14話 プロセラのロスコー
翌朝クロが起きると、リリのベッドはすでにもぬけの殻だった。リリが準備していったのだろう、テーブルの上には簡単な朝食が準備してある。
モソモソと食べて港に出ると、甲板の上から少年と少女のよく通る歌声が聞こえてくる。クロは歌声がかすかに聞こえる防風林で、昨日と同じように油を売ることにした。
「船乗りにとって風は何より大事なものだからね。
この歌は風の精霊を呼ぶ歌なんだ。……とはいっても僕もまだ全然なんだけど」
『風はオレ以上に気まぐれだし、人間のいうことなんか聞かないぜ』
『あら、アテスがそう言うならよっぽどね』
『リリひどいな!スーたちもなんとか言ってくれよ』
『アテスの言うとおりだ。風には人間の言葉、ホントに届きにくい』
『なんというか……風は地水火より自然の根源に近いところにいるんじゃ……』
『ふ〜ん、気難しい子なのね』
周りに精霊を漂わせてあれこれ『相談』しているリリを見て、ロスコーが目を丸くする。
「そんなに精霊語を使いこなせるアニマは初めて見たよ。プロセラの言葉もあっという間に覚えるし、船長さんともすぐ仲良くなっちゃったし……
リリ、君はすごい人だ」
真っ直ぐリリを見つめるロスコーの視線に、思わず目を伏せる。
「そ、そんなことないよ。それより風の歌の続きを教えて」
「うん!やろう!」
リリが沖に向かい、突き抜けるような声を放つ。
「そう、上手いぞ!風の精霊が好きなのは喉を開いて地声で放つ、水平線まで突き抜けるような声だ!」
「リリすごいよ、たった数時間でここまで出せるなんて。僕なんて子供のときから練習してるのに……
お昼にしないか?僕の国の、魚を挟んだパンなんだ」
リリが齧ると、スパイシーな異国の味が口に広がる。横でロスコーが人の良さそうな顔で反応を窺っているのが分かって、いつも快活なリリが
「うん、美味しい……」
と大人しくなってしまった。
「リリはすごく上手だけど……」
食後のお茶を飲みながらロスコーが語る。
「風の歌の一番難しいところは
“風の精霊は音が止むのを嫌う”
ってことなんだ
僕も1分以上声を出してたでしょ。風の精霊は、たっぷり5分は音を切らさずに歌わないと聴いてくれない。
だから風のアニマはチームを組んで、代わる代わる息継ぎをして音を切らさないように歌うんだ。
結局それでも使役できる内容なんてたかが知れているし、帆船の性能や操船技術の進化のほうが早いからね。
今、風のアニマを載せている船なんてほとんど無いよ」
「……ねえ、ロスコー」
「ん?」
「今2人で歌ってみない?」
「……いいね!リリとだったら風の精霊が呼べそうな気がするよ!」
リマニの港に、少年と少女の風の歌が響き渡る。歌声は、ドックで作業をしていた舟大工の手を止めさせ、引退した旧い船乗りの耳に届き、昔を懐かしませた。
防風林で昼寝していたクロは、港に背を向けるように寝返りを打った。
沖に向かい並び立って詠う2人。互いの手の甲が触れ、指が触れ、5分が経つ頃には固く手を握り、ともに歌っていた。
そして歌声が最高潮に達した時、陸から沖へ向けて一陣の風が吹いた。
旧い船乗りと街に住む風のアニマは、懐かしい風の精霊を感じた。
その風で、リリの乗る船も大きく揺れた。バランスを崩したリリの華奢な肩を、ロスコーが両手で持って支えた。
思いのほか力強くゴツゴツしたロスコーの両手の感触と、眼前の喉仏の隆起に、リリの鼓動が高まった。
「こんなのって……」
「リリ」
穏やかなロスコーが、幾分凛とした声をあげる。
「よかったら僕と……」
「え……」
リリがロスコーを見上げた刹那、岸壁から声がかかる。
「ロスコー!」
慌てて離れる2人。ロスコーが乗り出して返事をする。
「父さん!」
「明日の朝には船が出せるそうだ!昨日今日買い付けたものもあるから、手伝いに下りてきてくれ!」
「分かったー!」
ロスコーの裾を摘み、消え入りそうな声でリリが言う。
「じゃあねロスコー……」
翌朝、ロスコーの乗った商船が出港の時を迎える。クロ、リリをはじめとするバウンサーたちも、随伴する護衛船に乗り込む。
「やっっと暴れられるな!身体がバキバキだぜ!ロープにぶら下がって乗り移ってくる海賊を撃ち殺して斬り殺したらいいんだな?」
『ホントだぜ!木と布で出来た海賊船なんか、オレが火球を何発か放てばたちまち地獄絵図に……』
『いやいやアテス!ここは海、ボクの力が最も発揮できる場所だよ?大波のひとつもくれてやれば……』
力を持て余した3人(?)が息巻いていると、船長がバウンサー達を集める。
「お!作戦会議か?俺は最前線にしてもらおう」
「では用心棒の皆さん、流れは分かってると思いますが説明しまーす。
湾を出て波止を越えると、海賊船が横付けしてきます。今日は『誇り高きカットラス団』が出ています。
海賊が『積荷を渡すか、サメの餌になるか選びな』と挑発してきますので、皆さんは目いっぱい威嚇してください。
その後岬の灯台まで競走しますが、銃やウンコ投げたりやらで嫌がらせしてきますので、皆さんも適当に嫌がらせし返してください。
岬まで本船が先に着けば終了、負けた場合は積荷の10%の移動のお手伝いをお願いします。
何か質問ある方?
