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冬の野外音楽フェスは、十二月の第一週の土曜日に千葉県某所にあるスポーツ公園にて開催される。ジャンルはロック全般、出場できるバンドは二十四組、内三組は招待枠としてメジャーバンドに割り振られ、残りの出演枠をインディーズバンドが争う。
メインスポンサーは獅子崎グループという会社で、進学塾の経営を中心として教育関連事業を幅広く手掛けているらしい。
フェスのステージに立つためには二つの関門を突破しなければならない。社内審査とインターネット投票だ。
出演を希望するインディーズバンドは九月二十日までに審査用音源を一曲送る必要がある。宛て先は東京にある獅子崎グループ本社だ。十日間の社内審査でふるいにかけられ、百組まで数が絞られる。
社内審査を通過した百組のバンドの楽曲はその後、公式ホームページにアーティスト写真と共にアップロードされる。
インターネット投票の審査期間は十月五日から一ヵ月間で、票を投じるのは一般リスナー、一人につき一日一票、投票が可能だ。
十一月五日に日付が切り替わった時点で上位二十一組にランクインしていたバンドに冬の野外音楽フェス出場の権利が与えられる。
「とりあえず百組に入らなあかんのやな」
緋毬はスマートフォンの画面を眺めながらふうんと鼻を鳴らして、独り言ちた。新しく始めたアルバイト先のバックヤードで賄いのお好み焼きを食べながら、冬の野外音楽フェスの出演者募集要項を確認している。
「すべては人気次第ってことか」
次いで冬の野外音楽フェスのステージに関する説明を読み、そうぼやいた。
ステージは、メインステージと、サテライトステージが二つ、合計三つ設営されるらしかった。それぞれのステージに八組のバンドが立つことになる。メインステージの六から八組目まではメジャーバンドで確定しているようだ。
メインステージの一から五組目、そして、サテライトステージ1とサテライトステージ2の出演枠は、インターネット投票で勝ち残ったインディーズバンドが得ることになるのだが、その割り振りはランダムではなく、インターネット投票により決せられた順位に準拠するらしい。
インターネット投票で一位になったバンドがメインステージの五組目、二位が四組目ということだ。つまり、サテライトステージ1のトリを務めるのは六位で、例えば最下位の二十一位であればサテライトステージ2の一組目になる。
野外音楽フェスが開催されるのは冬の真っ只中だ。観客も寒さのせいで開始から会場にいるとは限らないだろう。お目当てのバンドだってあるはずなので、そのバンドの出演時間までに到着すればいいと考えてもそれは自然なことで、順位が芳しくなければ会場が温まっていないうちに演奏を始めなければならない。
投票結果が出演バンドの運命をも左右するということだ。
「緋毬ちゃん、ホタテ玉おいしい?」
お好み焼き屋『福福』の店主の浅江が厨房に続くドアから顔を覗かせた。五十代後半らしいが若々しく、パワフルで、まさしく緋毬がイメージする大阪のおばちゃんといった女性だ。琥太郎の紹介で四日前からアルバイトをさせてもらっている。
「めっちゃうまいで、おばちゃん。最高や」
「そりゃよかった。でね、ごめんやけど、今日早めに上がってくれてええから、食べたら店に出てもらえるかな」
「混んできたん?」
「そうなんよ。金曜の夜はいつもこう。やんなっちゃう」
店のほうから「おばちゃーん、豚玉三つ追加で!」と客の声がした。緋毬はお好み焼きをかきこみ、オレンジジュースで喉の奥に流しこんだ。
「お? ようやく出てきたで。お姉ちゃん、注文を取ってや」
「けったいな髪した姉ちゃん、こっちは生ビール二つ!」
暖簾をくぐって店に出ると、客らから次々に声をかけられた。
「順番や。大人しく待っとき!」
エプロンを腰に巻き、カウンターに置かれた伝票に手を伸ばしたとき、入口のベルが鳴った。来店したのは黒髪ロングの、二十代後半程度に見える女性で、どうやら連れはいないようだった。緋毬はさっと店内を見回し、席が空いていることを確認してから彼女に歩み寄った。
