第31話 新天地、それぞれの朝
「――というわけで、こいつは正当な勝負の結果だ。悪く思うなよ」
ガロから受け取った銅貨の山を数えながら、アキトは満足げに口笛を吹いた。
「よし、これだけありゃ、当面の宿代と飯代には困らねえな」
「三本勝負とはいえ、随分とあっさり決着がついたものですね」
リーゼロッテがテーブルに近づきながら、感心したように呟く。ガロは苦笑いを浮かべつつも、意外なほどさっぱりとした様子で、負けを受け入れていた。
「いやあ、参ったね兄さん。この街に来て五年、俺がサイコロで負けたのは初めてだよ」
「悪いな。こっちも命懸けの逃避行の後で、身一つで稼がなきゃならねえ事情があってな」
「命懸けの逃避行、ねえ……。詳しくは聞かねえが、随分と訳ありなんだな」
ガロは興味深そうにアキトたちを見回した後、豪快に笑った。
「まあいいさ。負けは負けだ。それに、久しぶりに骨のある勝負ができて、正直楽しかったぜ。……なあ兄さん、もしよかったら、この街に留まるつもりなら、俺の運送屋の仕事、手伝わねえか? 力仕事の人手が足りなくて困ってたところなんだ」
「運送屋、ねえ」
アキトは腕を組んで考え込む素振りを見せた。
「悪くねえ話だが、俺は力仕事より頭を使う仕事の方が得意でな」
「はっはっは、そりゃそうだろうな。あんたのそのサイコロ捌き見りゃ分かるさ。だが人手は人手だ、悪い話じゃねえと思うぜ」
その提案に、リーゼロッテが横から口を挟んだ。
「アキト。当面の生活資金を稼ぐという意味では、悪くない話だと思いますが」
「……まあ、考えとくよ」
ガロは名残惜しそうに立ち去る際、店の常連たちにアキトたちのことを吹聴していった。おかげで、周囲の客たちからも興味津々の視線が集まる羽目になったが、それも今のアキトたちにとっては、悪い話ではなかった。見知らぬ土地で顔を覚えてもらうことは、これからの生活において、決して無駄にはならない。
「随分と顔が広くなりましたね、この短時間で」
「これも処世術の一つだ。知らねえ土地で生き延びるには、まず顔を売ることから始まる」
「まるで前世からの受け売りのような口ぶりですね」
「事実、受け売りだからな」
振り返れば、前世でも似たようなやり取りを、幾度となく繰り返してきた。見知らぬ土地に流れ着いては、その日暮らしの人間関係を築き、また次の土地へと渡り歩く。そんな根無し草のような生き方こそが、佐藤駆という男の本質だった。だが今は、独りではない。その事実だけが、これまでの流浪の日々とは決定的に違っていた。
女将に頼んで、二階の空き部屋を二部屋借りることができた。決して広くはないが、清潔な寝具と、雨風を凌げる屋根があるだけで、昨夜までの逃避行を思えば天国のような環境だった。
「ようやく、まともに眠れそうです」
リーゼロッテはベッドに腰掛けながら、深い溜息をついた。裸足のまま歩き通した足には、包帯代わりの布が巻かれている。女将が気を利かせて、傷薬まで分けてくれていた。
「悪いな、リーゼ。お前には特に苦労かけた」
「今更、何を仰るのですか。……それに」
リーゼロッテはふと視線を上げ、アキトを見つめた。
「あなたが隣にいてくれるなら、多少の苦労は苦労のうちに入りません」
その言葉に、アキトは一瞬言葉を詰まらせた後、照れ隠しのように頭を掻いた。
「……そういう殊勝なこと言われると、調子狂うな」
「あら、珍しく素直な反応ですね」
「うるせえ」
リーゼロッテはくすりと笑いながら、傷ついた足に薬を塗り込んでいく。その横顔を見つめながら、アキトはふと、この旅の始まりからここまでの日々を思い返していた。裏カジノで出会った頃、彼女は氷のように冷たい態度でアキトを見下していた。それが今では、こうして自然な軽口を交わす仲になっている。人生とは、本当に分からないものだと、アキトは内心で苦笑した。
隣の部屋では、シルヴィアが窓辺に立ち、遠くの空を見つめていた。ノックの音に振り返ると、ミミが小さな顔を覗かせている。
「シルヴィアお姉ちゃん、何を見てるのです?」
「……いえ、少し。故郷の方角を眺めていただけです」
「寂しい、ですか?」
シルヴィアは小さく首を振った。
「寂しくない、と言えば嘘になりますね。あの街には、私が守ろうとしてきたものが、確かにありました。……ですが」
彼女は窓辺から離れ、ミミの隣に腰を下ろした。
「今の私には、守るべきもう一つの場所ができました。それがこの旅であり、あなたたちなのだと思うと、不思議と後悔はないのです」
「シルヴィアお姉ちゃん……」
ミミはシルヴィアの腕にそっと抱きつく。年若い聖騎士――いや、元聖騎士は、その温もりに小さく微笑んだ。
「それにしても、ミミ。あなたは怖くないのですか。全てを失い、追われる身となったこの状況が」
