第13話 悪徳貴族バルザスの歓待
招待状に記された日、俺とリーゼロッテは連れ立って、街の貴族街へと足を向けた。
ミミは宿に残してきた。何を言われても頑として「一緒に行きます」と譲らなかったが、最終的には「お前が留守番していてくれないと、宿の管理ができない」というリーゼロッテの説得に折れた形だった。実際のところは、危険な場所に連れて行きたくないという配慮が大部分だったが、そんな建前を用意してやるくらいの気配りは、この女には自然と備わっている。
出がけ、ミミは何度も俺の服の裾を掴んで、不安げな顔を見せていた。
「ご主人様、絶対に、絶対に無事に帰ってきてくださいね」
「心配すんな。俺はそう簡単にくたばらねえよ」
「約束ですよ」
小指を差し出してくるミミに、俺は少し戸惑いながらも指切りをしてやった。この世界にも、こういう子供じみた約束の作法があるとは思わなかったが、悪い気分ではなかった。
ミミの頭を軽く撫でてやると、耳が少しだけ嬉しそうに動いた。それでも、不安げな表情は完全には拭えていないようだった。この子なりに、俺たちが向かう先の危険性を、肌で感じ取っているのだろう。
「アキト様、心の準備はよろしいですか」
「準備も何も、行ってみなけりゃ分からねえだろ」
リーゼロッテは呆れたように小さく息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。彼女なりに、この一件がただの社交では終わらないことを、既に覚悟しているのだろう。
貴族街に足を踏み入れると、そこは庶民の暮らす区画とはまるで違う空気だった。石畳は磨き上げられ、街路樹は等間隔に整えられ、行き交う人々の服装も一段と豪奢になる。この街の富がどこに集中しているのか、一目で分かる光景だった。道行く貴族らしき人々は、俺たちのような明らかに場違いな風体の二人を、値踏みするような目でちらちらと見てくる。慣れない視線だったが、気にしている暇はなかった。
*
バルザスの邸宅は、貴族街の中でもひときわ大きな敷地を構えていた。
鉄柵で囲まれた庭園には、噴水と彫像が並び、これ見よがしの財力を誇示している。門番に招待状を見せると、あっさりと中へ通された。まるで、俺たちが来ることを、最初から見越していたかのような対応だった。
庭園を通り抜けながら、リーゼロッテが小声で囁いた。
「アキト様、この彫像、よく見てください。どれもこれも、明らかに他国から強奪してきたと思われる意匠です」
「詳しいな」
「フォルトゥーナで働いていた頃、美術品の売買にも多少関わっておりましたので」
リーゼロッテの指摘通り、彫像の様式はこの国のものとは明らかに異なっていた。この男が、どういう手段で富を築いてきたのか、庭園を歩くだけでも透けて見える気がした。
案内された広間は、金と紫を基調にした派手な内装で埋め尽くされていた。シャンデリアは煌々と輝き、壁には値の張りそうな絵画が並んでいる。悪趣味とまでは言わないが、あまりにも露骨な成金趣味だ。前世でも似たような部屋を何度か見たことがある。金を持て余した人間ほど、こういう「分かりやすい豪華さ」を好むものらしい。
「ようこそいらっしゃいました、アキト殿」
広間の奥から、恰幅の良い男が姿を現した。
肥満体型で、着ている服のボタンがはち切れそうになっている。指という指に、成金趣味の指輪をジャラジャラと嵌め、脂ぎった顔には終始貼り付いたような笑みが浮かんでいた。この男が、招待状の主だとすぐに分かった。歩くたびに、指輪同士がぶつかり合って耳障りな音を立てている。
「あんたがバルザス卿か」
「いかにも。アルフォン・フォン・バルザスと申します。此度は、私の突然の招待に応じていただき、心より感謝いたします」
バルザスは芝居がかった仕草で一礼した。だが、その目の奥には、こちらを値踏みするような冷ややかな光があった。表面の丁寧さと、内心の傲慢さの落差が、この男の本性を雄弁に物語っている。
「あんたの手紙、随分と親切な文面だったな。仲間の名前まで出してくれてよ」
「おや、気を悪くされましたか。それは失礼を。ですが、貴殿ほどの博徒であれば、私の意図はとうにお察しのことと存じますが」
「察してるからこそ、こうして来てやったんだよ」
俺は笑いながら答えたが、内心では冷静に相手を観察していた。この男、口調こそ丁寧だが、根っこの部分は招待状の文面と何一つ変わっていない。人を駒としか見ていない、典型的な人種だ。
*
「まあまあ、立ち話も何です。どうぞ、こちらへ」
バルザスは俺たちを、豪奢な応接間へと案内した。長いテーブルには、見たこともないような豪華な料理と、高級そうな酒瓶が並べられている。テーブルクロスの刺繍一つとっても、庶民には手の届かない値打ち物だと分かる。
