第11話 正義の味方(ポンコツ)がやってきた
宿に戻った翌日の朝、事件は突然やってきた。
宿の部屋で朝食を摂っていると、扉が乱暴に叩かれた。応対に出たリーゼロッテが、怪訝そうな顔で戻ってきた。
「アキト様、お客様です。……その、聖騎士団の方だと」
「聖騎士団?」
俺は首を傾げながら扉を開けた。
そこに立っていたのは、金髪をポニーテールに結った、凛とした美貌の女だった。年の頃は十九かそこら。白銀の重厚な鎧を身に纏い、腰には煌めく剣を提げている。まっすぐにこちらを見据える青い瞳には、強い正義感が滲んでいた。表情は硬く、生真面目そのものといった佇まいだ。
朝の光の中に立つその姿は、絵物語に出てくる聖騎士そのものだった。だが、その凛々しさとは裏腹に、どこか初々しさというか、世間慣れしていない空気も漂っていた。
「貴様がアキトか」
「そうだけど、あんたは?」
「私はシルヴィア。この街の治安を守る聖騎士団の団長を務めている」
シルヴィアと名乗った女は、腰の剣に手をかけながら続けた。低く鍛えられた声だが、そこにはまだ若さゆえの硬さも滲んでいた。
「単刀直入に言おう。貴様、フォルトゥーナの二番卓で、何らかの不正行為を働いたという情報が入っている」
「へえ、耳が早いな」
「認めるのか!?」
「いや、認めてねえよ。ただ噂が広まるのが早いなと思っただけだ」
シルヴィアは眉を吊り上げた。生真面目な性格らしく、俺のはぐらかすような物言いに苛立っているのが手に取るように分かる。腕を組み、こちらを睨みつける様子は、まるで教科書通りの「正義漢」を絵に描いたようだった。
「私は聖騎士団の中でも、特に不正行為の取り締まりに力を入れている。裏カジノの摘発、違法な魔道具の押収、その他もろもろの街の治安維持――それら全てに、この五年間身を捧げてきた」
「随分と真面目な自己紹介だな」
「茶化すな! 私は真剣に話している!」
シルヴィアはムキになって声を荒げた。その様子を見て、リーゼロッテが小さく咳払いをした。エルフとして長く生きてきた彼女の目には、こういう若さゆえの直情的な態度が、どこか微笑ましく映っているのかもしれない。
「シルヴィア様、朝早くから恐縮ですが、まずはお茶でも一杯いかがですか」
「い、いや、私は職務中だ。そのような気遣いは……」
リーゼロッテがすかさず出した紅茶に、シルヴィアは戸惑いながらも視線を落とした。生真面目な性格ゆえに、こういう予想外の親切にどう対応すべきか分からないらしい。その反応が、なんとも初々しかった。
「別に取って食おうってわけじゃねえんだから、そう気を張るなよ」
「……油断させようという魂胆か」
「そこまで疑うのも、それはそれで大したもんだな」
「リーゼロッテという凄腕のディーラーを、たった一晩で負かしたという話だ。そんなことが、正当な手段で可能だとは思えない。何らかのイカサマ、あるいは違法な魔道具の使用を疑わざるを得ない」
「疑うのは自由だが、証拠はあるのか」
「……それを、これから調べる」
シルヴィアはそう言うと、部屋の中をずかずかと歩き回り始めた。俺の荷物を漁り、テーブルの上のサイコロを手に取り、矯めつ眇めつ確認する。真剣そのものの表情で、まるで犯罪現場を検証する捜査官のようだった。
「これは……普通のサイコロのようだが」
「そうだよ、普通のサイコロだよ」
「では、何を使って不正を?」
「だから、何もしてねえって」
もちろん嘘だ。だが、【絶対因果】は目に見える痕跡を一切残さない。どれだけ調べたところで、証拠など見つかるはずがない。この力の最大の強みは、まさにこの「痕跡を残さない」という一点にある。
シルヴィアは俺の荷物という荷物を、一つ残らず引っ張り出して調べていった。着替え、財布代わりの巾着、リーゼロッテが管理している帳簿らしきものまで、遠慮なく手に取る。リーゼロッテが横から「それは私物ですので、丁重に扱っていただけますか」と冷ややかに口を挟んだが、シルヴィアは聞く耳を持たなかった。
*
「くっ……何も出てこない……」
シルヴィアは部屋中を隈なく調べ尽くした挙句、悔しそうに呻いた。額に汗を滲ませ、息を切らしている姿は、正直なところ少し滑稽だった。ベッドの下から枕の中身まで、この娘は本当に隅々まで確認したらしい。
「不正の証拠が見つからないなら、疑いは晴れたってことだろ」
「そう簡単には認められん! 何か、まだ見つかっていない仕掛けがあるはずだ!」
「あんた、思い込みが激しいタイプだろ」
「なっ……!」
シルヴィアは顔を赤くして反論しようとしたが、言葉に詰まったのか、結局何も言えずに黙り込んだ。図星を突かれたらしい。
