23話 舞踏会(前編)
王室主催の今回の舞踏会は、連邦中の貴族が一堂に会する年間で最も盛大な宴である。だが、貴族にとって舞踏会はただの宴ではない。
交友を広げ、より良い官職や投資話にありつく。一族の子女により良い結婚相手を見つける為に売り込み、相手を値踏みする。貴族にとって、社交は遊びではない。一族を隆盛に導くための仕事場であり、戦場なのだ。
夕方からの舞踏会を前に、王都滞在先の一流ホテルの一室でメガンがリリの身支度を整えている。
大きく胸元の開いたイブニングドレス、栗色のかつらを若姫らしいハーフアップスタイルに整え、化粧を施す。
「うむ、どこに出しても恥ずかしくないエレネーク家のリリアン姫だ。リリ、2週間後よく頑張ったな」
「恐縮です、全てマルグレテお姉様のおかげですわ」
習ったとおりの貴族の子女の口調で答え、お互いに笑いあう。化粧と髪を崩さないよう、メガンがそっとリリの頭を抱く。
「この2週間、本当の妹が出来たみたいで楽しかった」
「わたしも。お姉さんが出来たみたい。本当にありがとう」
「そうだ、カルネ(舞踏手帖)を渡すのを忘れていた。今日のリリならダンスの誘いが殺到するだろうからな。今日の曲順はもう書いてあるから、誰とどの曲の約束をしたか書き留めておくんだ」
そう言って、リリに真珠の飾り表紙がついたメモ帳を見せる。
「……メガン、私タウロン語書けないよ」
「……嘘だろう?そんなに流暢に話せるのに?」
「うん、私“耳”で覚えたから。最近少しは読めるようになってきたけど書くほうはさっぱり……」
「ど、どうしよう……」
その時、テールコートに身を包んだネロスが部屋に入ってくる。
「レディたち、準備はどうだい?うん、2人ともとても綺麗……青ざめてどうしたの?」
ことの次第を話すメガン。
「ハハハ、問題ないよ。そう言う時にはね……」
王宮のボールルームには、続々と紋章入りの馬車が乗りつけている。ネロス達も列に並び、入口の典礼官にメモとチップを渡す。
ドアマンが巨大な観音扉を開くと、贅を極めた広大なボールルームを着飾った貴族が埋め尽くしている。
典礼官が杖を2回床に打ち鳴らし注目を促すと、通る声で高らかにゲストの来訪を告げる。
「ゲルメク市副総督、ネロス・ラハトヴァー子爵閣下、ならびに同夫人マルグレテ様、エレネーク家ご令嬢リリアン様!」
フロアの貴族たちが注目する。社交の場では服装から所作に至るまで、多種多様の暗黙のルールが存在する。その場に見合った振舞いが出来るか、値踏みされる瞬間なのだ。
リリは背筋を伸ばしたまま膝を曲げる貴婦人の礼「カーテシー」を優雅に行い、視線を一切下げずに数段の階段を下りてフロアに下り立った。
「10数年前に廃された武門エレネークにあのような忘れ形見が……なかなかよく仕込まれた、しかも美しい娘ではないか」
「分家とはいえラハトヴァーと結んだのか、関係を作っておいて損は無いな」
フロアの貴族達が口々に噂する。ある者はネロス夫妻に結婚の祝いを述べ、ある者は子弟にリリをダンスに誘うよう指示する。
リリは打ち合わせのとおり、扇子で口元を隠しながら後方のメガンの指示を読み取る。メガンも他の貴族と会話しながら、扇子の動きで『断われ』『受けろ』を指示しているのだ。
何人かを当たり障りなく断ったあと『受けろ』のサインが出る。物腰がいかにもスマートな若者だ、名家の子弟なのだろう。
よし!練習どおりやるぞ!と心の中の気合とは裏腹に、リリは全力で科をつくって応対した。
「謹んでお受けいたしますわ。
ただ……私の手袋が汚れてしまっては貴殿とのダンスの時に失礼というもの。ぜひ貴方様の手で私のカルネにお名前を頂戴できませんこと?」
「レディ、この上ない光栄です」
と名前を書き込み去っていく若者。心の中でふ〜っと汗を拭いていると、メガンが扇子のブロックサインで『よくやった』と送ってくる。
しばし時間が経ち、約束の曲の演奏が始まる。先ほどのハンサムな若者が、早すぎない、不安にさせない絶妙なタイミングでリリのほうに近寄ってくる。
ダンスへの誘いに成功しても、がっつくように急いで来る、遅れて来る、長く踊りすぎるなどは野暮な行為としてたちまち「品が無い粗野な者」として後ろ指を差される世界だ。
舞踏会でのダンスは、技術的には多くを求められるわけではない。曲目ごとのステップを踏み、男性の目を曖昧な、かつ恥じらいを秘めた目で見つめておけばいい。
