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Scarlet  作者: 暁の空
第一章「A fiery day, The beginning」
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6/8

 八月十七日。金曜日。

 Scarletのメンバーが居酒屋で初顔合わせを済ませた日から三日後の昼過ぎ、暇を持て余した緋毬は音楽スタジオ『エスカルゴ』を訪れた。


「雨、降り過ぎやろ」

「天気予報の姉ちゃんが今日は一日雨や言いよったで。見てみい。自慢のパーマが湿気でしんなりしとるわ。色男が台無しやで。って、ここは溜まり場ちゃうぞ。ニートしとらんと働いてこいや」

「おっさん、ほんまようしゃべるな」

「政宗やっちゅうねん」

 辟易とした気持ちでカウンター越しに政宗の鳥の巣頭を一瞥し、どこが色男やねん、と緋毬がつぶやくと、政宗は下唇をめくり、顔を斜めにして白目を剥いた。俗にいう変顔というやつだ。

「それ、どういう感情でやってん、おっさん」

「変顔できるんはええ男の証やで」

「キショさが増すだけやろ」

「緋毬は口が悪いの。それより琥太郎はどうした。一緒ちゃうんか」

「琥太郎なら狂ったようにギターを弾いとるわ」

「あー、叶の一言が効いたんやな」


 三日前、居酒屋で琥太郎と叶が険悪な雰囲気になった後のことだ。叶は琥太郎にこう言い放った。

 ――バンドを組むことは了承したる。けどな、琥太郎。お前、今の実力ではお荷物やぞ。

 その夜から琥太郎は気が触れたようにギターを弾き続けている。食事とシャワー、それと仕事に出るとき以外はギターにかかりきりだ。


「琥太郎って、ギター下手なんか?」

 緋毬が尋ねると、政宗は「そうやなあ」とこぼしながら宙に視線をやった。

「インディーズのギターリストを十段階で評価したら、琥太郎の実力はせいぜい四ってところやな。けど、あれくらいの腕前ならそこらにごろごろしとる。せやから別に下手ってことはない」

「となると」

「せや。叶のベースの腕が尋常でないんや。ベイビードールって知っとるか?」

「知らん。なんや、それ」

「ロックバンドや。一昨年、メジャーデビューした。その半年前まで叶はそこでベースを弾いとった」

「へえ、やるやん」

「琥太郎はたしか小五か小六のときにギターを買って、中学のうちには弾かんくなった言うとったな。ギター歴三、四年程度であれならうまいほうやと思うけど、叶からしたら下の下なんやろ」


