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森の最奥。
そこには大木が根を張っている。
鳥居の立った小さな神社の中に、しめ縄が回された大きな御神木。
そして、地下水と滝から流れてきた水が地下で混ざり溜まった井戸。
紅は桶を落として水を汲み、柄杓で盆の盃二つに注ぐ。
柄杓を桶に入れ、盆を持ち鳥居を潜る。
拝殿を通り抜け、本殿に入った。御簾の前で膝をつき、盆を脇に置く。
正座して手を揃え、静かに頭を下げる。
頭を上げた後、御簾前の簡素な祭壇に盆ごと盃を乗せてもう一度頭を下げた。
神社を出て、井戸から桶と柄杓を回収する。
御神木に近付き、根元に水を掛けていく。
桶と柄杓を井戸に戻し、倉庫に向かう。
箒と雑巾を取り出し、神社全体を掃除していく。
「明日、楽しみ?」
弧乃咲が、声を掛けてきた。
「もう、今日だと思いますが」
見上げると、空は既に白み始めていた。
「そう、なのでしょうか」
目を細めて言う。
「勇者君に会いたい?」
「気になってはいます。死の気が強くなっていないかと」
森を出た時は多少薄くなっていたが、また濃くなっているかもしれない。
それは少し、気掛かりだった。
「やっぱ惚れてる?はっ、紅にも春が・・・!」
驚いた顔になり、身体を抱きしめる様な動きをする。
「この森に、季節は御座いませんよ?」
森に、ではなく紅にというのもよく分からない。どういう意味なのだろうか。
「そーいうことじゃない。この子純粋過ぎない?え、まさかの天然?箱入り・・・というか森入り?箱入り娘ならぬ森入り娘?」
なにやらぶつぶつと話している弧乃咲を置いて、掃除を進めていく。
それにしても、あまり近付きたがらなかったというのに。
縁を強めた影響だろうかと考えながら、境内を磨いていく。
紅からあまり離れられなくなる、というのは知っているけれど・・・。神社は好んでいなかった筈だ。
揺らぎやすいのだったか。
まあ、以前より生に近付いてはいるから神社に居ても平気・・・なのだと思う。
紅にはまだよく分からない。生者故に体験は叶わないし。
「終わりましたよ、弧乃咲さん」
一息吐いて、掃除用具を片付ける。
「弧乃咲さん?」
周囲に視線を向けた紅は、その血色の瞳を見開いた。
――弧乃咲が、ふわふわと浮きながら眠っていたから。
何時も銀縁眼鏡越しに見えていた切れ長の青い瞳は、隠されている。
亜麻色の髪が、紅の手に掛かった。
眠っているところ、初めて見た。
生理現象も発生したらしい。こういう効果まであるとは。
透けた身体の影響か、幻の様に感じた。
死の森には、相応しい光景なのだろうけど。
手を伸ばして、肩に触れた。
感触がある。
以前までなら触れる事は出来ても手応えは無かったのに。
これも、縁を強くした影響なのだろうか。
手順を載せた書物には、記載されていなかった筈なのだけど。
見落としていたのか。否、隅々まで読み込んだのだから無いと思う。
暫し固まっていた後、弧乃咲の肩を揺らす。
「んぅ・・・ふぁ、あ。・・・くれない?」
ぱちぱちと長い睫毛が揺れる。何時もよりも、何と言うのだろう・・・ふわふわ?していると思う。以前、弧乃咲が使っていた筈。
「おはようございます、弧乃咲さん」
「ん、おはよ」
ぼんやりとしたまま、返してくる。
「・・・って、へ?」
素っ頓狂な声を上げた。
「く、紅?」
「はい」
別の誰かが見えているのだろうか。
「肩の手も?」
頷く。
「なんで?え、待って。感触あるんだけど。本当に何で?」
混乱した様子で何で何でと繰り返す弧乃咲。
「確かではありませんが、縁を強めた影響かと」
「へえ、そっかぁ・・・待って???そんな影響あるの?僕聞いてないんだけど?さらっという事じゃないよ?」
「私も、先程知りました」
もういいだろうと、肩から手を離す。
「知らなかったのかい」
いつものやり取りなのだけど、何故か安心できた。
弧乃咲に触れると、胸元に手を当てると、繋がっている事がはっきりと分かる。
少し、胸が温かく感じた。
「あ、ってか僕寝てた?」
「ええ。初めて見ました」
「僕も初めてだよ。てか霊体が寝るってどういう状況?」
「さあ」
紅も前例を知らないので、首を傾げるしかない。
「そういえば、紅」
「何でしょう」
今度は何だろうか。
「僕に用があったんじゃないの?紅なら、寝てるの起こさないでしょ」
「掃除が終わりましたので」
戻りませんかと言うと、弧乃咲は微笑んだ。
「じゃあ帰ろっか」
「はい」
並んで神社を出て、帰路に就いた。
布団を敷き、枕元に畳んだ着物を置く。
少しずれていた巫女服を直した後、窓を開ける。
優しい風が部屋に入り込む。風鈴が鳴った。
就寝の際は巫女服を。着物は少し、寝にくいから。
手に取った簪を、優しく拭く。
枕元に置いた着物の上に簪を重ねた。
弧乃咲に感触が伝わるのなら、布団を使うかと試してみたのだけれど。流石にそこまでは伝わらなかった。
結局、弧乃咲は浮いた状態で眠るらしい。眠れる確証は無いけど試してみたいと言っていた。
それと今日は隣で眠るらしい。
なんとなく、落ち着かないのだとか。これも影響なのだろうか。起きた後、時間があれば確認しておいた方が良いだろう。
「おやすみ、紅」
弧乃咲が笑う。
「はい。御休みなさい、弧乃咲さん」
そう返してから、紅は布団に入った。
弧乃咲が、紅の頭を撫でる動作をする。大切な物に触れるように、そっと。
紅もまた、静かに目を閉じた。
上がり始めた太陽が、紅と弧乃咲を照らしていた。