「お一人様ですか?」
カジュアルスーツに身を包んだ彼女は、はい、と小さな声で応えて顎を引いた。緋毬ほどではないが高身長で姿勢がよく、どこかの企業で秘書でもしていそうな締まった空気を背負っていた。
が、そのくせ発せられた声には芯がなく、ほんわかした可愛らしさを伴っていたものだから緋毬は少し面食らった。
「え?」
不意に女の口から驚き声が洩れた。緋毬の顔を上目に見て、放心したように瞬きを繰り返している。
「どうしたん。私の顔に何かついてます?」
「あ……いえ」
「こちらへどうぞ」
緋毬は奥の空席に彼女を案内し、それから他の客の対応に回った。
「琥太郎とバンドを組んだんやって?」アロハシャツを着た若い男が注文を告げた後、緋毬に言った。
彼の向かいに座るサラリーマン風のスーツ姿の男が「楽しみやな」と合いの手を入れ、ビールジョッキを傾けた。
「二人とも、琥太郎のこと知っとるんか」緋毬が訊き返すと、
「大阪の若いもんであいつのことを知らんやつなんておるかい」アロハシャツの男が豪快に笑い、
「琥太郎と叶がおったおかげで、オレらは他校の生徒にかつあげされんで済んだんや」サラリーマン風の男もまた愉快そうだ。
「インターネット投票ってのがあるんやろ? 任せとき。オレらが緋毬ちゃんのバンドを押し上げたる」
「そんなことまで聞いたんか」
「連絡網があるねん。何日か前に則夫からメッセージが一斉送信されてきたんや」
「琥太郎さんのバンドが冬フェスに出るから応援したってやーってな」
すると近くの席の中年男性がげっぷをした後で、
「なんや、お祭りか? ようわからんけど、オレも応援するで」
周囲の男たちが、オレもや、オレもや、と続いた。緋毬は愛想を振りまいてから厨房に戻り、浅江に客の注文を伝えた。
「ほんま人気者やな」浅江は言った。
「琥太郎のやつ、こんなに顔が広かったんか」
すると浅江は遠慮のない力で緋毬の背中を叩いた。「緋毬ちゃんのことやがな。あいつらは琥太郎のバンドやから応援する言うてんとちゃう。みんな、緋毬ちゃんのことが好きなんや」
「もう好いた惚れたは堪忍やって」
「あっはっは。別にそういう意味やのうて、単純に気に入られとるんよ。ほら、緋毬ちゃん。あっちの女の人の注文も取っておいで。こっち見てる」
店のほうを振り返ると、先ほど案内した女が緋毬のことを凝視していた。食い入るような眼差しにぎくりとしつつ、彼女の席に近づいた。
「お決まりですか?」
注文を尋ねたが、女は緋毬の顔をじっと見つめるだけで口を開こうとしない。なんや、この女の人、と緋毬が内心でつぶやいたところで、
「ひ……まり……ちゃん?」
「え?」
「やっぱり……緋毬ちゃんだ」
「お姉さんと私、どこかで会うた?」
女はかぶりを振り、ストレートの長い黒髪を左右に揺らした。
「ずっと応援していました」
「……ずっと?」
一瞬、冬の野外音楽フェスのことを言っているのかと思ったが、出場を狙うことを決めたのはほんの一週間前なのでそう捉えるには齟齬があった。
東京に住んでいるときに会ったことがあっただろうか。あるいは――緋毬は心当たりを探りつつ、改めて彼女の顔を観察した。顔の彫りは浅いが和風な顔立ちをしていて、そこそこの美人だ。ひょっとして、兄の緋智の元恋人にこんな女性がいただろうかと考え、さらに記憶を深掘りしたとき、女がぽつりと「青色担当」とこぼした。
「えっ」
「プリティータウンの青色担当、緋毬ちゃんですよね」
「な、なな、なんで知ってるん!」
「公式チャンネルでチェックしていましたから」
プリティータウンとは、かつて緋毬が所属していたアイドルグループだ。昨年末に初ステージのお披露目があったが、緋毬がいたときはデビューをしていなかった。この子たちはいずれ人気が爆発すると確信した大手レコード会社がアイドルの卵として大切に育てていた七人組のアイドルグループで、たしかに公式チャンネルに自己紹介や練習風景の動画がアップロードされていた。
