第61話 残された手がかり
優勝の熱狂から一夜明け、カルディナの街はまだ祭りの余韻に包まれていた。宿の窓から見下ろす大通りには、昨夜の飾り付けがそのまま残り、行き交う人々の口からは「大陸博打大会の新王者」の噂話が絶えず聞こえてくる。露店の店主たちまでもが、こぞって「優勝者アキト」の名を冠した菓子や土産物を売り出し始めていた。
「まさか、こんなに大ごとになるとはな……正直、実感が湧かねえ」
アキトは寝台の上でごろりと寝返りを打ちながら、天井を見上げていた。枕元には、大会本部から贈られた優勝賞金の証書と、これから受け取る利権の書類が山積みになっている。窓の外からは、昨夜の祝賀会の余韻を引きずるような賑やかな喧騒が絶え間なく聞こえてくる。
「当然です。大陸博打大会の優勝者ともなれば、各地の商会や貴族から引く手数多になるでしょう。……正直、対応に追われそうで気が重いです」
リーゼロッテはすでに身支度を整え、机に向かって書類を整理していた。ここ数日、彼女の表情には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「そう気を張るなよ。今日くらいはのんびりしようぜ」
「そうもいきません。本部からは表彰式後の面会希望が山ほど届いていますし、何より――」
リーゼロッテがふと言葉を切った。書類をめくる手が、わずかに止まる。
「クラウスの一件、まだ何一つ解決していません」
その声には、優勝の喜びとは違う、静かな緊張感が滲んでいた。アキトも寝台から起き上がり、真剣な顔つきになる。
朝食を終えた四人は、大会本部が用意した応接間に集められていた。目の前には、これまでの調査で判明した情報を整理した書類が広げられている。窓の外からは、まだ祝賀の余韻に沸く街のざわめきが微かに聞こえてくる。応接間の重厚な机には、大会の紋章が刻まれた燭台がいくつも並び、格式の高さを物語っていた。四人が席に着くと、給仕係が茶を運んできて、そっと退室していく。
「クラウスから押収された指輪については、王都の魔道具鑑定局に送られ、詳しい調査が進められています」
本部の役人が神妙な面持ちで報告する。厚い書類の束を捲る手つきには、事件の深刻さを物語る硬さがあった。
「現時点で判明しているのは、あの指輪に刻まれた紋様が、大陸南方に伝わる古い呪術の系譜に属するということです。ただし、その製作者や依頼主については、現在も特定できていません」
「南方の呪術、か」
シルヴィアが眉をひそめる。
「ガイウス殿の出身も南方だったな。何か関係があるのだろうか」
「いえ、それは考えにくいでしょう」
リーゼロッテが即座に否定した。
「ガイウスさんは南方の傭兵出身というだけで、呪術とは無縁の人物です。むしろ、彼自身が覆面の男に接触された被害者側ですから」
アキトも頷いた。
「あいつは根っからの実力主義者だ。呪いだの魔道具だのに頼るタマじゃねえよ。むしろ、あんな胡散臭いもんを一番嫌いそうなタイプだ」
「同感です。ただ、地理的な繋がりが全くの偶然とも言い切れません。念のため、南方の情勢についても、引き続き情報を集めておくべきかもしれませんね」
役人がその会話を興味深そうに聞きながら、手元の記録に書き加えていく。
「じゃあ、南方の呪術師集団か何かが、黒幕に協力してるってことか」
「可能性の一つとして、記憶に留めておくべきでしょう。とはいえ、南方には古くから独自の呪術体系を持つ部族がいくつも存在します。それだけで犯人を絞り込むのは、正直難しいところです」
役人が咳払いをして続けた。
「それと、もう一点――男爵ハインリッヒ・フォン・ダーレンの尋問記録から、新たな情報が得られました」
役人が取り出したのは、一枚の似顔絵だった。粗い線で描かれたその絵には、フードを目深に被った、輪郭のはっきりしない人物像が描かれている。長机の上に広げられたその絵を、四人はそれぞれの角度から覗き込んだ。
「男爵の証言をもとに、当局の画家が作成したものです。あまり多くを聞き出せませんでしたが、特徴的な点が一つ――右手の甲に、古い火傷の痕があったそうです」
「火傷の痕、ねえ」
アキトは似顔絵を手に取り、じっと見つめた。輪郭も表情も曖昧で、これだけでは誰なのか特定するには程遠い。だが、それでも何もないよりはずっとましだ。指先で紙の端をなぞりながら、脳裏にこれまで出会ってきた人々の顔を思い浮かべる。だが、該当する人物は思い当たらなかった。
「大きさや形状について、もう少し詳しい情報はないのか」
シルヴィアが役人に尋ねる。
