第56話 ジャックの行方
「その男を捕らえよ! 詐欺の容疑がかかっている!」
貴族然とした男の怒声が会場に響き渡り、私兵たちが卓を取り囲む。つい先ほどまで大歓声に包まれていた会場が、一瞬にして異様な空気に塗り替えられていく。シルヴィアはすでに剣の柄に手をかけ、アキトを庇うように前へ出ていた。
「待て。いきなり乗り込んできて容疑もへったくれもあるか。まずは名乗れ」
アキトは椅子に座ったまま、面倒くさそうに片手を挙げた。観客席の熱狂は一瞬にして凍りつき、代わりに困惑と好奇の視線が卓上へと集中する。実況席のアナウンサーですら言葉を失い、会場中に異様な静寂が広がっていた。
「私はハインリッヒ・フォン・ダーレン男爵だ! 半年前、東部の街で悪徳博徒に全財産を騙し取られた。その手口――イカサマの鮮やかさ、口の上手さ、すべてがこの男の噂と一致する!」
男爵と名乗った貴族は、震える指先でアキトを指差した。よく見れば、彼を取り囲む私兵たちの装備も統一感がなく、寄せ集めの傭兵らしき者も混じっている。正式な貴族の護衛にしては、あまりにも急ごしらえの陣容だった。会場中がざわめく中、大会本部の役人たちが慌てて駆けつけ、私兵と押し問答を始める。
「おいおい、人違いも大概にしろよ。俺はこの半年、ずっとこっちの大陸にいたぜ」
「言い逃れなど聞かん! お前のような輩が、この神聖な大会を汚すなど許されることではない!」
男爵の剣幕は尋常ではなかった。よほど深い傷を負ったのか、それとも――ミミが小さく耳を立て、くんくんと鼻を鳴らす。
「ご主人様、あの人……なんか変なのです。怒ってるのに、同じくらい怖がってる匂いがするのです」
「怖がってる? 何にだよ」
「わかんないけど……この人、自分の言ってることを、自分でも信じ切れてない感じ」
ミミの野生の勘が告げる違和感に、リーゼロッテが素早く反応した。彼女は懐から帳面を取り出し、猛烈な速さでページをめくっていく。
「半年前の東部の詐欺事件……ああ、記録にあります。手口は『イカサマの鮮やかさ』ではなく『偽の鑑定書を使った宝石詐欺』。犯人は確か『銀狐のギード』と呼ばれる男。カードやダイスとは何の関係もありません」
「な……!?」
「男爵様、失礼ながらお伺いします。あなたが騙されたという博徒の顔を、ご自分の目でしかと見たのですか?」
リーゼロッテの冷静な追及に、男爵は目に見えて狼狽した。
「それは……その、風貌が似ていると、知人から聞いて……」
「つまり、直接見てはいないのですね」
静かにそう告げたのは、対戦相手であるはずのイザベラだった。彼女は優雅に立ち上がると、懐から一冊の分厚い調査書を取り出す。会場の視線が一斉に彼女へと集まった。三回戦の対戦相手でありながら、まるで自分の身の潔白を証明するかのような堂々とした振る舞いに、誰もが息を呑む。
「男爵様、私はこの半年、アキト様について徹底的に調べさせていただきました。試合の前に相手の弱点や癖を知り尽くすのが、私のやり方だからです。ですから、これから申し上げることは、噂話でも憶測でもございません」
「クロイツェル商会の名において申し上げます。アキト様の足取りは、この半年間すべて把握しております。彼が東部の街に立ち寄った記録は一切ございません。むしろ、この大会の予選が始まるひと月以上前から、隣国の街で小さな賭場を営んでいたことまで、こちらに記録がございます」
彼女がぱらぱらと調査書のページを見せると、会場のあちこちから驚きの声が上がった。宿の宿泊記録、賭場の営業日誌、街の役人への届け出――アキトの半年間の行動が、日付ごとに丁寧に書き記されている。アキト自身、対戦相手にここまで自分の行動を調べ上げられていたことに、乾いた笑いを漏らすしかない。
「お前、俺の朝飯だけじゃなく、俺の全財産の残高まで知ってそうだな……」
「必要な情報は、すべて」
イザベラは涼しい顔で答えると、男爵に向き直った。
「男爵様、あなたが誰かに何かを吹き込まれて、この場に足を運ばれたのではありませんか? そう考えるのが自然かと存じます」
「そ、それは……」
男爵の顔色がみるみる青ざめていく。ミミの言った『怖がっている』という感覚は、おそらくこれだったのだろう。誰かに――大会の裏で糸を引く何者かに、そそのかされてここまで来た。だが、その正体を口にする度胸までは持ち合わせていないらしい。
シルヴィアが一歩前に出て、男爵をまっすぐに見据えた。
「男爵、これは看過できる話ではない。虚偽の告発で公式の大会を混乱させたとなれば、あなた自身の家名にも傷がつく。それでも構わないと?」
元聖騎士団長としての凛とした声音に、男爵は目に見えてたじろいだ。周囲を固めていた寄せ集めの私兵たちも、シルヴィアの纏う覇気に気圧されたのか、じりじりと後ずさっている。