リーゼロッテが、横で小さく笑いを堪えているのが見えた。この堅物な聖騎士団長のことを、既に「面白い人」として認識し始めているようだった。
しばらく無言で立ち尽くしていたシルヴィアだったが、やがて何かを決意したように顔を上げた。その目には、諦めではなく、むしろ新たな闘志のようなものが宿っていた。
「では、貴様に一つ勝負を挑もう」
「勝負?」
「私と剣を交え、正々堂々と決着をつける。もし貴様が本当にイカサマなどしていないというなら、正当な実力で私に一撃を入れてみせろ。それができれば、疑いを取り下げてやろう」
「随分と脳筋な提案だな」
「なんだと?」
「いや、褒めてんだよ」
俺は苦笑した。この女、根は真面目すぎるほど真面目で、そのくせ考え方がどこか単純だ。悪い人間ではなさそうだが、思考回路が驚くほど直線的である。頭で考える前に、体と正義感が先に動くタイプなのだろう。
「別に構わないぜ。だが、俺は基本的に剣も魔法も使えない。真正面からやり合ったら瞬殺されるぞ」
「安心しろ、手加減はしてやる」
「その上から目線、後で後悔すんなよ」
リーゼロッテが小さくため息をついた。
「アキト様、正気ですか。あなたの身体能力では、まともに立ち回ることすら難しいのでは」
「まあ見てろって。何とかなる」
俺は軽い調子で答えたが、内心では既に算段をつけていた。シルヴィアの剣術は本物だろう。だが、俺には【絶対因果】がある。この程度の局面なら、十分に対応できるはずだ。
「万が一、怪我をされても、私は責任を負いかねますので」
「相棒として薄情すぎねえか、それ」
「あくまで、あなたの選択の結果ですから」
リーゼロッテは涼しい顔でそう言ったが、その目にはやはり隠しきれない心配の色があった。この女なりに、口では素っ気なくとも、ちゃんと気にかけてくれているのが分かる。そういうところも含めて、良い相棒を持ったものだと思う。
*
宿の裏手にある小さな空き地で、俺たちは向き合った。
噂を聞きつけたのか、いつの間にかミミとリーゼロッテが観客として少し離れた場所に立っていた。ミミは心配そうな顔でこちらを見ている。リーゼロッテは相変わらず涼しい顔だが、その目には僅かな緊張が滲んでいた。
シルヴィアは腰の剣を抜き、正眼に構えた。その所作は美しく、無駄がなかった。噂通り、純粋な剣の腕は本物なのだろう。朝日を反射する剣身が、彼女の凛とした佇まいをより際立たせていた。長年の鍛錬の跡が、その構えの一つ一つに滲んでいる。
「では、いくぞ!」
シルヴィアが踏み込んできた。速い。俺の貧弱な身体能力では、まともに反応することすらできない速度だ。前世でも今世でも、俺の体は殴り合いや剣の勝負に向いていない。純粋な身体能力だけで言えば、この一撃を避けることは不可能だろう。
(さて、と)
俺は内心でスキルを起動した。狙いは単純。「シルヴィアの踏み込みが、僅かに軌道を逸れる確率」を弄る。彼女を傷つけるつもりはない。ただ、こちらに一撃を与えるための隙を、ほんの少しだけ作ってもらうだけだ。この程度の局所的な軌道操作なら、消費魔力もごく僅かで済む。
シルヴィアの剣が、俺の頬すれすれを通り過ぎた。彼女自身も、その僅かなズレに驚いた様子だった。
「なっ……!?」
体勢を崩したシルヴィアの隙に、俺は軽く肩を小突いた。それだけで、シルヴィアはあっけなく尻餅をついた。
あまりにあっけない決着に、観戦していたミミが「おおー!」と声を上げ、リーゼロッテも小さく息を吐いた。
「い、一本、なのか……?」
シルヴィアは呆然とした顔で座り込んでいた。だが、次の瞬間、彼女の顔が赤く染まった。理由はすぐに分かった。
尻餅をついた拍子に、鎧の留め金の一つが外れていたのだ。
「ひゃ、ひゃうっ!? な、なぜ急に鎧の紐が解けるのだ!?」
シルヴィアが慌てて鎧を押さえる様子を見ながら、俺は内心でほくそ笑んでいた。
(我ながら、良い仕事をしたな)
実のところ、先ほどの一撃と同時に、俺はもう一つ確率を弄っていた。「鎧の留め金が外れる確率」を、こっそりと百パーセントにしておいたのだ。単なる出来心だが、我ながら見事なタイミングだったと思う。この手の些細な自然現象や物理的な事象への干渉は、消費魔力もごく僅かで済む。おかげで、遠慮なく使うことができた。
「て、貴様! 今、何かしたな!?」
「さあな。ただの偶然じゃねえの」
「偶然でこんな都合よく事が運ぶか!」
シルヴィアは涙目になりながら、慌てて鎧を直そうと悪戦苦闘していた。だが、焦れば焦るほど留め金がうまく嵌まらないらしく、その様子はますます滑稽になっていく。見かねたリーゼロッテが、静かに歩み寄って手を貸した。