……どうぞ」
「銃は当てていいですか?」
船長が帳面をめくる。
「前回うちの者が1人撃たれてるので、当てても結構です。ただし、頭とか殺意を感じる場所は、事後がややこしくなるのでやめてください。
では、よい航海を!」
想像の50倍緊張感のない作戦会議に、クロの手から蛮刀が落ちる。
「俺の斬り合い……殺し合い……海の男のロマン……」
出航しても呆然としているクロに、横のソードマンが話しかけてくる。
「お、リザードマンの兄さん護衛船は初めてかい?拍子抜けしたかもしれないが、お互いリスクを減らすために最適化した結果だよ。
ま、どちらも舐めたマネをすると本当に皆殺しだがね。
ただ、岬までの競走は毎回ホンモノさ。船を操って風をつかまえるのは船乗りのプライドがかかってるからね。護衛船も遅れるわけにはいかないから、覚悟しといたほうがいいよ」
先達の言うとおり、接敵するまでは台本通りの“茶番”が続いたが、レースが始まってからは想定以上の激しさだった。
「ぬおぉっ、落ちる!」
30度以上傾いた甲板を波が容赦なく洗う。銃弾と手斧と汚物が飛び交う間に、護衛船がメキメキ音を立てて割り込んでいく。
指示を無視して海賊の1人でも撃ち殺してやろうと思っていたクロだが、マスケットを構えることすらままならない。
「ちくしょう舐めてた!なんであいつらこの状況で弾込めれるんだ?」
海賊船は横につけての小競り合いを切り上げ、商船をじわじわ離していく。
「あー今日は負けかな……」
ベテランの護衛がつぶやいた時、リリのよく通る声が甲板に響く。
「ロスコーが歌ってる!」
言われてみると、波と風の音にかき消されながらも確かに風の歌が聞こえる。
「いい声だけど、おまじないで船が速くなりゃ苦労しないよ……」
と、操船している若い水夫が愚痴る。
いや、おまじないじゃない。この世界に精霊は確かにいる。リリが縄梯子を登り、マストの中段に上がる。揺れと高さに目が眩みそうになるが、大きく深呼吸する。
ロスコーが教えてくれた、風の精霊の歌。水平線まで突き抜けるようなチェストボイス。
「なんだあの声量!おい、俺たちも負けてられんぞ!」
水夫たちが驚きとともに発奮する。
2分近くノンブレスで歌い続け、リリは酸欠で視界が閉じていくのを感じる。
大丈夫。歌い続ける。風の精霊が耳を傾けるまで。
リリは、鼻から空気を吸いながら声を出し続ける。
『サーキュラーブリージング』
本来は管楽器のロングブレスに用いられる呼吸法だ。リリは超人的な喉と気管のコントロールで、吸いながら発声する。
さらに、息を吸い込む時に吐いているかのような発声をおこなう『吸気唱法』を併用し、風の歌を歌い続ける。
リリが6分以上全く音を途切れさせずに歌い切った時、海域の風が完全に凪ぎ、静寂が訪れた。
そして商船と護衛船だけが満帆に風を受け、弾丸のように洋上を滑り海賊船をはるか後方に置き去りにする。
商船を追い抜かす刹那、驚いた表情のロスコーと目が合うリリ。
(さようなら、私の初恋)
微笑んだまま最後の一息を発声し終えたリリは気を失い、マストから転落する。
甲板で待ち構えていたクロが慎重に抱きとめる。張っていた帆から、白い精霊の光がリリのもとに向かっていった。
リリが目覚めた時、ゴツゴツした鱗の感覚ですぐにクロの膝枕だと分かった。そして、前に膝枕で目覚めたのはいつだっけと考えたが、思い出せなかった。
リリの顔を、見慣れた顔がのぞき込んだ。
「リリの風の精霊のおかげで勝てたと、依頼主もご機嫌だ。ボーナス出してくれるってさ
……すごい歌だったな、水夫たちも聞き惚れてたぜ
なんか言ってくれよリリ。えっと……」
リリは何も言わずクロの胸に顔を埋めた。知らずと涙が流れた。
「悲しくないのに……」
喋ると、余計に涙が溢れた。
少し大人になったリリが初めて流す、愛しさの涙だった。