しかしアイドル志望で現代のひと通りのダンスを修めてきたリリとしては、つまらなくなってきて、ほんの少しだけアレンジを入れたくなった。
最後に男性から離れてターンをする振付け、曲調に合わせてゆったりとターンをして戻っていくのが本来である。しかしリリは顔を残して鋭くターンすると、ビタリと止まって情熱的な表情で周囲を見据えた。
遠心力で広がったドレスのスカートがフワリと落ち着き、少し顔にかかった髪が艶めかしい表情を際立たせた。
ダンスの終わり、たった2秒でリリは周囲の目を引きつけることとなった。曲が終わり、次のダンスの約束を取り付けようとリリに近づいた若者たちが蜘蛛の子を散らすように離れていく。
外務大臣かつ宮廷アニマのオーラムが、拍手をしながらリリに近づいたのだ。
「お、さっそく生き餌に食いついたね」
壁際でワインを傾けながら、ネロスがほほ笑む。
「エレネーク家のお嬢様、風変わりでしたが見事なダンス、感服しましたよ」
ここまで喋って、オーラムは少し小声になる。
「ところで……鰐顔の執事殿は今日は留守番ですか?」
「……お目にかかれて光栄です、オーラム大臣閣下。執事はあいにく病に臥せっておりますの」
2人は目の奥に激烈な敵意を宿しながらも、柔和な表情で挨拶をかわした。
その時ちょうど、楽団が演奏していたワルツが鳴りやむ。フロアで踊っていたカップル達は礼を交わし散開していく。
オーラムは意地の悪い笑みを浮かべると踵を返し、楽団のほうに向かう。
「楽長!次の曲の前に5分ほど時間をくれ。エレネーク家の令嬢が、諸侯への挨拶に演奏を披露すると申されておる!」
フロアの貴族たちから嘆息の声が上がり、楽団は恭しく席を空けた。オーラムはほくそ笑んでリリに促す。
「さ、リリアン嬢。エレネークの令嬢なら楽器のひとつも嗜まれておいででしょう」
「オーラムのやつ、まずはエレネークとラハトヴァーに恥をかかせてやろうという魂胆だな……」
「いかん、私が何か弾いて場を取りなしてこよう」
と、メガンが向かおうとした矢先、リリは吸い寄せられるようにピアノの前に座った。
コンサートベンチに座り位置と高さを調整すると、鍵盤をいくつか叩いて確認する。
(よし私の世界のピアノとほぼ同じ、これなら弾ける。
……でも、何を弾いたらいいの?
精霊と魂が飛び交う、この美しい世界の人たちに何を届けよう)
リリの演奏を待ち静寂となったホールで、リリはピアノの前で数十秒目を閉じ想いに耽った。
目を見開いたリリは、C - G - Am - Fのカノン進行の和音を奏で始める。静謐で切ない、そしてあまりに印象的なメロディ。
リリの世界で最も知られたポップスと言って過言ではないだろう。
ザ・ビートルズの『Let it be』だ。
イントロが終わりリリが歌いだす。弾き語りである。フロアはざわめいた。この時代のタウロンでは歌手は歌手、演奏家は演奏家。2つを同時にこなすという発想はなかったのだ。
それでも、フロアはすぐに静まりかえった。リリの歌があまりに圧倒的だったのである。口腔で共鳴させた歌声は、リリの小さな体から発せられたとは信じがたいほどフロアの端まで響いた。
そして、リリは万人に一人と言われる『1/fゆらぎ』の声質の持ち主である。貴族の戦場たる舞踏会に響いたリリの歌声は、諸侯の心を解きほぐしていった。
しかも、リリは『Let it be』の歌詞を即興でタウロン語に意訳しながら歌うという離れ業を演じていた。
『私の魂が迷うとき
精霊たちがあらわれ
ともに歌ってくれる
あるがままにと……』
最後のリフレイン、リリは楽長に視線を送り右手を振り上げた。協奏曲における『弾き振り』だ。いずれも、当代一の楽士たちである。リリの意思を汲みオーケストラが即興で合わせて演奏する。
『あるがままに
あるがままに
精霊とともに歌おう
あるがままにと……』
リフレインはオーケストラも加わり荘厳な響きとなる。スーが、トプラが、アテスが、ルズヤが我慢できずにホール中を4色の光となり飛び回る。
最後の一音を弾き終わり、数秒の完全な静寂の後ホールの屋根を突き破らんばかりの万雷の拍手が響いた。
オーラムが苦々しげな表情で奥へ下がっていく。
戻ってきた精霊たちに、涙顔で声をかけるリリ。
『ありがとう、皆のこと歌ったよ』




