21話 潜入
2週間後、ハタルとキリクは黒装束に身を包み、王都のオーラムの館にいた。
今晩オーラムは王弟が治める街ゴールでの晩餐会に出席しており、帰りは明日の夕刻と調べがついている。しかも今晩は新月で、潜入にはうってつけの夜である。
3階の窓までスルスルと壁をよじ登り、窓の錠前を外しにかかるハタル。
「ンニャ〜ゴ」
下で見張りをしているキリクが、衛兵の接近を猫の鳴き真似……いや、猫の声そのもので知らせる。
ハタルが慌てて屋根の陰に隠れ、闇に溶け込む。
「なんだ野良猫か……」と独り言ちた衛兵が離れていくのを確認し、キリクも壁をよじ登っていく。
忍び込んだオーラムの執務室には、壁一面の本棚にぶ厚い書籍や書類がぎっしり収められている。
「これを全部調べるのは骨だな。朝まで終わらないぞ」
そう呟くキリクをジトッと見ながら
「これだから兄ちゃんは素人にゃ。こんなところに大事なものはないニャ」
と言いながら本棚を調べていく。
「ここと、ここと、ここだけ埃の被り方が違う……離れた書架に収めてあるのに、背表紙にご丁寧に1巻、2巻、3巻……分かりやすいニャ」
ハタルが巻の順番に本を手前に傾けると、どこかでカチッとロックの外れる音がした。本棚の1箇所を押し込むと、本棚自体が隠し扉になっていて奥の隠し部屋が現れた。
「大事なものはこういうところにあるニャ」
口をあんぐり開けるキリクだった。
キリクは外を警戒しながら、隠し部屋を捜索しているハタルに訊ねる。
「なあ、お前なんでそんなに手慣れてるんだよ」
ハタルは金庫に耳を当てヒゲでピッキングしながら応える。
「ハタルは5歳から盗賊ギルドにいるにゃ。潜入、スリ、運び屋……盗賊には子どもだから出来る仕事もたくさんニャ」
「そんな……」
「ワーキャットは盗賊適性が高いから、村にも結構いるニャ。知らないのは潔癖なキリク兄ちゃんだけニャ。
5年前大吹雪で飢え死にしかけた時も、ハタル達盗賊の稼ぎでギリギリ食いつないだニャ」
キリクはあっけらかんと返すハタルに、返す言葉がなかった。族長の息子、一族最強の剣士、村の護り手と自負していた自分が、いかに幼かったかを思い知った。
「兄ちゃんぼ〜っとしてる暇ないぞ、行くニャ」
ハタルが戦利品を風呂敷で手早く包み、背に負う。書架の隠し扉を閉める前に、ハタルが何か細工している。
「何してんだ?」
「文書が無くなったのはいずれバレるニャ。隠し部屋のロックに細工をして、発覚を遅らせるニャ
人間は“何も起こってない”と考えたい生き物ニャ。隠し部屋が開かないだけなら、盗まれたのか故障なのか自分が間違ったのか……判断を遅らせることが出来るニャ」
「そんなことまで……恐れ入るよ」
無事屋敷を抜け出し、庭園を駆けていく。もうすぐ館の敷地を抜けようかという時、3本のクナイが無防備のハタルの頭目掛けて放たれた。
一瞬の風切り音と、夜目の効く猫目で識別したキリクがレイピアを抜き、払い落とす。
放たれた方向から、追手は樹の上だ。キリクが目を凝らすが視認できない。若い女の声だけが闇夜に響く。
「かわいい猫ちゃん2匹かと思ったら残念、首輪のついた飼い犬じゃない。飼い主はリマニ?それともゲルメクかしら?
まあいいわ、手足を切り落としてからゆっくり聞いてあげる!」
言うが早いが、宙空から音もなく斬りかかる。頬を掠らせながら、なんとか避けるキリク。
「シャアァァ、猫を犬呼ばわりした罪は重いぞ……」
キリクはほぼ4足歩行に近い低い構えをとり、まさに猫のごとく毛を逆立てて唸りをあげた。
(あの女、一度も地面に着地していない。綱か何かにぶら下がって襲ってきてるのか?ならば……!)