「怖い、です。でも」
ミミは少し考えるように首を傾げた後、顔を上げた。
「奴隷市場にいた頃、ミミは毎日、もっと怖かったのです。誰にも必要とされないまま、いつか売られていく日を、ただ待つだけの日々でした。それに比べたら、今は全然怖くないのです。だって、ご主人様も、シルヴィアお姉ちゃんも、リーゼお姉ちゃんも、みんな一緒にいてくれるから」
その素直な言葉に、シルヴィアはしばし言葉を失った後、静かに目を細めた。
「……あなたは、私よりもよほど強いのかもしれませんね」
「そんなことないのです。ミミ、ただご主人様たちが好きなだけなのです」
窓の外では、夕暮れの光が街並みを橙色に染め始めていた。二人はしばらくの間、その景色を並んで眺めていた。
夕刻、四人は再び一階の食堂に集まった。ガロが差し入れてくれたという干し肉と、女将特製のシチューが、テーブルに所狭しと並べられている。
「今日は世話になったな、女将さん」
「なに、困った時はお互い様さ。……それにしても、あんたたち、これからどうするつもりだい?」
「まだ具体的には決めてねえよ。とりあえず、この街でしばらく様子を見ながら、次の一手を考えるつもりだ」
女将は興味深そうにアキトたちを見回した後、ふと声を潜めた。
「そういえば、ちょうどいい話があるんだけどね。この街の近くに、最近ちょっとした賭場が新しくできたって噂を聞いたよ。腕に覚えのある博徒が集まって、なかなか盛況らしいじゃないか」
「ほう、賭場ね」
アキトの目が、興味深そうに光る。
「詳しく聞かせてくれよ、女将さん」
「あたしもそんなに詳しくは知らないけどね。何でも、この辺りを治めてる領主様が、税収のために公認した賭場らしくてね。ただの遊び場じゃなく、結構な大金が動いてるって話だよ」
「領主公認の賭場、か。面白そうじゃねえか」
アキトの口元に、これまでとは違う種類の笑みが浮かぶ。単なる腹ごしらえの興味ではなく、博徒としての本能が、久しぶりに強く疼き始めていた。
「アキト。まさか、また無茶をするつもりでは……」
「無茶とは失礼な。俺はいつだって、勝算のある勝負しかしねえよ」
「その台詞、天馬杯の前にも聞いた覚えがあるのですが」
「あれは不可抗力だ。くしゃみまでは計算できねえだろうが」
リーゼロッテは深い溜息をついたが、それでもその表情には、どこか諦めにも似た、それでいて温かい信頼が滲んでいた。
「ですが、正直に申しますと……。私も、少し興味があります」
「お、リーゼも乗り気か」
「ええ。私も元はディーラーです。他所の賭場がどのように運営されているのか、単純に興味が湧きます。それに」
リーゼロッテは僅かに口角を上げた。
「あなたが暴走しないよう、しっかり見張っておく必要もありますからね」
「信用ねえなあ、おい」
「これまでの実績を鑑みての判断です」
女将はそのやり取りを見ながら、楽しそうに笑った。
「仲がいいねえ、あんたたち。まあ、賭場の場所なら、明日にでも詳しい人を紹介してやるよ。この街の顔役みたいな人がいてね、あの人に聞けば、大抵のことは分かるはずさ」
「助かるよ、女将さん」
「いいってことよ。……ただし、あんまり無茶はするんじゃないよ。この街に来たばかりの余所者が、あんまり目立つ真似すると、面倒事に巻き込まれかねないからね」
その忠告に、アキトは神妙な顔で頷いた。もっとも、その内心では、既に新たな勝負への期待が、抑えきれないほど膨らみ始めていた。
食事を終えた後、アキトは一人、酒場の外に出て、夜空を見上げていた。国境を越えたこの街の空も、故郷を思わせる星々が瞬いている。
「……まあ、なんとかなるもんだな」
全財産を失い、地位も屋敷も失った。だが、隣には信頼できる仲間たちがいて、懐には今夜の宿代を超える銅貨がある。それだけで、十分すぎるほどの再出発の材料だった。
背後から、静かな足音が近づいてくる。振り返ると、リーゼロッテが小さなランプを片手に立っていた。
「こんな時間に、一人で何を考えていたのですか」
「別に、大したことじゃねえよ。ただ、これからのことを、ちょっとな」
「これから、というと」
「決まってんだろ。あの賭場に殴り込みをかけて、また一儲けする算段だよ」
アキトはニヤリと笑いながら、懐の銅貨を軽く弾いて見せた。その仕草は、まるでこの旅の始まりの日と、寸分違わぬものだった。
「一文無しから、また這い上がる。それが俺たちのやり方だろうが」
リーゼロッテは呆れたように肩を竦めたが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
「本当に、懲りない人ですね、あなたという人は」
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
