第18話 街の救世主、そして次なる野望
バルザス事件から数日が経った。
街は、この短期間で起きた激動の出来事に、まだ興奮冷めやらぬ様子だった。裏でカジノ街を牛耳っていた悪徳貴族の逮捕、その罪状の数々――違法賭博、脅迫、誘拐、そして数々の不正――が公になると、街中がその話題で持ちきりになった。
あの夜以来、街の様子は少しずつ変わり始めていた。バルザスの支配下にあった裏カジノは次々と摘発され、正規の営業許可を持たない賭博場は軒並み閉鎖に追い込まれていた。表向きの繁栄の裏に隠れていた腐敗が、一気に洗い流されていくような光景だった。
「聞いたか、あの噂の博徒が、バルザス卿の悪事を暴いたらしいぜ」
「ああ、なんでも命懸けのロシアンルーレットで打ち負かしたとか」
「聖騎士団長様まで乱入したって話じゃないか。まるで英雄譚だな」
街を歩けば、そんな噂話があちこちから聞こえてくる。最初のうちは、俺自身も居心地の悪さを感じていたが、次第に慣れてきた自分がいた。道行く人々が、俺の顔を見るなり会釈をしてきたり、屋台の店主が「英雄殿には特別サービスだ」と勝手に品物をおまけしてくれたりと、これまでとは明らかに違う扱いを受けるようになっていた。
街の議会からも、正式な感謝状が届けられた。堅苦しい文面で綴られたそれには、俺の名前と共に「街の平和に多大なる貢献をした人物」という、なんとも面映ゆい形容が記されていた。バルザスに与していた一部の貴族たちからは、今回の一件で権力基盤を失ったことへの恨み言も聞こえてくるという話だったが、そちらについては、リーゼロッテが慎重に情報を集めてくれていた。
正直なところ、悪い気分ではなかった。前世でも今世でも、こうして街の人々から感謝される経験は、そう頻繁にあるものではない。むしろ、賭博の世界で生きてきた身としては、こういう「まっとうな評価」を受けること自体が、ある種の新鮮な驚きだった。
「アキト様、また新しい依頼が届いております」
宿の一室で、リーゼロッテが山のような書類を抱えながら、そう報告してきた。
「なんだ、今度は」
「バルザス卿が経営していたカジノや店舗の権利について、街の議会から正式な譲渡の申し出です」
「……はあ?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。まさか、勝負に勝った結果として、こんな話が転がり込んでくるとは、微塵も想像していなかった。異世界というのは、本当に何が起こるか分からないものだと、改めて実感させられる出来事だった。
*
「街としては、バルザス卿の悪事を暴いた功労者であるアキト様に、その資産の一部を譲渡することで、正式な感謝の意を示したいとのことです」
リーゼロッテの説明によれば、バルザスが不正に蓄えていた資産や店舗は、街の議会によって没収され、その一部が俺に対する報奨として提示されたらしい。中でも目を引いたのは、バルザスが表向き経営していた、あの地下闘技場のあった邸宅と、街に点在するいくつかの中規模カジノの経営権だった。
「カジノの経営権、ね……」
俺は顎を撫でながら考えた。働くのは嫌いだ。だが、カジノのオーナーという立場は、また違った意味で面白そうな響きがある。これまでは客として卓に着くだけだったが、経営する側に回れば、また違った景色が見えてくるかもしれない。
「受けるべきかと存じます。断れば、街との関係にも支障が出かねません」
「まあ、そうだろうな」
「それに」
リーゼロッテは、珍しく口の端を緩めた。
「オーナーになれば、あなたが自ら卓に着かずとも、好きなだけ賭博の場を楽しめる立場になります。悪くない話では?」
「……あんた、いつの間にそんな悪い顔できるようになったんだよ」
「あなたと一緒にいれば、自然と染みつくものです」
俺は思わず笑った。この女、すっかり毒されてきているらしい。もっとも、それを嘆く気にはならなかった。むしろ、こういう軽口を叩き合える関係になれたことが、素直に嬉しかった。
「それで、経営の実務は誰がやるんだ」
「無論、私が全て取り仕切ります。あなたには、経営に関する意思決定と、対外的な看板役をお願いすることになります」
「つまり、俺は何もしなくていいってことか」
「その通りです。ただし、無茶な出費だけは、私が全力で止めさせていただきますが」
俺は思わず苦笑した。この女の財布担当としての手腕は、既に折り紙付きだ。任せておけば、間違いはないだろう。
「それにしても、まさか俺がカジノのオーナーになる日が来るとはな。前世じゃ考えられなかった話だ」