「まずは、食事でも楽しんでいただければ」
「随分な歓待だな。裏で何を企んでるのか、余計に気になるが」
「ハハハ、勘繰りすぎですぞ、アキト殿。私はただ、貴殿の才能に敬意を表したいだけです」
バルザスは大袈裟に笑いながら、酒をグラスに注いだ。だが、リーゼロッテがその酒に一切手を伸ばさないのを見て、俺も同様に口をつけないことにした。この状況で、出されたものを無警戒に口にするほど、俺は間抜けではない。
バルザスは、俺たちが酒に手をつけないことに気づいているはずだが、特に気にする素振りも見せなかった。むしろ、それすらも織り込み済みだとでも言うような、余裕たっぷりの表情を崩さない。この手の駆け引きにも慣れているのだろう。相手を試すような真似も、日常茶飯事なのかもしれない。
テーブルの上に並んだ料理からは、食欲をそそる香りが漂っていた。正直、腹は空いていた。だが、この状況で油断するほど、俺は間抜けではない。目の前の豪華な食事は、あくまで見世物として眺めるに留めておいた。
「アキト殿は、フォルトゥーナのリーゼロッテを打ち負かしたと聞き及んでおります。実に見事な武勇伝だ。この街のカジノ界隈で、貴殿の名を知らぬ者はもういないでしょう」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「それに、あの堅物で有名な聖騎士団長殿までもが、貴殿に振り回されているとか。実に興味深い話です」
シルヴィアの名前が出た瞬間、俺は内心で警戒を強めた。この男、思っていた以上に俺たちの周辺を詳しく調べ上げているらしい。
「随分と、俺たちのことを調べたようだな」
「情報は力ですからな、アキト殿。この街で商売をする上で、動向を把握しておくべき人物は、常に把握しておく主義です」
バルザスは悪びれもせずにそう言い放った。この男にとって、他人のプライバシーなど、路傍の石ころ程度の価値しかないのだろう。
「ですが」
バルザスの声色が、わずかに変わった。
「この街のカジノというものは、私の許しなくして、真に大きな顔をすることはできません。フォルトゥーナも、表向きは独立した経営をしているように見えますが、実際には私の影響力の下にある。分かりますかな、アキト殿」
俺は黙って、バルザスの言葉の続きを待った。
「貴殿のような、規格外の才を持つ博徒が、この街で好き勝手に暴れ回るのは、私にとって好ましくない。ゆえに――」
バルザスは、脂ぎった笑みを浮かべながら、こちらに顔を近づけた。整えられているはずの息が、酒と脂肪の混じった、なんとも言えない匂いを漂わせていた。
「一つ、勝負をしていただきたい。私と、貴殿とで」
「勝負、ね」
「ええ。私の主催するゲームに参加していただき、その結果次第で、貴殿がこの街で活動する上での『立場』を決めさせていただきたい。もちろん、勝てば相応の報酬もご用意します」
「負けたらどうなる」
「それは――貴殿の想像にお任せしましょう」
バルザスの目に、初めて明確な悪意が浮かんだ。この男が、金と権力を笠に着て、これまで何人もの人間を踏みにじってきたであろうことが、その一瞬の表情から容易に想像できた。
「運だと? ハハハ! この世は全て金と権力、つまり私が支配する『必然』で動いているのだよ」
バルザスは大仰に笑いながら、そう言い放った。その笑い声は、部屋中に響き渡るほど大きく、下品なものだった。
俺はその言葉を聞きながら、内心で静かに闘志を燃やしていた。
(勝負を、金と権力で捻じ曲げるつもりの奴、か)
こういう人間が、俺は一番嫌いだ。ギャンブルというのは、対等な立場での駆け引きだからこそ意味がある。それを「必然」という名の下に、一方的な搾取の道具に貶める――それは、俺の矜持そのものへの侮辱だった。前世でも今世でも、俺はこの手の輩とだけは、絶対に相容れることができない。
「面白い。受けて立とうじゃねえか」
「アキト様」
リーゼロッテが小さく制止の声を上げたが、俺は構わず続けた。
「ただし、条件がある。この勝負、公平にやってもらう。あんたの都合の良いイカサマなんぞ、俺は一切許さねえ」
「イカサマとは、心外な。私は正々堂々とした勝負を好む人間ですぞ」
バルザスはそう言って笑ったが、その目の奥には、隠しきれない愉悦の色があった。この男が、心の底からその言葉を信じているとは、到底思えなかった。この手の人間は、自分の不正を「駆け引きの一環」として正当化する術に長けている。
「では、日を改めてご連絡いたします。準備が整い次第、正式な招待をお送りしましょう」