「い、いや……それは……」
「正直に話した方が、身のためだと思うが」
シルヴィアの静かな圧に、男爵はとうとう肩を落とした。
「……何者かは分からない。だが、数日前、覆面をした男が接触してきて、莫大な報酬と引き換えに、この場でアキト殿を告発するよう持ちかけられたのだ。私自身、半年前の詐欺被害は事実だが……その犯人がアキト殿かどうかまでは、正直、確信がなかった」
「なるほどな……で、その覆面野郎の顔とか、声とか、何か覚えてることは?」
「暗がりの中だったこともあり、はっきりとは……。ただ、貴族らしからぬ言葉遣いだった気がする。妙に事務的というか、慣れた様子で交渉を進めてきた」
「傭兵崩れの使者ってとこか。厄介だな」
「本部の判断を仰ぎます。男爵、あなたには後ほど詳しい事情聴取をさせていただきます」
大会本部の役人がそう告げると、男爵は私兵たちに支えられるようにして会場を後にした。去り際、彼はちらりとアキトを振り返り、何かを言いかけて――結局、何も言わずに顔を伏せた。その後ろ姿を見送りながら、リーゼロッテが低く呟く。
「……何者かが、意図的にアキトの評判を貶めようとした。そう考えるのが妥当でしょうね」
「面倒な連中がいたもんだ。まあ、今考えても仕方ねえか」
アキトは肩をすくめると、卓の方へと視線を戻した。半分だけ表を向いたまま取り残された伏せ札が、静かに続きを待っている。会場のざわめきも徐々に落ち着きを取り戻し、大会本部の判断を待つ空気が漂い始めていた。
「大変お待たせいたしました。勝負の続きを、最後まで見届けさせていただきます」
イザベラが席に戻り、静かに一礼した。会場の混乱もようやく収まり、観客席には先ほどとは違う種類の緊張感が満ちている。中断された大一番の結末を、誰もが息を呑んで待っていた。役人たちが慌ただしく卓の周囲を整え直し、ディーラーも一度乱れた札を確認してから、静かに頷いた。
「じゃ、続きといくか」
アキトは伏せ札に指をかけ、ゆっくりとめくり始めた。半分見えていたそれが、完全に表を向く。
――黒の意匠が施されたスペードの絵柄。数字は、ジャック。
「……!」
イザベラの碧眼が大きく見開かれた。だが、それだけではない。アキトの表札に並んでいた九、四、七、三――そのすべてが、実はスペードで統一されていたのだ。会場の観客たちも一拍遅れてそのことに気づき、どよめきが波のように広がっていく。
「まさか、フラッシュ……」
誰かが呟いた言葉が、会場中に伝播していく。九、四、七、三、そしてジャック。数字自体は繋がりのないバラバラの並びだが、五枚すべてが同じ絵柄で揃った瞬間、それは強力な役へと化ける。実況席のアナウンサーが慌てて役の名を読み上げ、観客席から地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「私の手はジャックのワンペア。……キッカーも及びません。完敗ですわ」
イザベラは手札を静かに卓の上に伏せ、深く息を吐き出した。六年間、一度たりとも綻ばなかった彼女の連勝記録が、ここに途切れた瞬間だった。会場は水を打ったように静まり返り、次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「アキト様、恐れ入りました。まさか、伏せ札の色柄まで最初から狙って揃えていたと?」
「まさか。そんな器用な真似、俺にできるわけねえだろ」
アキトは笑いながら肩をすくめた。
「ただ、開示された表札を見るたびに、色柄だけはずっと同じだった。四枚続けて同じ絵柄が出るなんて、まともに考えりゃありえねえ確率だ。だから――賭けてみたのさ。最後の一枚も、きっと同じ色柄で来るだろうってな」
「それは……つまり、確率を読んだ、ということですか」
「読んだっつうか、勘だな。前世からずっと、こういう博打勘だけで生きてきたようなもんだ。数字なんざ二の次だ。流れってやつは、意外と分かりやすいところに転がってる」
イザベラはしばらく黙り込んだあと、ふっと小さく笑った。これまでの完璧な微笑みとは違う、どこか吹っ切れたような笑みだった。
「六年間、私は負けを恐れるあまり、確実な情報でしか勝負をしてきませんでした。ですが、あなたはただの勘と度胸で、その情報網の裏を掻いてみせた。……悔しいですが、清々しい気分です」
イザベラはそう言って、まっすぐにアキトを見つめた。これまでの卓上で見せていた隙のない微笑みではなく、年相応の、どこか晴れやかな表情だった。
「次があったら、また相手してくれよ。今度は情報なしの真剣勝負でな」
「望むところですわ」
