶏肉の間って感じ!」
「だろ?」
「ホント!お醤油がほしいな〜」
「オショーユ?なんだそれ?」
「あ、お醤油は私の居た国のソースでね、えーと豆からできてるんだけど……」
「なあ、リリは最近この国に来たって言ってたよな。それに昼間のあの術の使いかた、ただ者とは思えない。リリはどこから来たんだ?」
「うーん、信じてもらえるか分からないけど、多分わたしは違う世界から来たんだ。前住んでたところでは精霊さんとお喋りなんかできなかったし、タウロンなんて国、聞いたこともなかったもの」
「ど、どういうことだ?」
タウロンに来る前、リリは2026年の日本で歌手を志す少女、松下莉里だった。
莉里は幼少の頃から、耳と喉が優れた子だった。どんな歌でも一度聞けば歌えるし、ピアノで奏でることもできた。特徴を捉えて声色を真似るのもお手のものだった。
莉里が5歳の時だ。両親に連れられた公園にカラスがいた。
「莉里ちゃん、カラスさんだよ。カーカーだね」
母親がそう莉里に語りかけると、呼応するようにカラスが鳴いた。
幼い莉里は嬉しくなって、カラスの鳴き真似をした。
莉里の喉から発せられた鳴き真似は、両親がギョッとするほどにカラスそのものだった。
カラスも一瞬固まったあと鳴き声を返し、集まってきた数十羽と莉里が「会話」を交わしはじめた。気味悪がった両親は、まだ遊びたいと抗議する莉里の手を引き、足早に公園を立ち去った。
他の多くの少女と同じように、莉里もテレビやネットで見る歌手やアイドルに憧れた。莉里の歌声に類稀な才能を感じていた両親も背中を押してくれた。
どのオーディションでも莉里の歌はずば抜けていたが、不合格の連続だった。彼女の鬼気迫る歌唱は、世間一般がその年頃の女の子に求めているものではなかったのだ。
オーディションと並行して、莉里は声を出すことそのものに執着と言えるレベルの関心を示すようになった。
日本の長唄、僧侶の読経、オペラの歌唱法、スイスのヨーデル、ノルウェーのクールニング、モンゴルのホーミー、デスメタル、アルタイのカイ、演歌のこぶし、サハ民族のトユーク、ブルガリアンヴォイス……
インターネットで調べながら、莉里は独学で身につけていった。彼女にとっては大好きな歌の研究だったが、部屋から漏れ聞こえる奇怪な唸り声を聞いた両親は、幼少から好きだった歌が莉里を苦しめているのではないかと案じた。
両親は莉里の15歳の誕生日を前に、次のオーディションを最後の挑戦にしようと提案した。高校受験を控え、自分自身に何かが足りないことを認識する年齢だった莉里もそれを了承した。
そして、最後のオーディションの前日。莉里の夢に悪魔が現れた。
悪魔は、3本の捻れた角と血のような赤い身体を持っていた。そしてそのおそろしい風体に相反するように、紳士的だった。
「リリ、君の強い願いが遠くにいる私のところまで聞こえてきたよ」
夢の中で莉里は、不思議と恐ろしさも感じず悪魔の言うことに耳を傾けていた。
「歌手になりたいんだね、リリ。そのためなら君の大切なものを犠牲にする覚悟はあるかい?」
「今までだって、ほかの子が遊んでる間もずっと歌ってきたもの。私の歌を大勢に聴いてもらえるなら、何も要らないわ」
「君はきっと歌手になれるよ。私が約束する。もう朝だ。オーディション頑張っておいで」
悪魔は優しく莉里の頭に触れると、朝日とともに消え失せた。
朝食を食べながら莉里は語った。
「パパ、今日はなんだかうまく行く気がするわ」
「おや、自信満々だね。どうしたんだい?」
「……内緒よ」
果たしてその日のオーディション、莉里は満票で合格した。それだけではない、絶賛の嵐だった。その場でプロデューサーから、配信シングルデビューが確約された。
両親も兄も泣いていた。莉里も涙を流しながら、夢を見ているような気持ちだった。今朝の夢のことはもうすっかり忘れていた。
その日の晩、合格祝いの外食に出かけた。莉里の人生で最も幸せな食卓だった。帰路、父親の運転する車に対向車線をはみ出してきたトラックが正面からぶつかってきた。
エアバッグで揺さぶられた脳が落ち着いた時、莉里は自分の胸にトラックから荷崩れした鉄パイプが刺さっていることに気づいた。
莉里にできたのは、息ができないと数秒考えることぐらいだった。指1本も動かせず、うめき声すら上げられなかった。
そのまま意識を失い、次に目覚めた時リリはタウロン王宮にいた。瀕死の傷は全く消え失せていた。
ここまで語り終えたリリがハッと何かに気づいた。見る見る顔面が蒼白になり、涙を流しながら浅く荒い呼吸に陥る。
「そうだ……今の今まで忘れていた……!
私、夢の中で悪魔に約束したんだ!『歌手になれるなら何も要らない』って!
そうだ、村の人も......!悪魔と……
パパもママもお兄ちゃんも、私のせいで!」
そこまで言うとリリは嘔吐して、肩を抱くようにして自分の二の腕に爪を立てはじめた。腕の肉が裂け、爪がめくれはじめたところで慌ててクロが制止する。
「やめろリリ!お前が見たのはただの夢だ!」
半狂乱のリリが泣き疲れて眠るまで、クロは強く抱きしめ続けた。
リリが会った、捻じくれた3本角の赤い悪魔のことを考えながら。
翌朝リリは、頬にゴツゴツしたものが食い込んでいる感触で目が覚めた。次いで鰐の下顎を見上げ、自分がクロの膝の上で眠っていたことに気づいた。
クロも胡座のまま眠っていた様子だが、リリが身を捻ったので目が覚めたようだ。
「よく眠っていたな」
「あの、ありがとうクロ」
「構わないよ、茶を淹れよう」
温かい茶碗を両手で包みながら、リリは昨夜自分が話したことを反芻していた。そして、それに触れまいとするクロの優しさも骨身に染みていた。
「あのさ……昨日の悪魔のことだけど」
「ただの夢だよ、忘れろ」
「ううん、この不思議な世界に来て、クロやスーやトプラたちに会って確信した。
私が会ったのはホントの悪魔。だからもう一度会って、約束を取り消してもらわなくちゃ。
それで、もう一度パパとママとお兄ちゃんのいる世界に戻してもらう。3人ともきっと生きてる」
「だからクロ、もしあなたが手伝ってくれたら……すごく嬉しい」
上目遣いに自分を見るリリを正面から見据え、クロは深いため息をついた。
「俺はある悪魔使いを追うためにバウンサーをやっている。そいつは俺の故郷の村を皆殺しにした」
「悪魔使いの姿は分からないし、もうそいつは死んでいるかもしれない。だが、悪魔の姿だけは死ぬ間際の兄弟から聞いた」
「捻じくれた3本角の赤い悪魔だったそうだ」
リリが涙顔で抱きつく。
「そんな、なんてこと……」
クロがそっとリリの背に手を回す。
「俺とお前は運命のパートナーだ」