「前世、というのは、以前もおっしゃっていましたね。一体どのような世界からいらしたのですか」
リーゼロッテが、ふと興味深げに尋ねてきた。俺はしばらく考えてから、曖昧に答えた。
「まあ、色々あってな。詳しくは、また今度話すよ」
「……そうですか」
リーゼロッテはそれ以上追及しなかった。この女なりの気遣いなのだろう。前世の話は、いずれ落ち着いた時にでも、ゆっくり語ることにしよう。今はまだ、この異世界での日々を積み重ねていくことの方が大事だった。
*
その夜、俺たちは久しぶりに、ゆったりとした時間を過ごしていた。
宿の食堂で、ミミが張り切って腕を振るった料理が並んでいる。以前より格段に上達した手つきで、ミミは満足げに料理を並べていった。テーブルには、香ばしい匂いを漂わせるロースト肉や、彩り豊かな野菜のスープ、そして見慣れない果物を使ったデザートまで並んでいた。
「ご主人様、シルヴィア様、リーゼロッテ様、召し上がれです!」
「おお、随分と腕を上げたじゃねえか」
「えへへ、リーゼロッテ様に色々教えてもらったんです!」
ミミは嬉しそうに尻尾を揺らしながら、席についた。この数日で、あの地下闘技場での恐怖の記憶も、少しずつ癒えてきているようだった。時折、夜中に魘される様子も見られたが、それも日を追うごとに少なくなっていた。
「シルヴィア、あんたも今夜は非番なのか」
「ああ。今日ばかりは、団の方から強制的に休暇を命じられてな」
シルヴィアは苦笑しながら答えた。今回の事件での活躍を受けて、聖騎士団内でも彼女の評価は大きく上がったらしい。とはいえ、当の本人はあまり気にしていない様子だった。
「団長になってから、まともに休んだ記憶がない。こうして仲間と食卓を囲む時間も、実に久しぶりだ」
「そうか。だったら、今夜はゆっくりしてけよ」
「ああ、そうさせてもらう」
シルヴィアは珍しく素直に頷いた。普段の生真面目さが少し緩んだその表情には、この街に来てからの日々で築かれた信頼関係が滲んでいた。
ふと、シルヴィアがミミの方を見やった。
「ミミ、あの夜は本当に怖い思いをしただろう。よく頑張ったな」
「シルヴィア様……」
「もう大丈夫だ。私も、これからは以前にも増して、この街の治安に目を光らせておく。二度とあのような目には遭わせない」
シルヴィアの真剣な言葉に、ミミは少し涙ぐみながら、こくりと頷いた。この生真面目な聖騎士団長が、こうして仲間を気遣う姿を見せてくれることに、俺は改めて温かい気持ちになった。
「それにしても、アキトがカジノのオーナーになるとはな。世の中、何が起こるか分からんものだ」
「まったくだ。俺自身、驚いてるよ」
食卓を囲みながら、俺たちは他愛のない会話に花を咲かせた。命懸けの戦いを乗り越えたからこそ味わえる、この穏やかな時間の尊さを、俺は改めて噛みしめていた。
ミミが淹れてくれた茶を飲みながら、俺はふと窓の外に目をやった。夜空には、いつもの二つの月が、静かに輝いている。この光景を見るのも、もうすっかり見慣れたものになっていた。異世界に来て、まだそれほど長い時間が経っていないというのに、この暮らしが当たり前のものとして体に馴染んでいることが、不思議でもあり、同時に嬉しくもあった。
*
食事が終わった頃、リーゼロッテが一枚の書状を取り出した。
「アキト様、もう一つご報告が」
「まだ何かあるのか」
「隣国から、とある噂が届いております。『天才ギャンブラー』と呼ばれる人物が、近々この街を訪れるとの情報です」
「天才ギャンブラー、ね」
俺は興味深げに眉を上げた。
「その人物、随分と名の知れた博徒らしく、これまで挑んだ勝負で一度も負けたことがないという噂です。近隣諸国のカジノを次々と渡り歩き、行く先々で伝説を残しているとか」
「随分と大層な二つ名だな」
「フォルトゥーナ時代の伝手からも、似たような噂を耳にしたことがあります。どうやら、単なる誇張ではなく、実際にかなりの実力者らしいとのことです」
リーゼロッテの声には、珍しく緊張の色が滲んでいた。この女がこれほどまでに警戒を示すのは、それだけの相手だということなのだろう。
「聞くところによると、その人物は変幻自在の戦術を使い分け、相手の得意分野を逆手に取ることに長けているとか。カード勝負でもダイス勝負でも、あらゆるゲームで無敗を誇っているそうです」
「へえ、それは楽しみだ」
俺は思わず口の端を吊り上げた。バルザスとの命懸けの戦いを終えたばかりだというのに、新たな強敵の噂を聞いただけで、腹の奥から闘志が湧き上がってくる。これが、俺という博徒の性分なのだろう。