夜空の下、二人はしばし、言葉を交わすことなく並んで星を見上げていた。全てを失った旅の果てに、それでも確かに、新しい何かが始まろうとしている。その予感だけが、二人の胸に静かに、しかし確実に広がっていた。
「なあ、リーゼ」
「なんでしょうか」
「後悔してねえか。俺と一緒にいることを」
その問いに、リーゼロッテは少し驚いたように目を見開いた後、静かに笑った。
「今更、そんなことを聞くのですか」
「今だからこそ聞きたいんだよ。全部失って、一文無しになって、それでもお前がまだ隣にいてくれる理由を」
リーゼロッテはしばし考え込むように視線を落とした後、ゆっくりと口を開いた。
「裏カジノで、あなたに全てを奪われたあの日。私は正直、あなたのことを軽薄で最低な男だと思っていました。ですが……」
彼女は夜空を見上げながら、続けた。
「あなたと過ごす日々の中で、私は気づいたのです。あなたは金や地位に固執しているようで、実は誰よりも、目の前の勝負そのものと、それを共に戦う仲間を大切にしている。そのことに」
「……買いかぶりすぎだろ、それ」
「買いかぶりでしょうか。少なくとも私には、そう見えます」
リーゼロッテはアキトの方を向き、真っ直ぐに見つめた。
「後悔などしていません。むしろ、これから始まる新しい賭けに、少しだけ心が躍っているくらいです」
その言葉に、アキトはしばし黙り込んだ後、小さく笑った。
「……そうかよ。だったら、これからも頼りにさせてもらうぜ」
「望むところです」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。国境を越えたこの見知らぬ街の夜空には、故郷でも見た覚えのある星々が、変わらず静かに瞬いていた。全てを失ってなお、こうして誰かと肩を並べていられることの尊さを、アキトは今更ながらに噛み締めていた。
翌朝、四人は改めて顔を突き合わせ、これからの方針について話し合った。
「まずは、この街の賭場の噂を集めるところからだな。女将から聞いた話だけじゃ、まだ情報が足りねえ」
「私が街の人々から話を聞いてまいりましょう。ディーラーとしての経験は、こういう時にも役立つはずです」
「私は周辺の警備状況や、領主の勢力について調べてみます。元聖騎士としての伝手が、多少なりとも役に立つかもしれません」
「ミミは、街の匂いを覚えてくるのです! 何か危ない匂いがしたら、ちゃんと教えるのです!」
それぞれの得意分野を活かした役割分担に、アキトは満足げに頷いた。
「よし、それでいこう。今日のところは情報収集、明日以降、本格的に動き出す」
役割分担を決めた後、アキトはふと真面目な表情になり、三人を見回した。
「一つだけ、言っておきたいことがある」
「なんでしょうか、アキト」
「今回の件は、俺のせいで全員を巻き込んだ。それは分かってる。だが……これから先も、俺は俺のやり方を変えるつもりはねえ。危険を承知で大博打に出ることもあるだろうし、また同じような失敗をするかもしれねえ」
その言葉に、三人はそれぞれ顔を見合わせた。アキトは続ける。
「だから、もしこの先、ついていくのがしんどくなったら、遠慮なく言ってくれ。無理に付き合わせるつもりはねえからよ」
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはリーゼロッテだった。
「馬鹿なことを仰いますね。今更、そんな確認をされるとは思いませんでした」
「リーゼ……」
「私はあなたの相棒であり、財布番です。あなたが博打を打つ限り、私はその隣で帳簿をつけ続けます。それだけの話です」
シルヴィアも力強く頷いた。
「私も同様です。あなたの生き様に、もはや文句をつける気はありません。ただ、隣で見守らせていただければ、それで十分です」
ミミはアキトの膝に飛び乗ると、満面の笑みを浮かべた。
「ミミも、ずっとご主人様と一緒なのです! どこまでもついていくのです!」
その温かい言葉の数々に、アキトは一瞬、目頭が熱くなるのを感じた。それを誤魔化すように、わざとらしく咳払いをする。
「……そうかよ。なら、遠慮なく振り回させてもらうぜ」
四人は互いに顔を見合わせ、それぞれに小さく笑った。全財産を失い、追われる身となったこの旅の果てに、新たな一歩が、静かに、しかし確かに踏み出されようとしていた。
朝日が『黒猫亭』の窓を優しく照らす中、アキトたちの新しいギャンブルライフは、こうして小さな街の片隅から、再び動き出していくのだった。
窓の外では、新しい一日を迎えた街の喧騒が、少しずつ活気を帯び始めていた。行商人の呼び込みの声、荷馬車の車輪の音、鶏の鳴き声――そのどれもが、これから始まる新たな物語の、静かな幕開けを告げているかのようだった。