 緋毬はふうんと鼻を鳴らしてから、「おっさんは?」と訊いた。

「なにがや」

「バンド、組んどったんか」

「十年も前の話や。インディーズの上のほうにはおったけど、メジャーには行かれへんかった。でも、昔のメンバーは皆、スタジオミュージシャンやっとるで」

「スタジオミュージシャン?」

「プロのアーティストの裏方やな。夢半ばで道を閉ざされた実力者は世の中に仰山おるってことや」

「そか。ところで、初ライブはいつどこでやるん」

「その前に曲作り――って、メッセージや」

 政宗はカウンターの下からスマートフォンを取った。黙って画面を見つめていたかと思えば、緋毬のほうに顔を戻して、


「叶が緋毬の連絡先を教えろ言うてんぞ?」

「貸せ!」

 緋毬は政宗からスマートフォンを奪った。電話帳の『か』の段から叶の名前を探したが、見つからず、「ないやんけ!」と叫ぶと、

「こっちや」

 政宗がカウンター越しにスマートフォンを操作し、画面に叶の電話番号を表示させた。『御堂叶』と出ていた。緋毬は自分のスマートフォンで叶に電話をかけた。


 ところがコール音はすれども繋がる気配はなく、一度切ってから今度は政宗のスマートフォンで電話をした。今度は数コールで繋がった。

『……誰や』

「誰やちゃうわ。本人の許可なく人伝いに連絡先を知ろうとすな!」

『緋毬か』

「私や。なんや、文句あるんか」

『お互い様やろ』

「何のことや」

『おっさんからオレの電話番号を聞いたんとちゃうんか』

 緋毬は思わず、あ、ほんまや、とこぼした。

『あほらし』

「あほらしいのはお前じゃ! で、用件は?」

『うちに来い』

「は? なんで私が行かなあかんねん。お前が来いや」

『雨のせいで現場を上がることになった。これから帰る。アパートの住所はおっさんから聞け。鍵は開けとく』

 ぷつん、と通話が切れ、緋毬はぶち切れた。


「なんやねん、こいつは!」

「どうしたん」

「呼び出しや。家に来いって言われたわ。あいつ、ちょっと自分勝手過ぎひんか」

 政宗は野太い声で大笑いをし、

「色男なんてそんなもんや。顔がええのに優しい男なんて、せやな、琥太郎とオレくらいなもんやで」

「おっさん、冗談がおもろいの」

「おっさんかて、そろそろ泣くで?」

「ええから、叶の住所を教えろや」

「行くんかい」


 緋毬は政宗から叶のアパートの所在地を聞き、スマートフォンで検索にかけて地図を表示させた。浪速区の外れにあるようだった。ついでに行き方を尋ねてから音楽スタジオ『エスカルゴ』を後にした。

 外は視界を遮るほどの大雨だ。普段はジーンズにスニーカー履きが多い緋毬だが、濡れては敵わないのでこの日は膝丈のスカートとミュールを選んだ。


 電車で数駅移動し、目的の駅の改札を抜けた先で降りしきる雨に改めて渋面した。働いてさえいればタクシーに乗ろうと考えていただろう。

「緋毬さんやないすか」

 声をかけられ、振り返ると、そこには単車に乗った則夫の姿があった。

「緋毬……さん?」色々とツッコミどころはあったが、まずそこが気になった。

 則夫は単車にまたがったままヘルメットを外し、にかっと笑んだ。

「琥太郎さんの女なんでしょ? そしたら敬意を払わんと」

「あいつの女とちゃうし。敬語なんか使わんでええ」

「そうなんすか。じゃあ、叶さんの女?」

「なんで二択やねん。って、馬鹿みたいに雨が降ってんのに何してん」

 則夫は全身ずぶ濡れだが、まったく意に介していない様子で笑顔を絶やさない。

「へへ、気持ちいいっすよ」

「あほか」

「それより聞きましたよ。バンド、組むんすよね。オレ、応援しますんで!」

 それじゃと片手を上げ、則夫は単車を走らせた。大雨の中を切り裂いていく則夫の頼りない背中を見つめながら、大阪の男はあほばっかなんか、と緋毬は独り言ちた。


 目的地には徒歩十分程度で到着した。アパートというよりマンションに近く、市松模様の外壁は洒落て見えた。

 傘を畳み、エレベーターのボタンを押す。それからスマートフォンを出し、インターネットの検索画面を開いた。

「なんやっけ……ああ、ベイビードールや」

 叶がベースを弾いていたというバンドのことが気になっていたが、傘を差しながらスマートフォンを操作するのは億劫でさっきからそわそわしていた。

 公式ホームページを見つけ、下部にあるSNSアカウントをタップした。

 緋毬は「ほう」と感嘆の息を吐いた。ベイビードールのフォロワー数は三万人を超えていた。デビューしたばかりのバンドにしては多いほうだろう。


 エレベーターが二階に到着したとき、SNSアカウントのタイムラインの最上部にある発信が目についた。

「……冬フェス? 出演確定? 何のこっちゃ」

 スマートフォンをハンドバッグに収め、203号室を探した。叶の部屋のドアは廊下の奥まったところに隠れるように存在していた。


 インターフォンを鳴らしたが、一向に応答がなく、緋毬はボタンの連打し始めた。

「あの根暗男、喧嘩を売っとるんか!」

 怒鳴り散らした勢いでドアノブに手をかけると、ドアはあっさり開いた。「え……あ……お邪魔……します」

 ドアの隙間に体を滑りこませ、玄関先に立った。外は蒸し暑く、まとわりつくような湿気があったが、室内は冷房が効いている。甘い香りが鼻腔をくすぐった。何かと思えば、靴箱の上に花瓶が置かれ、花が活けられていた。