バルザスはそう言うと、優雅な仕草で一礼し、応接間を後にした。残されたのは、俺とリーゼロッテ、そして手つかずのまま冷めていく豪華な料理だけだった。
部屋に静寂が戻ると、リーゼロッテが小さく息を吐いた。張り詰めていた緊張が、ようやく緩んだのだろう。
「アキト様、大丈夫ですか。随分な啖呵を切ってしまいましたが」
「今更だろ。それに、あの手の男に舐められたままにしておく方が、後々厄介だ」
リーゼロッテは小さく息をつきながらも、頷いた。
「バルザスの本性、はっきりと見えました。今後、彼がどんな手を打ってくるか、慎重に見極める必要があります」
「あんたの目から見て、あいつはどんな手を打ってきそうだ」
「予想の域を出ませんが、正攻法の勝負を装いながら、裏で何らかの不正を仕組んでくる可能性が高いかと。先ほどの発言からしても、彼自身は『自分こそが必然を支配している』と本気で信じている節があります。つまり、彼にとってのイカサマは、イカサマではなく『当然の権利』なのでしょう」
「なるほどな。厄介なタイプだ」
自分の不正を不正だと認識していない人間ほど、対処が難しいものはない。罪悪感がないぶん、手段を選ばずに向かってくる。
「それに、シルヴィア様の名前まで把握していたことも、気になります。彼女にも、何かしらの接触があるかもしれません」
「シルヴィアに、忠告しておいた方がいいかもな」
「ええ。帰りましたら、すぐにでも」
「ああ。だが――」
俺は口の端を吊り上げた。
「あの手の奴を叩きのめすのは、俺にとっちゃ最高のご馳走だ。楽しみにしとくよ」
「随分と、余裕そうですね」
「余裕というより、燃えてきたって感じだな。ああいう卑劣な奴を、正々堂々の勝負でぶちのめしてやる時が、俺にとっちゃ一番気持ちいい瞬間なんだよ」
リーゼロッテはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「その言葉、信じておきます」
バルザスの邸宅を後にしながら、俺は改めて確信していた。この勝負、単なる小手調べでは終わらない。これから先、この男との間に、もっと大きな、命を賭けた決着がつくことになるだろうという予感が、確かにあった。
鉄柵の門をくぐり、貴族街の整然とした街並みを振り返る。あの豪奢な邸宅の奥に潜む男の、ぎらぎらとした欲望と傲慢さを思い出しながら、俺は静かに拳を握りしめた。
次にこの門をくぐる時は、あの男の全てを奪い去る時になるだろう。そんな確信めいた予感を胸に、俺たちは宿への帰路についた。
夕暮れの貴族街を歩きながら、リーゼロッテがふと呟いた。
「アキト様、一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
「あなたは、なぜあれほどまでに、ああいう人間が許せないのですか」
俺はしばらく考えてから、答えた。
「理由なんて、大したもんじゃねえよ。ただ、勝負ってのは、対等な立場でやるからこそ意味があるもんだと、俺は思ってる。金や権力で最初から結果を決めちまうような真似は、勝負でも何でもねえ。ただの搾取だ」
「……なるほど」
「それに」
俺は少し間を置いてから続けた。
「前世で、似たような目に遭った奴を何人も見てきた。弱い立場の人間から、力ずくで全部奪っていく連中をな。俺はギャンブラーとして、そういう奴らが一番許せねえんだ」
リーゼロッテはしばらく黙って俺の横顔を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「よく分かりました。私も、微力ながらお手伝いいたします」
「頼りにしてるぜ、相棒」
夕日に照らされた貴族街を、俺たちは並んで歩いていった。この先に待ち受ける勝負が、これまでとは比べ物にならないほど大きなものになることを、俺は既に予感していた。だが、恐れる気持ちよりも、闘志の方が遥かに勝っていた。
宿に戻ったら、まずはミミを安心させてやらねばならない。それから、シルヴィアにもバルザスの動向を伝えておく必要があるだろう。やるべきことは山積みだが、不思議と気分は軽かった。仲間たちがいる限り、どんな強敵が相手でも、この俺が負けるはずがない。そんな根拠のない自信が、確かに胸の内に宿っていた。空にはいつもの二つの月が、静かに昇り始めていた。この街での本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。俺はそう独りごちながら、宿への足を速めた。待っているミミの顔を思い浮かべると、自然と歩調が軽くなった。今日という一日を、無事に乗り越えられたことに、静かに安堵していた。明日もまた、賑やかな一日になりそうだ。