「男爵の証言では、拳ほどの大きさで、まるで何かの紋章のような形をしていたとのことです。ただし、暗闇の中での目撃だったため、詳細までは確認できていません」
「紋章みたいな火傷、か。故意につけられたもの、って可能性もあるな」
アキトの呟きに、リーゼロッテが顔を上げた。
「組織への忠誠の証、あるいは何らかの契約の印――そういった可能性も考えられますね」
「ミミ、覚えとけ。右手の甲に火傷の痕がある奴を見かけたら、すぐ教えてくれ」
「わかったのです! ミミの鼻と目、フル稼働で探すのです! 絶対に見逃さないのです!」
ミミが胸を張って請け合う横で、リーゼロッテが書類に似顔絵の特徴を書き留めていく。几帳面な文字で、火傷の痕の位置や大きさまで細かく記録していた。
「これで、追うべき手がかりが一つ増えましたね。……ただ、大陸は広い。この手がかりだけで居場所を特定するのは、簡単なことではないでしょう」
「気長にやるさ。急いてもしゃあねえ」
アキトは伸びをしながら立ち上がった。優勝の栄光に浸る間もなく、新たな謎が目の前に広がっている。だが、不思議と焦りはなかった。仲間たちと共に一つずつ真実に近づいていく、その過程そのものが、どこか心地よくすらあった。前世、借金取りに追われる日々を送っていた頃には、決して味わえなかった感覚だった。
「役人さん、この似顔絵の写しをもらえるか。街に戻ってからも、俺たちなりに調べてみたい」
「もちろんです。むしろ、大陸各地を旅する冒険者や商人の方々に情報が広まれば、それだけ手がかりも増えるでしょう。写しは後ほどお渡しします」
「助かる。……にしても、大会本部も律儀だな。優勝者にここまで協力してくれるとは正直思わなかったぜ」
「あなたのおかげで、大会の公正性そのものが守られたのです。これくらいの協力は当然のことです」
役人は真剣な面持ちでそう答えた。クラウスの一件は、大会そのものの信頼にも関わる重大な不祥事だ。本部としても、徹底的な真相究明に協力せざるを得ない事情があるのだろう。
応接間を出た四人は、大会本部の廊下でしばし立ち止まった。窓の外には、優勝を祝う垂れ幕がまだ掲げられている。廊下を行き交う職員たちが、すれ違いざまに深々と一礼していく。優勝者という肩書きの重みを、アキトは今更ながらに実感していた。
「さて、これからどうする」
アキトの問いに、リーゼロッテが少し考え込んでから答えた。窓辺に差し込む朝日が、彼女の白銀の髪をきらきらと輝かせている。
「銅貨三枚亭のことも気にかかります。バロウの妹さんに一任してきたとはいえ、長期間店を空けたままというのも心配です。……一度、街に戻るのはどうでしょうか」
「賛成だ。私も、久しぶりに店の様子を見たい」
シルヴィアが即座に頷く。護衛としての緊張が解けたのか、その表情にはいつになく穏やかな色が浮かんでいた。久方ぶりに気の抜けた笑みだった。ミミも大きく尻尾を振った。
「銅貨三枚亭、帰るのです! きっとみんな待ってるのです!」
「よし、決まりだな。優勝賞金もあるし、帰りの旅は少しくらい贅沢したっていいだろ」
アキトは両手を広げ、上機嫌にそう言い放った。旅立ちの疲れも吹き飛ぶほどの、晴れやかな笑顔だった。
「散財癖はほどほどにしてくださいね。せっかくの賞金を、道中で使い果たすような真似はやめてください」
リーゼロッテの釘刺しに、アキトは肩をすくめて笑った。
「わかってるよ。……でもな、正直な話」
ふと、アキトの表情が真剣なものに変わる。
「街に帰ったら帰ったで、のんびりしてばかりもいられねえだろうな。あの覆面野郎、たぶんまだ諦めちゃいねえだろうし」
「ええ。むしろ、これからが本番かもしれません」
リーゼロッテの言葉に、四人の間に静かな緊張感が漂った。だが、それは決して重苦しいものではない。これまで数々の困難を、共に笑い、共に支え合いながら乗り越えてきた四人にとって、新たな謎もまた、次の物語への入り口に過ぎなかった。
「まあ、来るなら来いってんだ。返り討ちにしてやるまでよ」
アキトが不敵に笑うと、シルヴィアも小さく笑みを浮かべた。窓から差し込む朝日が、四人の影を長く廊下に伸ばしていた。
「頼もしい限りだな。だが、油断だけはするなよ、いいな」
シルヴィアが真面目な顔でそう釘を刺す。元聖騎士団長としての責任感が、その言葉には滲んでいた。
「わかってるって。……にしても、なんで俺がこんなに狙われてんだろうな。ただの博打好きの一般人なんだが」
「一般人が予選から本戦まで無敗で優勝するとは、誰も思わないでしょうね」
