26話 僧侶と娼婦
ゲルメクでのアンデッドドラゴン討伐の後、ヴォドンのイサクは密かに異国メーヴェルリムの地に渡っていた。
6年前イサクが死者を戦わせた戦場は、海岸近くに広がる3km四方のユシラ平原である。上陸したタウロン連邦軍はここを抜けずに消耗し、撤退したのだ。当時美しい海岸の景勝地だったが、今や迷える魂が跋扈する忌み地として誰も近づかなくなっていた。
6年ぶりにユシラ平原を訪れたイサクは、戦場に留まった魂を見つけてはひとつひとつ幽世に送っていった。2週間をかけてそれが終わると、海を見渡す崖に座り、ひたすら瞑想した。
ヴォドンの力は、多くの魂と関わるほど、そして自己の魂を内観すればするほど深く強くなる。
イサクは瞑想し、自らの魂と深く向きあった。記憶を遡り、自分が浸かった産湯の温かさすら思い出した。
そして師匠である父との記憶。当時は全く気づかなかった、禁術に関わる父の後ろめたい表情を感じ取った。
12歳の初陣となったここメーヴェルリムの戦場も、頬を撫でる風、血の匂い、風を切って側に落ちる矢の羽根の柄すら想起した。
そして自らが禁術で幽世から呼び戻した魂の慟哭、腐肉の匂い、自分の懊悩まで、事細かに客観的に見つめ続けた。
しかし、イサクは自分の魂の奥底に何も見出だせなかった。帰国後の自堕落な日々、リリたちとの出会い、命懸けの決心も追体験するほどに記憶を辿ったが同様だった。
イサクが瞑想をはじめ1ヶ月が経とうとしていた。水と最低限の草根木皮のみを口にし昼夜天候を問わず崖に座し瞑想を続けるイサクは、枯れ枝の如き姿になっていた。
近くの村々では、ユシラ平原の悪霊を悉く鎮め瞑想に耽るヴォドンがいると噂になった。荒行に挑む高僧をひと目拝もうと人々が訪れ、座するイサクの後ろには供物が置かれるまでになった。
しかし、瞑想を始めてから1ヶ月を経ったある日、イサクは己の魂の奥に一片の光も残っていないことをとうとう確認した。ヨロヨロと立ち上がると、村人は
「おお、ついに悟られたぞ!」
と礼拝したが、イサクは村人を一瞥することもなく間を抜けて、メーヴェルリムを後にした。
タウロンに戻ったイサクは肉と魚で体力を回復すると、ただ酒場でエールを飲む無為な日々を続けた。顔馴染みのバウンサーも気味悪がって近寄らなくなった頃、イサクに話しかける女がいた。
「お兄さんヴォドン?今晩遊ばない?男前だし安くしとくよ」
イサクが虚ろな目を向けると、女ではなく女の背後に目を奪われた。悪魔がいたのだ。
「……いいだろう」
2階の宿の部屋へ連れ立ち、交わったあとイサクは浅い眠りについた。目が覚めると、女が悪魔と話しながら自分の荷を漁っていた。
「くそ、あの痩せ坊主シケてやがるな!」
「だから言ったじゃないか、他のヤツにしとけって」
「あの」
イサクが声をかけると、女はビクッと体を震わせて短刀に手をかけた。
「すまない、今晩君に払う分以外はもう素寒貧なんだ。……それにしても、君の後ろの悪魔は、君と同じくらい美しいな」
女の後ろに控える悪魔は青白い身体の女性形だった。裸体を大きなコウモリの翼で覆い、下向きの二本の角がまるで前髪のように酷薄な顔の頬をなぞっている。
「お前、カデンが見えるのか?で、アタシが美しいって?ゴマすってもビタ一文まけないよ」
「……僕はヴォドンだよ。魂を見てるのさ」
女は不服そうな顔で短刀から手を離し、イサクの荷を逆さにした。
「ホントだ、空っぽじゃないか」
女は名をソレイリアと言った。王都北側の貧民窟の部屋で、湿気とネズミとともに暮らしていた。そしてイサクも、その部屋の(ソレイリアの言葉を借りれば)“いちばん嵩張る”同居人となった。
ソレイリアは、本人曰くヴォドン専門の娼婦兼泥棒兼詐欺師として暮らしを立てているそうだ。いつも朝方仕事から帰って来て、イサクの眠るベッドに潜り込んで昼過ぎまで寝た。
イサクが朝から換気をして掃除をするので、湿気とネズミは居心地が悪くなって、同居人はイサクと悪魔だけになった。
粗末ながらもイサクが食事を作るようになって、2人とも少し肌艶が良くなった。
イサクは彼女の仕事のことは一切聞かなかったが、なぜ稼ぎも無い自分を置いてくれるのか、と問うたことがあった。
「うーん、アンタ空っぽだろ?アタシと一緒でさ」
ソレイリアは少し考えてそう答えると、イサクを硬いベッドに押し倒した。
そんな日がしばらく続いたある夜、ソレイリアはひどく慌てた様子で帰宅するとイサクをベッドから蹴り落とし、布団の下に隠していた銀貨や宝石を掻き集めはじめた。
「しくじった!ヴォドンの爺さんと鉢合わせて刺しちまった!死んだかも……」
震える手で返り血の付いた服を脱ぎ捨て、手と顔をゴシゴシ擦る。
「クソッ!血が!取れない!