「アキト様、まだ休息が必要な時期かと」
「休むのは嫌いなんでね」
俺はニヤリと笑いながら、窓の外に広がる夜空を見上げた。二つの月が、静かに輝いている。
「それにしても、その天才ギャンブラーとやら、いつ頃この街に来るんだ」
「正確な時期はまだ分かりません。ですが、そう遠くない未来であることは確かなようです」
「へえ。だったら、それまでにカジノの経営も軌道に乗せておかねえとな。せっかくオーナーになったんだ、しっかり看板背負って迎え撃ってやるよ」
ミミが目を輝かせながら、俺の言葉に反応した。
「ご主人様、また新しい勝負するんですか?」
「ああ、そうなりそうだな」
「頑張ってください! ミミ、応援します!」
ミミの無邪気な応援に、俺は思わず頬を緩めた。この子の純粋な信頼が、いつも俺の背中を押してくれる。
「私も、微力ながら手助けしよう。今回の一件で、聖騎士団としても、貴殿への信頼は厚い」
シルヴィアも真剣な表情でそう申し出てくれた。この街に来て出会った仲間たちが、こうして次々と力を貸してくれることに、俺は改めて感謝の念を抱いていた。
「あんたら、頼りにしてるぜ」
「当然のことです」
リーゼロッテが、静かにそう答えた。その口調はいつも通り淡々としていたが、その奥には確かな信頼と絆が感じられた。
バルザスとの戦いは終わった。だが、俺の異世界ギャンブルライフは、まだまだこれから本番を迎える。カジノのオーナーとしての新しい日々、そして噂の天才ギャンブラーとの、いつか訪れるであろう対決。
「さて、次はどんな面白い勝負が待ってるかね」
俺は仲間たちの顔を見回しながら、静かに笑った。この街で始まった異世界ライフは、これからも、退屈とは無縁の日々が続いていくのだろう。そんな確信めいた予感を胸に、俺は新しい章の幕開けを、静かに迎えようとしていた。
窓の外では、二つの月が変わらず輝き続けていた。この光景を、これから先も何度も見ることになるのだろう。仲間たちと共に、新たな勝負へと挑む、そんな賑やかな日々が、まだまだ俺を待っている。
異世界に転生してから、まだそれほど長い時間は経っていない。それなのに、随分と濃密な日々を過ごしてきたものだと、俺は改めて実感していた。エルフの相棒、獣人の癒やし枠、そして頼れる聖騎士。この街で出会った仲間たちと共に、これから始まる新章にも、きっと退屈する暇などないだろう。
俺はグラスに残った酒を飲み干すと、仲間たちに向かって笑いかけた。
「よし、明日からはカジノ経営の準備だ。忙しくなるぞ」
「かしこまりました」
「はい、ご主人様!」
「うむ、任せておけ」
三者三様の返事が返ってくる中、俺は静かに、しかし確かな充実感を胸に、この夜を締めくくった。異世界での物語は、まだまだこれから続いていく。
窓の外の月明かりが、静かに部屋を照らしていた。ミミが眠そうに目を擦り始め、リーゼロッテがその様子に気づいて優しく声をかける。シルヴィアは満足げな表情で、久しぶりの休息を噛みしめているようだった。
この温かい光景こそが、俺がこの異世界で手に入れた、何よりも大切な財産なのかもしれない。金や地位、カジノの経営権よりも、ずっと価値のあるものを、俺は既に手にしていた。
そんなことを思いながら、俺はグラスに残った最後の一口を飲み干した。明日からの新しい日々に向けて、静かに気持ちを整えながら。
カジノのオーナーとしての生活、そして噂の天才ギャンブラーとの対決。これから待ち受ける新たな展開に、俺の心は既に高鳴り始めていた。異世界に転生してからというもの、退屈という言葉とは無縁の日々が続いている。それこそが、俺という博徒にとって、何よりの幸福なのかもしれない。
窓の外の二つの月が、俺たちの新しい門出を、静かに見守っているようだった。長い夜を乗り越え、新たな朝を迎えた俺たちの物語は、こうしてまた次の一頁へと、静かに歩みを進めていくのだった。カジノのオーナーという新しい肩書き、噂の天才ギャンブラーとの未来の対決、そして仲間たちとの絆――全てが、これから始まる新章への確かな土台となっていた。この街での日々は、まだまだ終わらない。俺たちの異世界ギャンブルライフは、これからも続いていくのだ。仲間たちと共に、次の勝負へ、次の物語へと。この街での日々に、俺は心から満足していた。そしてまだ見ぬ明日への期待に、胸を膨らませていた。俺の異世界ギャンブルライフは、まだまだこれから始まったばかりなのだった。




