第34話 三日間の刻限
「黒猫亭」に戻った四人は、その夜のうちに、今後三日間の動き方について話し合った。宿の一室、狭いテーブルを囲みながら、それぞれが真剣な表情を浮かべている。
「まずは、あの倉庫の件をもう少し詳しく調べる必要があるな」
アキトがテーブルに広げた街の簡易な地図を指でなぞりながら言う。ミミが目撃した怪しげな荷運びの現場は、黄金杯商会の賭場から、そう遠くない位置にあった。
「あの荷物と、賭場の運営との間に、何かしらの繋がりがあるかもしれません」
リーゼロッテが静かに頷く。
「密輸か、あるいは違法な薬物か……。いずれにせよ、招待された催しの前に、可能な限り情報を集めておくべきでしょう」
「賛成だ。シルヴィア、明日以降、もう一度あの倉庫周辺を探れるか」
「承知しました。今度は、より慎重に近づきます」
ミミが元気よく手を挙げた。
「ミミも一緒に行くのです! 匂いで危ない気配、ちゃんと教えるのです!」
「いや、ミミは今回は待機だ。前回、見張りに見つかりそうになっただろ」
「うう……。でも、ミミの鼻がないと、正確な匂いの判断ができないのです」
その言葉に、シルヴィアが小さく微笑んだ。
「では、今回は私が物陰から様子を窺い、あなたには少し離れた場所で待機してもらいましょう。危険が及ばない範囲でなら、その鋭い嗅覚を借りたいところです」
「はいなのです!」
役割分担を再確認した後、アキトは改めて三人の顔を見回した。
「三日後の催しに向けて、俺たちがやるべきことは大きく三つだ。一つは、あの倉庫の秘密を暴くこと。二つ目は、商会の資金の流れを追うこと。そして三つ目は――」
「三つ目は?」
「俺自身が、腕を鈍らせねえこと。あの賭場の連中、恐らく相当な手練れを揃えてくるはずだ。生半可な準備じゃ、返り討ちに遭う」
その言葉に、リーゼロッテが小さく頷いた。
「では、私も明日から、あなたの練習相手を務めましょう。カードの扱いなら、多少はお役に立てるはずです」
「そいつは助かる」
翌日の午後、アキトとリーゼロッテは、宿の裏庭でカードの練習に励んでいた。
「もう一度、同じ手筋でやってみてください」
「ああ」
アキトはカードを手に取り、素早くシャッフルしながら、狙った位置にカードを仕込む技術を繰り返し確認していく。リーゼロッテは鋭い目でその手元を見つめ、僅かな不自然さがないか、丹念にチェックしていた。
「……そこ、少し手首の動きが硬いです。もっと自然に」
「難しいこと言うなよ」
「難しいからこそ、練習する意味があるのです」
厳しい指摘を受けながらも、アキトは辛抱強く練習を重ねた。かつてフォルトゥーナでリーゼロッテと繰り広げた激闘を思い出しながら、彼女の教えを一つ一つ吸収していく。
「随分と様になってきましたね」
「お前の教え方が上手いんだよ」
「あら、珍しく素直ですね」
二人はそんなやり取りを交わしながら、日が傾くまで練習を続けた。単なる技術の向上だけでなく、こうして共に汗を流す時間そのものが、二人の絆をさらに深めているようだった。
翌日、シルヴィアとミミは、朝早くから倉庫街へと向かった。前回よりも慎重に、物陰から物陰へと移動しながら、二人は倉庫の様子を窺う。
「シルヴィアお姉ちゃん、あそこ、また人が集まってるのです」
ミミが指差した先、倉庫の裏口には、数人の男たちが荷馬車を停め、木箱の積み下ろしをしていた。前回目撃した光景と、ほとんど変わらない様子だ。
「……待て。あの馬車、商会の紋章が入っているぞ」
シルヴィアの目が鋭く細まる。荷馬車の側面には、確かに『黄金杯商会』の紋章――金色の杯を模した意匠が、控えめに刻まれていた。周囲には見張りらしき男たちが数人配置されており、通行人を装いながらも、鋭い視線で周囲を警戒している様子が窺える。
「やはり、賭場の運営と繋がりがあるようですね」
「アキト殿に報告する必要があります。……もう少しだけ、様子を見てみましょう」
しばらく観察を続けていると、木箱の一つが誤って落下し、中身が僅かに零れ出るのが見えた。遠目にも、乾燥させた草のようなものが詰め込まれていることが分かる。
「……あれは」
「シルヴィアお姉ちゃん、あの匂い、前に嗅いだことがあるのです」
「なに?」
「奴隷市場にいた頃、時々、変な薬草の匂いを漂わせてる人がいたのです。あれと同じ匂い、なのです」
ミミの言葉に、シルヴィアの表情が険しくなった。
「違法な薬物、か……。もしそうだとすれば、この商会の悪事は、私たちが想像していた以上に根深いものかもしれません」