夜明けにはここもバレる、アンタも早く消えないと巻き添え喰うよ!」
イサクは水瓶で手ぬぐいを濡らすとソレイリアの顔を拭った。混乱に陥っていた彼女は手ぬぐいの冷たさに、少し冷静さを取り戻した。
「どこに逃げるつもりだ?」
「そんなの分かんないよ!とにかく王都を離れないと……」
「一緒に行こう。僕はバウンサーだ、旅や野営の心得も多少ある」
「はぁ?なんで……」
「君が好きなんだ。君がどんな人間か、僕を好きかなんて関係ない。今僕は君の存在に救われてる」
「……バカ話聞いてる暇無いんだった!行くよ!」
王都を出て北に一日歩いたが街育ちのソレイリアの歩みは遅く、イサクの予定の半分も進めなかった。
森の中で野営をした。街から離れ焚き火に照らされる不安げなソレイリアの横顔は、街中で見るより随分幼く見えた。
「怖いかい?この辺は魔物はいないから心配しなくていいよ」
「うん……でもアタシ王都から出るの初めてだから。夜の野原って、意外と騒がしいんだね」
ソレイリアの言うとおり、野原は風に吹かれた木々のざわめきや獣や虫の声で騒がしく、静寂の夜とはいい難い。風の音に混じり、ソレイリアがポツリポツリと語りはじめた。
「アタシ、昔はヴォドンだったんだよ。けっこう腕が良くて、将来有望だって言われてね。でも15、6歳の時かな。尊敬してた師匠のオッサンに押し倒されてさ。
死にたいくらい悔しかったし、殺したいくらい憎かったけど。あんな豚の為に私の人生棒に振るのも馬鹿らしいと思ってさ。
それからヴォドンを食い物にして生きてんのさ。カデンが来てくれたのもその頃さ。何か渡したら願いを叶えてくれるって言うからさ。イサク、分かるかい?アタシが願ったこと」
「分からない。君が何か得たようには見えないな。たくさん失ったことは分かるけど」
「ヒドい男だねまったく。アタシは修行で得たヴォドンの力を渡す代わりに、カデンに頼んだんだ。アタシが死ぬまで側に居て話し相手になってくれって」
「それで取引は成立したわけだ」
「そう!これでアタシのつまらない話はお仕舞い。今度はイサク、アンタの話を聞かせておくれよ」
そう言ってソレイリアはイサクに寄り添い、肩に頭を乗せた。イサクは生まれてからここまでの話を、ソレイリアに語った。長い長い話だが、ひと月の瞑想で何十回と追体験した彼は、淀みなく話した。
ジッと話を聞き終えたソレイリアは、イサクの目を見て言った。
「アンタ、それ何も失って無いよ。アンタはその時必要な正しい努力を続けてきただけだよ。アンタの魂の光が見えてないのは、アンタだけだよ」
そう言い放つソレイリアは、怒っているのか、哀しんでいるのか、憐れんでいるのか、嘲っているのか、イサクには分からなかった。
或いは全部かもしれないとイサクは感じた。ともあれ、その夜2人は互いの空虚を埋めるように寄り添い、目を閉じた。
ソレイリアの痩せた胸に顔を埋めながらイサクは、メーヴェルリムでの一月の瞑想のどの瞬間より、自らと彼女の魂の奥底に触れた気がした。