「あほちゃうか」ぼやきつつ、ミュールを脱いだ。


 廊下の奥にあるドアはリビングルームに繋がっていた。右手にカウンターキッチンがあり、スツールの背に花柄のエプロンが掛けられている。

 リビングルームの壁に据えられた横長のデスクの上にパソコンのディスプレイが二台並べられ、他にも音楽機材と思しき機械が設置されていた。ベースだけでなく、エレキギターまである。

 ところが、肝心の叶の姿が見当たらない。不用心やな、と緋毬はこぼし、二人掛けのソファに座った。


 するとリビングルームのドアが開き、叶が入ってきた。

「服を着ろや!」

 思わず叫んだのは、叶がボクサーパンツ一丁だったためだ。タオルを頭にかけているのでシャワーを浴びていたのだろう。

「早かったな」

「ようこそお越しくださいましたやろ!」

 叶は、あほらし、とつぶやき、緋毬の隣に尻を落とした。引き締まった彼の上半身からかすかな湯気と石鹸の香りが立っていた。


「暑いねん。離れろや」

 文句を垂れた緋毬の頬に叶の右手が伸び、包むように触れた。そのまま撫でるように顎まで下ろし、無表情のまま顔を近づけてきた。

「調子に乗んなよ、ボケ!」

 緋毬は叶に頭突きを食らわせ、ソファから腰を上げた。


「痛っ……何すんねん」

「こっちの台詞や。琥太郎の異母兄弟ってのはほんまやったんやな」

「どういう意味や」

「あいつはキスしてええかって訊いてきただけやけどな。お前ら、同じ思考回路か。それとも大阪の男は脳みそが下半身についとるんか」

 叶は不快感を露わにした渋面を作り、舌を打った。その様子を見て緋毬は、へへっ、と笑った。

「不本意なんか」

「あれと一緒にすな」

「なんやねん。仲が良いんか、悪いんか、ようわからんな」

「腐れ縁ってだけや」

「異母兄弟なら、そりゃ縁も腐るほど根が深いわな。で、何の用や。抱ける女を探しとんなら他を当たりい」

「さっきのはついでや」

「ついででキスしようとすな! あっ、こら、また舌打ちしたな」

 Tシャツを拾い上げ、頭を通す叶の背中に蹴りをかましてやろうかと思いつつ、ソファが空いた隙に真ん中を陣取った。


 叶は立ったまま、デスクの上のマウスに手をかけた。真っ黒だったスクリーンが明るくなり、無数のフォルダが画面に並んでいるのが見えた。

「こっち来い」

「嫌や」

 三度目の舌打ちが聞こえた後で、マウスがダブルクリックされる音がした。

「……なんや、これ」

 デスクの両端に設置されたスピーカーから曲が流れ始めたことで緋毬は瞬きを強いられた。テンポが速く、裏打ちのスネアとルート弾きのベースが疾走感を出す激しめのロックナンバーだ。

 緋毬の首は斜めに傾いた。ベースパートを除き、生音ではなく打ちこみのようだった。イントロ部分と思しき箇所を過ぎてもボーカルのメロディーラインは一向に聴こえてこない。


 次、と言って叶は再びマウスをダブルクリックした。

 今度の曲にはキーボードパートがあった。デジタルサウンドのシンセサイザーが十六分音符で目まぐるしく駆け回り、ドラムのビートはシンプルだがその分だけスラップ弾きのベースが躍動している。

