第28話 一文無しのギロチンロード
「――というわけで、カジノ『フォルトゥーナ』改め『黄金の疾風亭』の所有権は、本日付けをもちまして、正式に競売にかけられることとなりました」
レースの興奮も冷めやらぬ翌朝、屋敷の応接間には、値踏みするような目つきの役人と、それに追従する取り立て屋たちがずらりと並んでいた。書類を捲る音だけが、やけに大きく響く。
「馬鹿な、そんな……たった一晩でこんな……」
リーゼロッテが震える声で書類を睨みつける。昨夜のうちに走った早馬によって、天馬杯での大負けの噂は、既に街中の債権者たちの間を駆け巡っていた。カジノの経営権を担保にしていた借入金、増築工事の未払い、さらには祝勝会の際に気前よく振る舞った酒代の請求書まで、まるで示し合わせたかのように一斉に押し寄せてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。返済期限はまだ――」
「アキト様。天馬杯の単勝券に全財産を投じたという情報は、既に街中に知れ渡っております。……失礼ながら、返済能力に著しい疑義が生じたと判断せざるを得ません」
役人は眼鏡を押し上げながら、事務的な口調で淡々と告げる。その視線には、もはや街の救世主に対する敬意など欠片も残っていなかった。
「ぐ……」
アキトは唸るしかなかった。反論の余地もない、完全な正論だった。
「アキト……」
リーゼロッテが低い声で名を呼ぶ。振り向いたアキトの目に映ったのは、これまで見たことのない、静かな怒りを湛えた表情だった。
「私が、何年かけてこのカジノの帳簿を綺麗にしたと思っているのですか。私が、何回徹夜して利益率を計算したと思っているのですか。それを、あなたは……くしゃみひとつで」
「リーゼ、それは本当に、その、悪気は……」
「悪気があろうがなかろうが、結果は同じです!」
リーゼロッテの怒声が応接間に響き渡る。役人たちが慌てて視線を逸らした。
シルヴィアは腕を組んだまま、深い溜息をついている。
「アキト殿。正直に申し上げますと、私はこうなることをどこかで予感しておりました」
「おい、後出しで言うのは卑怯だろ」
「事実です。……ですが」
シルヴィアはふと表情を緩めた。
「不思議と、怒りよりも呆れの方が大きいのです。あなたという人は、本当にどこまでも、規格外の博徒なのですね」
「褒めてんのか、それ」
「さあ、どうでしょうか」
ミミはというと、応接間の隅で小さくしゃがみ込み、床に落ちていた何かを拾い上げていた。
「あ……」
「ミミ、どうした」
「銅貨が三枚、落ちてました。誰かの落とし物、なのです」
小さな手のひらに乗った、くすんだ銅貨三枚。アキトはそれを見て、思わず乾いた笑いを漏らした。
「……はは。振り出しに戻ったってことか」
「振り出し、なのですか?」
「ああ。俺がこの世界に来た時も、確か銅貨三枚から始まったんだよな」
異世界に転生した直後、側溝に落ちていた三枚の銅貨からスキルを試し、軍資金を稼いだあの日のことを思い出す。あの時は一人だった。今は、隣に三人もの女がいる。それだけが、唯一の救いのように思えた。
役人たちが屋敷中の資産目録を作成し終える頃には、既に日が傾き始めていた。豪奢な調度品にも、庭園の彫刻にも、次々と差し押さえの札が貼られていく様は、見ているだけで胃が痛くなる光景だった。
「アキト様。本日この場で、身柄の拘束までは致しませんが……明日以降、返済の目処が立たない場合は、しかるべき手続きに則り、労働による債務弁済、いわゆる借金奴隷としての処遇に移行することとなります」
役人の淡々とした通告に、応接間の空気が一気に凍りついた。
「……借金、奴隷?」
アキトの声が、初めて本気で掠れた。
「はい。この国の法では、返済不能な多額の債務者は、然るべき機関において労働に従事し、その対価をもって弁済に充てる義務を負います。もちろん、同居のご婦人方につきましても、連座の可能性が――」
「――ちょっと待て」
アキトは役人の言葉を遮った。その声には、これまでのへらへらとした軽さが消えていた。
「リーゼやシルヴィア、ミミにまで累が及ぶってのは、聞き捨てならねえな」
「規則ですので」
「規則ね」
アキトは低く笑うと、リーゼロッテたちを振り返った。三人の視線が、真剣な色を帯びてアキトを見つめている。
「――今夜、出るぞ」
その一言で、全員が理解した。
深夜、屋敷の裏門。既に見張りの数も減り、警備も手薄になったその隙を突いて、アキトたちは最低限の荷物だけを抱え、静かに屋敷を抜け出した。
「本当に、これで良かったのですか。逃げれば、正式に指名手配される可能性もあります」
「リーゼ、今更聞くことか? お前ならとっくに覚悟決めてるだろ」
「……ええ、まあ。腹は括っております」
シルヴィアは聖剣を背負い直しながら、月明かりの下で小さく頷いた。
「私も、共に参ります。……正義の剣として、というよりは。今はただ、あなたたちを一人にしたくない、という個人的な感情からですが」
「それで十分だ」
ミミはアキトの背中にしがみつきながら、小さな声で囁いた。
「ご主人様、また一からなのですね」
「ああ。だが今回は、一人じゃねえ」
アキトはそう言うと、懐にしまった銅貨三枚を指先で確かめるように弄んだ。全財産も、屋敷も、地位も、全てを失った。だが不思議と、絶望の色はどこにもなかった。
むしろ、これから始まる新たな博打の予感に、アキトの口元は自然と笑みの形を作っていた。
「さあ、行くぞ。次の街まで」
月明かりの下、四人の影は、追手の松明が屋敷に灯る前に、静かに闇の中へと消えていった。




