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紅の彼女と出立を ~境界の彼女と追放された彼~  作者: 黎明


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8/11

 

 水音が森に響く。

 森の滝に、弧乃咲は居た。滝の水が溜まった泉の中心、その水面ぎりぎりに浮き胡坐を掻いて。

 目を閉じて、耳からの情報に集中する。

 気を抜けば浄化されてしまうだろう。

 姿勢はぴんと真直ぐに。深く呼吸をする。


 どれほどの時間が流れたのだろう。

 ぴちゃんと、水が撥ねる音がした。

 紅が、泉に入ったのだ。

 見える事はないけれど、この森の生者は彼女だけ。

 泉を進む音が始まる。弧乃咲に、近付いてくる。

 儀式の、仕上げに入るのだ。


 後ろで、音が止んだ。

 右肩に、細い物が二本触れる。

 細い、彼女の指。

 するりと右肩を指が滑った。

 弧乃咲は身動ぎ一つ取らない。唯黙って受け入れる。


「森へ、」

 紅の声が鼓膜を揺らす。

 何時も通り、それ以上に静かな声だった。

「森へ」

 もう一度、彼女が繰り返した。

 すっと、実体の無い筈の身体に紅が入り込む。

 森全体に紅が広がった。

 弧乃咲は、身体中の息を全て吐き出す。

 紅に、意識を向ける。

 動作、息遣い、声。そのどれもが明瞭に感じられた。

「意識を」

 ――預けなさい。

 何処迄も、透明な声だった。彼女の全てが、透き通っていて。

 さわさわと、森が揺れる。

 意識が、森に溶けていく。

 紅の感覚が伝わってきた。

 閉じられた瞼の裏に、森が映る。



 揺れる木、


 流れる水、


 澄んだ泉、


 流れる滝、


 これが、森。


 これが、死の森。


 これが、


 ――紅の見る景色。



 ああ、怖い。

 生が、近くなる。

 死が、其処に来ている。

 生が、死が、紅が――弧乃咲を見ていた。

 滝の音だけが、響く。

 肩に触れていた指が、頬に移った。撫でる様に、やわく。


 紅が前に回るのが分かった。

 瞼をなぞられて、ゆっくりと開く。

 目が合った。

 ――血色が、見据える。

 はっきりと、視線が絡む。

 紅の両手が弧乃咲に伸びる。頬を包む様に触れられた。

 温度の無い手。冷え切った、氷の様な水の様な森の手。

 紅が顔を持ち上げた。

 彼女が、静かに口を開く。

「私は、貴方を――」

 実感した。

 死と生の境界に、これから触れるのだと。

 実態が在る分、紅の方が危険な行為。掴みやすいから、連れ去られやすい。

「――受け入れましょう」

 繋ぐんだ。

 この森を――介して。


 水が撥ねた。

 弧乃咲の身体が、紅の身体が、泉に沈む。腰まで浸かったところで、木々がざわつく。

 水が冷たく感じた。

 紅の感覚か、弧乃咲の感覚か。

 これが――森の力。


 冷たい息が、弧乃咲の髪を揺らした。

 風が、黒髪を靡かせる。

 弧乃咲は片手を伸ばす。

 黒髪を、彼女の耳に掛けた。

 月明りが彼女をを照らし出す。

 血色(チイロ)が、鮮やかな(クレナイ)へと変化を遂げた。


 死が、生が、彼女に纏わりつく。


「貴方に、」

 ――森の御加護を。


 森が、弧乃咲を包んだ。



 泉に立つ巫女と霊体のモノ。

 額同士を合わせ、紅はその瞳を隠す。

 弧乃咲もまた、ゆっくりと瞼を下ろした。


 滝の音だけが、森に響いていた。

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