シルヴィアは物陰からさらに目を凝らした。荷馬車の周りには、先日見かけたのと同じ見張りの男たちが数人、周囲を警戒するように立っている。その中の一人が、落ちた木箱の中身を慌てて拾い集め、周囲を見回してから、素早く別の箱に詰め直しているのが見えた。
(あの慌てぶり、明らかに後ろめたいことをしている証拠だな)
シルヴィアは元聖騎士としての観察眼で、その一連の動きを注意深く記憶に刻んだ。証拠として押さえるには、まだ材料が足りない。だが、この倉庫が何らかの違法行為の拠点であることは、もはや疑いようのない事実だった。
二人はそれ以上の観察を諦め、慎重にその場を後にした。この重大な手がかりを、一刻も早く仲間たちと共有する必要があった。
帰り道、ミミがふと不安げな顔でシルヴィアを見上げた。
「シルヴィアお姉ちゃん、あの人たち、本当に怖い人たちなのですか」
「……分かりません。ですが、少なくとも、褒められた仕事をしている人々ではないでしょう」
「そっか……。早くご主人様たちに教えてあげたいのです」
「ええ、急ぎましょう」
一方、リーゼロッテは街の商業ギルドを再訪し、より詳細な情報を集めていた。
「以前お伺いした黄金杯商会の件で、もう少し詳しくお聞きしたいのですが」
「……また、その話ですか」
受付の女性職員は、僅かに困惑した表情を見せた後、周囲を気にしながら声を潜めた。
「実は、あなた方が来られた後、私の方でも少し気になって、こっそり調べてみたのです。……商会の帳簿の一部に、不自然な資金の流れがあることが分かりました」
「不自然な資金の流れ、ですか」
「はい。表向きの商売の規模に見合わない、多額の現金が定期的に動いているようなのです。詳しい出所までは分かりませんでしたが……」
「なるほど。それは非常に有益な情報です。ありがとうございます」
リーゼロッテは丁寧に礼を述べ、ギルドを後にした。頭の中で、これまでに集めた断片的な情報が、少しずつ一つの絵図として繋がり始めていた。
ギルドを出た後、リーゼロッテは市場に立ち寄り、さらにいくつかの情報を集めて回った。以前話を聞いた老婆の露店に再び顔を出すと、老婆は懐かしそうに彼女を迎えた。
「おや、また来たのかい、お嬢さん」
「ええ、少し確認したいことがありまして。商会の関係者について、何かご存知でしたら」
「そうさねえ……。そういえば、商会の幹部の一人に、ゴードンとかいう男がいるって話は聞いたことがあるよ。随分と羽振りが良くてね、この街の有力者たちにも顔が利くらしいじゃないか」
「ゴードン、ですか」
リーゼロッテの脳裏に、先日賭場で対面した恰幅の良い男の顔が浮かぶ。物腰は柔らかいが、その奥に潜む油断のならない気配を、彼女もまた鮮明に記憶していた。
「その男について、他に何か噂は」
「うーん、詳しいことまでは分からないけどねえ。ただ、あの男が街に来てから、急に物騒な噂が増えたって話は、あちこちで耳にするよ」
「貴重な情報、重ねてありがとうございます」
リーゼロッテは老婆に礼を告げ、宿への帰路についた。頭の中では、既に次の一手について、様々な可能性が巡り始めていた。
夕刻、四人は再び黒猫亭に集まり、それぞれの調査結果を報告し合った。
「――というわけで、あの倉庫の荷物には、商会の紋章が入った馬車が使われていました。そして、中身は恐らく違法な薬草の類かと」
シルヴィアの報告に、アキトの表情が険しくなった。
「賭場の運営だけじゃなく、薬物の密売にまで手を出してるってことか」
「その可能性が高いです」
「私の方でも、商会の帳簿に不自然な資金の流れがあるという情報を得ました。恐らく、賭場の収益とは別に、何らかの裏収入があるものと思われます」
リーゼロッテの報告に、アキトは腕を組みながら唸った。
「なるほどな……。つまり、あの賭場は、ただの阿漕な商売の場ってだけじゃなく、もっと大きな悪事の隠れ蓑になってるってわけか」
「その通りだと思います」
アキトはしばし黙り込んだ後、静かに口を開いた。
「三日後の催しってのは、もしかしたら、その裏取引と何か関係があるのかもしれねえな。招待客の中に、薬物の売買相手が紛れ込んでる可能性もある」
「十分に考えられます」
リーゼロッテが老婆から聞いた情報を付け加えた。
「それと、あの商会の幹部、ゴードンという男についても、少し噂を集めてきました。この街に来てから急に物騒な噂が増えたとのことです。恐らく、彼が街の裏社会と何らかの繋がりを持っている可能性が高いでしょう」
「ゴードンね。……あの薄気味悪い笑い方をしてた男か」
「はい。表向きは紳士的な振る舞いをしていますが、あの目の奥には、油断のならない光がありました」