二人は握手を交わし、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。実況席のアナウンサーが我に返ったように声を張り上げ、三回戦決着を高らかに告げる。観客席のあちこちで、アキトの名を呼ぶ歓声が沸き起こった。
卓の脇では、リーゼロッテがほっと息をつき、シルヴィアが誇らしげに腕を組んでいる。ミミに至っては、感極まって観客席から飛び出してきそうな勢いで手を振っていた。
「アキト、見事でした。……正直、ヒヤヒヤしましたが」
「褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」
「両方です」
リーゼロッテの素っ気ない返しに、アキトは苦笑するしかなかった。三回戦、アキトの勝利。大陸博打大会は、いよいよ準決勝へと駒を進めることになる。
その夜、宿舎に戻ったアキトは、長椅子に倒れ込むようにして体を伸ばした。
「疲れた……マジで疲れた……」
「当然です。あれだけの騒動の後に、あれだけの大勝負をしたんですから」
リーゼロッテがタオルを差し出しながら、アキトの顔を覗き込む。
「魔力の方は?」
「今回はほとんど使ってねえよ。使ったのは最初の情報収集の下地作りぐらいだ。……あの土壇場の判断は、正真正銘、スキルなしのハッタリと勘だった」
「珍しいこともあるものですね」
「らしくない、と言いたいところですが……正直、少し安心しました。これで次の準決勝に備える余裕ができます」
シルヴィアが扉の警備を解いて部屋に入ってくると、難しい顔で腕を組んだ。
「あの男爵の件だが……本部の調べでは、正式な記録も証拠も出てこなかったらしい。まるで最初から、誰かに言わされていたかのようにな」
「やっぱそう思うか」
「ミミの勘が正しければ、な。何者かがアキトを大会から蹴落とそうとしている……その可能性は、頭の片隅に置いておいた方がいいだろう」
「ご主人様、ミミがちゃんと守るのです! 変な奴が来たら、匂いで一発で見破ってやるのです!」
ミミが胸を張って宣言すると、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
「頼りにしてるよ、ミミ」
「えへへ、もっと褒めていいのです!」
ミミが得意げに尻尾を振り回すのを見て、リーゼロッテが小さく息をついた。可愛らしい仕草に頬を緩めつつも、彼女の表情にはどこか気を抜けない緊張が残っている。
「浮かれるのはいいですが、油断は禁物ですよ。相手が何者かも分からない以上、次の準決勝でも似たような妨害が起こらないとは限りません」
「わかってるよ。……にしても、わざわざ人を雇ってまで俺を蹴落とそうとするたぁ、よっぽど俺に何かされたか、それとも俺が何かされる前に潰しときたいってことか」
「後者かもしれません。あなたの評判は、この短期間で大陸中に広まりつつあります。予選から本戦まで無傷で勝ち上がった博徒――そう聞けば、面白く思わない者も出てくるでしょう」
「面白くねえと思うなら、正々堂々卓につきゃいいだろうに」
「それができない者だからこそ、裏で手を回すのでしょうね」
リーゼロッテの言葉に、部屋の空気がわずかに引き締まる。シルヴィアが窓辺に歩み寄り、夜空を見上げた。
「準決勝の相手は、明日には正式に発表されるはずだ。今夜はゆっくり休んで、体力と魔力を整えておいた方がいい」
「わーってるよ、お小言隊長さんよ」
「隊長ではない。今は一介の護衛だ」
軽口を叩き合う二人を横目に、アキトは天井を見上げ、小さく笑う。長い一日だった。三回戦の勝利、不穏な妨害、そしてイザベラという新たな知己――目まぐるしく動いた一日の疲れが、じわりと体に染み渡ってくる。
「準決勝、か。……面白くなってきたじゃねえか」
浮かれ半分、警戒半分。そんな複雑な感情を抱えながらも、アキトの口元には確かな笑みが浮かんでいた。前世で染みついた博徒の性分は、危険な気配が漂うほどに冴え渡る。誰かが裏で糸を引いているというなら、それを暴くのもまた一興――そんな不敵な思考が、頭の片隅をよぎった。
「アキト、あまり顔に出さないでください。楽しそうな顔をしていますよ」
「バレたか」
「バレバレです」
リーゼロッテの呆れたようなツッコミに、部屋の空気がまた和む。ミミがくすくすと笑い、シルヴィアも小さく肩をすくめた。四人の間に流れる、いつも通りの温かい空気。だが、その裏側には、確かに新しい影が忍び寄り始めていることを、誰もがどこかで感じ取っていた。
窓の外では、大会本部が掲げる紋章旗が夜風にはためいていた。残るは、わずか二組。誰が相手になるのか、まだ発表はされていない。だが、アキトの胸に灯る博徒の血は、次なる大勝負を前に、静かに、しかし確かに燃え始めていた。