リーゼロッテの淡々とした指摘に、アキトは苦笑するしかなかった。窓の外を見やれば、街のあちこちに優勝を祝う旗が掲げられているのが見える。自分がここまでの騒動の中心にいるのだという実感が、今更ながらじわじわと湧いてくる。
「なんにせよ、今日は帰り支度だ。荷物まとめて、明日には出発しようぜ」
「ミミが一番に荷物まとめるのです!」
元気よく駆け出すミミを追いかけるように、四人は宿への道を歩き始めた。カルディナの空は、抜けるように青く澄み渡っている。露店の並ぶ大通りでは、昨夜の祝賀の余韻を残したまま、様々な出店が賑わいを見せていた。
「アキト、優勝賞金の受け取り手続きは午後からになります。それまでは、市場でも見て回りますか」
「いいな、それ。景気づけに何か美味いもんでも食っていこうぜ」
「ミミも行くのです! 屋台の串焼き、また食べたいのです!」
シルヴィアが小さく苦笑しながら、その後をついていく。優勝という大きな重責から解放された束の間の時間、四人は久しぶりに、何気ない日常の空気を味わっていた。大陸博打大会という一つの舞台は幕を下ろしたが、アキトたちの物語は、まだ続いていく。
市場に着くと、あちこちから「優勝者だ!」という声が飛んできた。すれ違う人々が次々と声をかけ、握手を求めてくる。アキトは苦笑しながらも、一人一人に気さくに応じていった。
「モテモテですね、アキト」
リーゼロッテがからかうような笑みを浮かべて言う。すれ違う人々の熱い視線に、アキトは居心地悪そうに頭をかいた。
「こういうのは、ちっとも慣れねえな……」
人混みに揉まれながらも、四人はどこか楽しげに市場を歩いていく。串焼きの屋台の前で、ミミが目を輝かせて足を止めた。
「ここなのです! 前に食べたやつ、すごく美味しかったのです!」
「よし、奢ってやるよ。今日くらいは景気よくいこうぜ」
アキトは財布代わりの革袋を軽く叩いてみせた。優勝賞金の受け取りはまだだが、それでも懐は普段よりずっと温かい。
串焼きを頬張るミミの満足そうな顔に、四人の間に自然と笑みがこぼれる。優勝の余韻と、これから始まる新たな旅への期待が入り混じった、穏やかなひとときだった。
銅貨三枚から始まった旅は、いつしか大陸中を巻き込む大きな渦の中心へと近づきつつあった。だが、彼らの足取りはどこまでも軽い。それぞれの歩幅で、それぞれの想いを抱えながら、四人はまた一歩、新たな明日へと踏み出していく。
その夜、旅支度を整え終えた四人は、宿の一室に集まっていた。窓の外には、優勝の余韻に沸くカルディナの夜景が広がっている。
「明日には、この街ともお別れか」
アキトが窓辺に立ち、街並みを見下ろしながら呟いた。感慨深そうなその横顔には、これまでにない穏やかさが浮かんでいた。
「短い間でしたが、色々ありましたね」
リーゼロッテが隣に並び、同じように窓の外を眺める。夜風が彼女の白銀の髪をふわりと揺らした。
「イザベラさん、ガイウスさん、クラウス……。振り返れば、本当に濃密な日々でした」
「イザベラの奴、元気にしてるかね」
アキトが窓の外を眺めながら、ふと思い出したように呟いた。三回戦で死闘を演じた令嬢の凛とした横顔が、脳裏に浮かぶ。
「風の便りでは、家業の情報網を活かして、独自に大会の不正を調べていると聞きました。何か分かれば、こちらにも連絡をくれるそうです」
リーゼロッテがそう答えると、アキトは少し驚いたように目を見開いた。
「頼もしい味方が増えたな」
シルヴィアが満足げに頷いた。ガイウスもまた、大会後は消息を絶っていたが、風の噂では大陸を渡り歩き、新たな道を模索しているという話だった。かつての敵が、今では確かな繋がりとなっている――それもまた、この大会が四人にもたらした収穫の一つだった。振り返れば、敵として出会った者たちの多くが、今では大切な縁として残っている。それはきっと、アキトなりの生き方が引き寄せた結果なのだろう、と誰もがどこかで感じていた。
「さて、明日は早いぞ。今夜はさっさと寝るとしようぜ」
アキトは大きく欠伸をしながら、寝床に体を投げ出した。長かった大会の日々を思い返せば、心地よい疲労感が全身を包んでいた。
「珍しく殊勝なことを言いますね」
「たまにはこういう夜もいいもんだな」
軽口を交わしながら、四人はそれぞれの寝床についた。窓の外では、優勝を祝う灯りが街のあちこちに灯り、カルディナの夜がゆっくりと更けていく。大陸博打大会という大きな舞台での物語は幕を閉じたが、彼らの前には、まだ見ぬ新たな道が続いていた。