再度の強襲を、飛び上がって躱したキリクは女の頭上を切り払う。
(何も無い?しかし……)
女が地面に着地する。すかさず斬りかかるが、逆手に持ったナイフに阻まれる。何合か切り結び、鍔迫り合いとなる。
「やるじゃないか黒猫……!」
キリクは初めて相手をしっかり視認した。目つきの悪い人間の女……いや幼い、少女と言っていい年齢だ。
カッと見開いてキリクを睨めつける瞳の様子がおかしい。……昆虫のような複眼になっている。
開いた口が頬までバカっと裂け、一対の内向きの牙で喉元を切り裂かんと咬みかかる。
トンボを切って躱したキリクが、フウッと息を吐く。女は頭を下にした態勢でカサカサと樹上に消える。
「ぶら下がってたのは糸か。蜘蛛の亜人種なんか聞いたことないぞ」
「当たり前さ、私はあのお方のヴォドンで人と蜘蛛の魂を混じり合わせた“特別な生命”だからね!」
「神が作ったにしては悪趣味だと思ったんだ!創造主がオーラムなら納得だな!」
「キヒイィィ!」
キリクが皮肉を言い終わらないうちに、奇怪な叫び声とともに襲いかかる。
「もうそれは見切っ……グッ!」
飛び上がろうとしたキリクの動きが止まる。地面に落ちていたクナイが糸で引き寄せられ、キリクの左足に刺さったのだ。宙空からの一撃をまともに受け倒れたキリクに、ナイフを突きつける。
「勝負ありだね、黒猫」
「兄ちゃん!」
「ンニャ〜ゴ」
「なんだ?今さら猫撫で声なんて出しても容赦しな……」
キリクの鳴き声を聞いたハタルが、蜘蛛女の背後から何かを拾うと、樹上に駆け上がり飛び降りる。
蜘蛛女の首が極細の糸で吊り上げられ、足が浮く。開いた口にキリクが雷光のごとき突きを繰り出し、脳幹を貫く。
“特別な生命”はビグビグと震えると、幽世に渡った。
「サロホーリ湖の80cmのマスを釣り上げる釣糸だ。鍔迫り合いの離れ際に引っ掛けといたんだ。
……糸を使うのは蜘蛛だけじゃないんだよ」
言いながらヨロヨロと倒れるキリク。
意識を失ったキリクと風呂敷を担ぎ、涙を拭きながら屋根の上を駆けるハタル。
「キリク兄ちゃんは荷物持ちで連れてきたのに、結局ハタルが担ぐ羽目ニャ!
……兄ちゃん聞いてるニャ!?」
ハタルの背のキリクが朦朧とサロホーリ湖の夢を見ている時、湖畔の村ではひとつの魂が現世と幽世の間から帰ってきた。
クロが目覚めた時、眼前にあったのは、笑顔や涙顔のリリではなく退屈そうに宙を浮かぶ悪魔だった。
「よう、やっと目覚めたか。しばらく厄介になるぜ」
「お前は……?俺は死んだのか?」
「ここは現世だよ。クバラが死んじまったからな。お前の“欲”もなかなか味が良さそうだ」
「あの時の悪魔か!」
「イシェルだ、宜しくな。
願いがあったら、渡すものと一緒に言え。心からかけがえのないものじゃないとダメだぜ。見合うかどうかはこちらが判断する。強欲だと思うなよ。供物が安いと力が出ないんだよ」
「俺は自分で手に入れられるものだけで十分だ」
「最初は皆そう言う」
「なぜ俺なんだ?リリのほうが“望み”は強いだろう」
「あの娘は駄目だ。別の悪魔と取引した代償が、未払いのままだ。しかも時空を越える最強の悪魔ザマンだ。新規取引はお断りだな」
「クロ!目が覚めたんだね!」
その時、部屋に入ってきたリリが、持っていた桶と手ぬぐいを放り出して抱きついてくる。
「すまんリリ、心配かけたな……」
リリの頭を撫でながら、イシェルの話したリリの“債務”についてクロは考えていた。