「失礼します。少々、留め金の構造が複雑になっているようですので」
「あ、ありがとう……」
リーゼロッテの手際の良さで、シルヴィアの鎧はあっという間に元通りになった。この女、こういう実務的なフォローも完璧にこなす。つくづく頼りになる相棒だ。
「くっ……今日のところは、退散する! だが、私はまだ貴様を疑っている! いずれ、必ず尻尾を掴んでみせるからな!」
「楽しみにしてるぜ」
シルヴィアは真っ赤な顔のまま、剣を鞘に収め、逃げるように去っていった。その足取りは、来た時の堂々とした様子とは打って変わって、明らかにぎこちなかった。その背中を見送りながら、リーゼロッテが呆れたように呟いた。
「アキト様、また悪戯を」
「悪戯じゃねえよ、正当な勝負の余興だ」
「同じことです」
リーゼロッテは小さく肩をすくめたが、その口元にはやはり微かな笑みが浮かんでいた。この女も、シルヴィアという規格外の生真面目さを持つ聖騎士のことを、まんざらでもなく思っているのかもしれない。
「ご主人様、すごかったです! あんな強そうな騎士様に一発で勝っちゃうなんて!」
ミミが興奮気味に駆け寄ってきて、俺の服の裾を掴んだ。その耳と尻尾が、忙しなく揺れている。
「まあな、多少の工夫はしたけどよ」
「工夫、ですか?」
「秘密だ」
俺はミミの頭を軽く撫でながら、笑って誤魔化した。この幼い獣人の少女には、まだイカサマの詳しい手口を教えるつもりはない。純粋に俺を慕ってくれるこの子には、なるべく綺麗な部分だけを見せておきたいという、俺なりの小さな気遣いだった。
「それにしても、あの聖騎士様、なんだか可愛らしい人でしたね」
「可愛らしい、か。俺も同意見だな」
俺は苦笑しながら、空き地の入り口の方――シルヴィアが去っていった方角を見やった。あの生真面目さと、それに反して見せる意外な隙。前世でも今世でも、ああいうタイプの人間は珍しい。今後もまた縁が続きそうな予感がした。
「アキト様、彼女は聖騎士団の団長という立場です。今後もあなたを疑って接触してくる可能性が高いかと」
「上等じゃねえか。退屈しのぎにはちょうどいい」
リーゼロッテは呆れたように息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。
俺たちは宿へと戻る道すがら、今日の出来事をあれこれと話し合った。ミミは興奮冷めやらぬ様子で、シルヴィアとの一戦の一部始終を再現するように、腕を振り回して見せていた。その様子に、リーゼロッテも思わず口元を緩めていた。
こうして、俺たちのクズなチームに、また一つ賑やかな出会いの種が蒔かれた。堅物な聖騎士団長シルヴィアとの縁は、今日のところは軽いコメディで終わったが、この街の治安を預かる立場の彼女が今後どう絡んでくるのか、正直なところ楽しみでもあった。
だが、この街の裏には、まだ見ぬ悪徳の影が潜んでいるという噂もある。シルヴィアの生真面目さが、その闇と対峙する時が来るのかもしれない。そんな予感を微かに抱きながら、俺は宿への道を歩いていった。
宿に戻ると、ミミが早速昼食の支度を手伝おうと台所に走っていった。慣れない手つきながらも一生懸命な様子に、リーゼロッテが苦笑しながら指導を始める。そんな二人の様子を眺めながら、俺は椅子に腰掛け、懐から取り出したサイコロを指先で弄んだ。
異世界に来てまだ数日。だというのに、随分と賑やかな面々が揃ってきたものだ。凄腕の元ディーラー、無条件で慕ってくれる獣人の少女、そして今日出会った、生真面目で少々ポンコツな聖騎士。前世では考えられないほどの速度で、俺の周りは色付いていく。
この調子でいけば、この異世界での日々は、退屈とは無縁のものになるだろう。むしろ、これから先にどんな騒動が待ち受けているのか、想像するだけで胸が高鳴る。
窓の外に見える街並みを眺めながら、俺は小さく笑った。次はどんな博打が、どんな相手が、俺を待っているのだろうか。異世界での日々は、まだ始まったばかりだ。この先どんな展開が待ち受けていようとも、この賑やかな仲間たちと共になら、きっと乗り越えていけるだろう。そんな予感が、俺の胸の中に静かに広がっていた。異世界二日目の午後は、こうしてまた一つ賑やかな出会いを刻みながら、穏やかに過ぎていった。次の一手を、俺はまだ知らない。だが、それでいい。それこそが、博打の面白さというものだ。まだ見ぬ勝負に思いを馳せながら、俺は静かに目を閉じた。今日という一日にも、感謝しておこう。