「次」

「待て、待て、待て!」

「なんや」

「何がしたいねん。誰の曲や」

「Scarletの曲に決まっとるやろ」

「は?」

 緋毬は弾かれたようにソファから飛び上がり、叶の隣に寄った。

「ほんまか。私の曲か」

「オレらの曲や」

「根暗な上に細かいの。琥太郎が言いよったで。私の歌がお前らをてっぺんまで連れてくんや。ボーカル、見つからんかったんやろ? ほれ、感謝せい」

 ほれほれ、と煽りながら叶の顎を下から軽く叩くと、叶は嫌そうに顔を逃がした。


「せやけど、どっちも微妙やな。一曲目はロック色が強くて私の雰囲気と合わんし、二曲目は近代的で、ポップで、アイドルちっくや。というか、ボーカルのメロディーラインがないやんけ。さぼったんか」

「メロディーはおっさんに任せる」

「おっさんに? 正気か!」

「緋毬が知らんだけや。あのおっさんの作曲能力はインディーズレベルやない」

「はあー、人は見かけに寄らんな」

「あと一曲ある」

「聴かせてみろや」

 叶は、何様や、とぼやき、次の曲を再生させた。

 三曲目はガールズバンドが演奏しそうな王道のポップロックだった。曲調は明るく、広がりがあるが、どうもありきたりな印象を受けてしまう。


 眉間に皺を寄せる緋毬の横顔に、叶の視線が突き刺さっていた。


「最後や」

「あ? さっきのが最後だったんとちゃうんか」

 歪んだ音質のエレキギターがカッティングでフレーズを奏でた。四小節のラストでドラムがスネアを打ち鳴らし、一瞬のブレイクを挟んでベースとキーボードが加わる。ダンスロックだ。緋毬の背筋にぴりっと電気が走る。鳥肌が立った腕を擦りながら、綻んでいく顔もそのままに楽曲に聴き入った。

 踊りたい、と緋毬は思った。瞼を下ろしているわけでもないのに、会場中の観客が踊り狂う様がありありと浮かんだ。


「これや!」

 叶はチェアを回転させ、腰掛けた。そして、合格や、と言う。

「なにがや」

「自分のことを客観的に見れんボーカルに先はない」

「お前はもうちょっとしゃべれ。おっさんと足して二で割られてこいや」

 悪態をついた後で緋毬は気づいた。

「……私のことを試したんか」

「琥太郎から聴いた。緋毬の武器はダンスと色気やと。それを活かせる曲調にせん馬鹿がどこにおるんや」

「歌唱力も含めろや、どあほう!」

「口が悪い女や」

「お? 喧嘩を売っとんのやったら買うぞ」

「あほらし」

 緋毬が顔を寄せて凄んだせいか、叶は前髪の下で目を細め、息を吐きながらソファへ移動した。

「一ヵ月、時間をもらう。おっさんとオレでとりあえず四曲作る。そしたら難波のライブハウスでライブや」


 そのとき、緋毬の脳裏に閃きが起こった。


「せや!」

 ハンドバッグからスマートフォンを出し、インターネットに繋いだ。それから叶の隣に座り、肩に腕を回した。

「何を悠長なことを言ってんねん。一週間や。それ以上は待てん」

「あほか。一週間でライブできるほど曲ができるか」

「一曲でええ」

「あ?」

「これ見てみい」

 緋毬が差し出したスマートフォンの画面には冬の野外音楽フェスの公式サイトが表示されている。


「これに出るつもりか……無謀や」

「インディーズバンド二十一組、その他にメジャーバンドの招待枠が三枠ある。前者に関しては音源審査を経て、インターネット投票で決まるそうや。ライバルは同じインディーズバンド。なら勝てるやろ。なんや、Scarletのベーシストはやる前から白旗を上げるような腰抜けか?」

 緋毬は不敵な笑みを浮かべて叶を挑発し、

「ベイビードールも出演するらしいで?」

 と、さらに付け加えたが、叶はしかめっ面一つ作ることなく、スマートフォンを緋毬の手に返した。


「オレが無謀や言うたんは期限のことや」

「期限?」

「審査用音源の締め切り、九月二十日やぞ」

 緋毬は目をぱちくりさせた後で、なんやてっ、と叫んだ。はっとして部屋に視線を巡らせる。壁掛けのカレンダーはない。仕方なくスマートフォンで日付を確認した。

 この日は八月十七日――残された期間は一ヵ月と三日だった。

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