とはいえ、それだってプリティータウンのチャンネルではなく、レコード会社のチャンネルだ。視聴回数も多くて数千回程度で、世間の注目を浴びていたとは言い難い。しかも、緋毬は途中でグループを抜けた身だ。己を知るファンに出会うことは、緋毬にとって驚天動地の出来事だった。
「どうして大阪にいるんですか?」
「あー、色々あって」
「もうアイドルは目指していないんですか?」
「あの、お客さん……とりあえずご注文を」
女は目が覚めたようにはっとした表情を浮かべ、「じゃあ、ミックス玉と生ビールを」と小声で応じた。
彼女の注文を厨房に通すと店は途端に混み合い始め、緋毬は対応に追われた。ようやく一息つけたのは三十分ほど経ってからで、時計を見ると夜九時を回っていた。
「緋毬ちゃん、もう上がってええで」
閉店時間は二十三時だが、すでに店が混雑する時間帯を過ぎ、また、八時から別のアルバイトが出勤していたため、仕事を上がれることになった。店は昼も営業しており、開店から働きづめだった緋毬を浅江は気遣ってくれたのだろう。
エプロンを外そうとすると、ドアベルが鳴った。ちょうどもう一人の店員がトイレに入っていたので緋毬が対応することにした。
「いらっしゃ――って、なんや、おっさんと琥太郎かい」
オーバーサイズのTシャツを着た政宗は不服そうに下唇を突き出して、
「もっと愛想よくしい。こっちは客やで。お客様は神様や」
「お客様はお客様。ほんでおっさんはおっさんや」
「なんでや」
政宗のすぐ後ろには、真夏だというのにジャケットを羽織った琥太郎が立っている。店の客たちが「おう、琥太郎」と口々に呼びかけた。
琥太郎は緋毬の肩に腕を回して、
「緋毬、もう上がる時間やろ。席につけや」
「ホステス扱いすな、ボケ。で、奢りか?」
「ええで。好きなもん食い」
「やりいっ」
喜んだはいいが、席が空いていなかった。緋毬は店内を見回して、
「お会計しそうな席は……ないなあ。おっさん、琥太郎。店の外で少し待っ――ん?」
先ほどの女性客がすぐ後ろに立ち、緋毬の服の裾を引いていた。
「私、もうすぐお会計をしますので」
政宗が店の奥に顔を巡らせて、「お姉ちゃん、一人?」と訊いた。
「……はい」
「ほんなら相席でええやろ。こんな男前二人と相席なんて、お姉ちゃんもラッキーやで。すぐ帰らんとデザートくらい食っていきや。オレが奢ったる」
女は不快そうに身を引いて、「遠慮しておきます」と言った。
女がついていた席に移動すると、平皿の上にお好み焼きが一切れだけ残っていた。どうやらこれを食べ終えたら店を出るつもりだったらしい。
緋毬は女の隣に、琥太郎と政宗は向かい側に座った。
「お姉さん、オレンジシャーベット絶品やけど、食べる?」
海鮮ミックス玉を三つと、琥太郎と政宗のために生ビールを二つ注文したついでに緋毬が女に尋ねると、
「食べます」女は即答した。
「ところで、お姉さんの名前は?」
「……アイサカです」
「愛の坂なんてロマンチックな苗字やんけ」政宗がテーブルに身を乗り出して会話に割って入った。
アイサカと名乗った女は「違います」と首を振り、ハンドバッグの中を漁った。紐付きのカードケースに収められた――社員証らしき一枚を取り出して、緋毬たちに見せた。
「逢坂です」
やはりどこかの企業の社員証のようだった。顔写真が貼られ、『逢坂』と名前が印字されている。しかし、彼女の指が邪魔で下の名前が確認できなかった。
「名前は?」緋毬が訊くと、
「……ですから逢坂です」
「逢坂なんていうん?」
「い、言いたくありません」
「なんでや」
「何でもです」
まあええわ、と緋毬は笑って返してから、
「逢坂さん、アイドルが好きなんか」
逢坂は、はいっ、と答えた。「可愛い女の子、大好きなので」
「そか。でも残念やけど、私、バンドを組んでボーカルすることになったんよ」
「ボーカル?」
「ロックバンド」
「ライブはいつですか?」
「観に来てくれるん?」
「絶対に行きます!」
目を輝かせた逢坂に詰め寄られ、緋毬は思わず上半身を引いた。どうやら緋毬のファンだったというのは嘘ではないらしい。
「あー、ライブの日程はまだ決まってへんねん。とりあえず今は、フェス出場を目指して曲作りの真っ最中やな」
「フェス?」
「ところで、逢坂さんは年いくつ?」