その推測に、ミミが不安げな表情を浮かべた。
「ご主人様、大丈夫なのですか。そんな危ない場所に、本当に行くのです?」
「心配すんな、ミミ。危ねえからこそ、行く価値があるんだよ」
アキトはミミの頭を軽く撫でながら、不敵に笑った。
「それに、こういう手合いは大抵、自分の力を過信してるもんだ。そこに付け入る隙が、必ずある」
「油断は禁物ですよ」
「分かってるって、リーゼ」
その夜、アキトは一人、宿の裏庭で夜空を見上げながら、これまでの情報を頭の中で整理していた。
(賭場の運営、法外な貸付、そして違法な薬物の密売……。この街の闇は、思ったより深そうだな)
背後から静かな足音が近づいてくる。振り返ると、リーゼロッテが小さなランプを片手に立っていた。
「まだ起きていたのですか」
「ああ。ちょっと頭の中を整理してた」
「三日後のこと、やはり不安ですか」
「不安っていうより……。むしろ、腹が立ってるんだよ」
アキトは珍しく、真剣な表情でそう呟いた。
「弱者から金を巻き上げるだけならまだしも、薬物にまで手を出して、人の人生を食い物にしてるんだとしたら……。そういうやり方は、俺が一番嫌いなタイプの悪党のやり口だ」
リーゼロッテはしばし黙り込んだ後、静かに口を開いた。
「あなたのそういうところ、私は嫌いではありません。クズで軽薄なくせに、本当に許せないことに対しては、誰よりも本気で怒る。……そのちぐはぐさが、あなたという人間の、一番の魅力なのかもしれませんね」
「褒められてる気がしねえな、それ」
「褒めているのですよ、これでも」
リーゼロッテはくすりと笑いながら、アキトの隣に腰を下ろした。夜空には、変わらぬ星々が静かに瞬いている。
「思えば、あなたと出会ってから、随分と価値観が変わりました。以前の私であれば、こうした厄介事には関わろうとも思わなかったでしょう。効率よく、波風立てずにカジノを運営することだけを考えていました」
「今は違うのか」
「ええ。今は、たとえ厄介であっても、見過ごせないものは見過ごせません。……あなたに影響された結果でしょうね、これも」
「悪い影響だったら謝るぜ」
「いいえ。むしろ、悪くない変化だと思っています」
「三日後、私も全力でサポートします。あなたが正しいと信じる勝負のために」
「ああ、頼りにしてるぜ」
二人はしばし、言葉を交わすことなく、静かな夜の時間を共有していた。やがてリーゼロッテが小さく欠伸を漏らす。
「そろそろ休みましょう。明日からも忙しくなりそうです」
「ああ、そうだな」
二人は連れ立って宿の中へと戻っていった。三日後に迫る未知の勝負に向け、それぞれの覚悟が、静かに、しかし確実に固まりつつあった。
三日後の勝負を前に、シルヴィアはふと真剣な眼差しでアキトに問いかけた。
「アキト殿。三日後の勝負、私にできることがあれば、何なりとお申し付けください。剣の腕でお役に立てずとも、せめて後方から支援ができればと思います」
「頼りにしてるよ、シルヴィア。……もっとも、当日は表立って剣を抜くような真似は避けたいところだ。あくまで正々堂々、勝負でケリをつける」
「承知しております。ですが、万が一の際は、遠慮なくお声がけください」
その頼もしい言葉に、アキトは小さく頷いた。仲間たちのそれぞれの覚悟と決意が、この三日間で一段と固まっていくのを、アキトは肌で感じ取っていた。
ミミもまた、その様子を見つめながら、小さな決意を胸に抱いていた。戦う力こそないものの、鋭い嗅覚と直感で仲間たちを支えることこそが、自分にできる何よりの貢献だと、幼いながらに理解していた。
「ミミも、頑張るのです! みんなの役に立てるよう、精一杯頑張るのです!」
その健気な言葉に、その場にいた全員が、自然と笑顔をこぼした。全財産を失い、追われる身となったこの旅の果てに、それでも確かな絆で結ばれた四人の間には、恐れよりも遥かに強い、揺るぎない結束が芽生えていた。
こうして三日間という限られた時間の中で、四人はそれぞれの持ち場で、できる限りの準備を積み重ねていった。情報収集、技術の鍛錬、そして何より、互いへの信頼を深めること。それら全てが、三日後に待ち受ける未知の勝負を乗り越えるための、確かな礎となっていくのだった。
そして三日目の夜、明日にはいよいよ、あの黄金杯商会の賭場で運命の勝負が幕を開ける。四人はそれぞれの想いを胸に、静かにその時を待ち構えていた。
リーゼロッテは静かに帳簿を整理しながら、これまでに集めた情報を丁寧に書き記していった。証拠として使えるかもしれない断片の一つ一つを、決して見逃さないように。
明日、いよいよ全てが動き出す。