「……内緒です」
「内緒事ばっかやな」緋毬はふっと吹き出した後で、逢坂の全身に視線を這わせた。「んー、二十九……ちゃうな、二十七や」
「も……もうちょっと上です」
「三十より上? 見えへんな」
店主の浅江がオレンジシャーベットをテーブルに置き、「ゆっくりしていきい」と言って片目を閉じた。テーブルに置かれた木箱からスプーンを出し、逢坂に手渡してやると、彼女は「どうも」と顎を引いた。
緋毬は逢坂を見て、ちぐはぐな人、という印象を抱いた。いかにも仕事ができそうな、キャリアウーマン然とした雰囲気を醸し出しながら挙動は少女のように初々しい。おそらくそれはかつての推しのアイドルを前にしているからなのだろうが、見た目と少しギャップがあるように感じられた。
他人の顔色を窺うタイプなのか、物怖じせず内心を言動に反映させるタイプなのか、どちらとも判別しがたい。政宗に対してはあからさまにつっけんどんな態度を示す反面、琥太郎にはさっきから忍ぶような視線を送っている。今にも小ぶりの唇から「かっこいい」とつぶやきが洩れそうだ。
「緋毬、曲が完成したで」
琥太郎がイヤホンを繋いだスマートフォンを差し出してきた。
「ほんまか!」
さっそく聴こうとした緋毬だったが、隣に座る逢坂の視線に気づき、
「どうしたん、逢坂さん」
「さっき話していたフェスって、もしかして千葉で開催される冬の野外音楽フェスのことですか?」
「そうやけど」
「それ、うちのイベントです」
「え?」
逢坂は胸の高さに社員証を掲げた。たしかに『獅子崎グループ株式会社』と書かれている。『逢坂』の右に目をやったが、先ほどと変わらず彼女の指で文字が隠されていた。
「東京本社が立ち上げた企画なので私は関わっていませんが。ちなみに、完成した曲って審査用音源ですか?」
「せやな」
「私、毎日投票します」
「まだ社内審査も通っとらんで」
「緋毬ちゃんはグループの中でも頭一つ抜けて歌が上手でした。もちろん、ダンスも。審査に通らないってことはまずありません」
こそばゆく感じながらも上機嫌になった緋毬は、
「そう? 曲、お姉さんも聴く?」
「いいんですか!」
すると政宗が、こらこら、と待ったをかけた。
「部外者に聴かせるんはどうかと思うけどな」
政宗の苦言に対し、緋毬は唇の端をゆるめて「部外者とちゃう」と返した。
「ファン一号や。そうやろ、逢坂さん」
「はいっ!」
逢坂とイヤホンを右と左で分け合い、スマートフォンをタップして楽曲を再生させた。
叶の部屋で聴いたときよりもアレンジが洗練されており、まさしくダンスロックといった一曲に仕上がっていた。緋毬はすぐにでも帰宅してダンスの振り付けを考えたい衝動に駆られた。隣の逢坂もリズムに乗るように体を揺らしている。
最後まで曲を聴き、それから緋毬は「歌詞は? タイトルは?」と政宗に訊いた。
「一応、仮歌詞は用意したけど、ボーカルなんやし、緋毬が考えたいやろ。好きにしてええで」
「Scarletの一曲目に相応しいタイトルにしてくれや」琥太郎がビールを飲みながら無邪気な笑みを顔いっぱいに広げた。
緋毬は少し考えたからスマートフォンを手に取り、インターネットの検索窓に『原点 英語』と打ちこんだ。検索結果に『origin』と出た。
「Origin of Scarletってのはどうや!」
思いついたばかりのタイトルを意気揚々と表明したはいいが、
「なんや。おっさんも琥太郎も黙りよって」
政宗も、琥太郎も苦虫を嚙み潰したような顔つきだ。
「作詞に関しては……おっさんに任せるわ」
「歌詞なら叶のほうが得意や。あいつに書かせよか」
「どつくぞ、お前ら!」緋毬は巻き舌で怒鳴りつけ、片膝を立てた。「私の考えたタイトルに何か文句でもあるんか」
「ダサいねん」
琥太郎があけすけに言い返し、政宗が無言でうなづきを添えた。
「あっ? もっぺん言ってみろや!」二人を睨みつけた後で逢坂に顔を振り向けた。「逢坂さんはええと思うよな?」
逢坂はおどおどと目線を揺らし、やがて項垂れ、そして蚊の鳴くような声で「緋毬ちゃん……絶妙にダサい」と言った。
どこがやっ、と緋毬は叫んだ。




