10
静かな暗い森。灯りの無い夜の森を、コハヤは一人歩いていた。
木々に、森に導かれるままに進む。
歩くにつれ、水音が大きくなっていく。滝の音。彼女と出会った――森の滝。
視界が開けた。
滝を見て、此方に背を向けた人影。見覚えのある、華奢な背。
――彼女だ。
本当に、居てくれた。
紅は此方を気にした様子もなく、滝を見つめている。
「紅さん」
黒髪が揺れる。血色の瞳がコハヤを射抜いた。
「コハヤさん」
静かな、沁み込むような声。
「お待たせしまし、た?」
「いえ」
長い睫毛が伏せられた。髪が彼女の顔に影を作る。
綺麗な黒髪――濡羽色、だったか。
沈黙が広がる。
一歩、滝に近付いた。紅の隣に並ぶ。
この、と口を開く。
紅の顔が此方を向いた。
「此処の水って、綺麗ですよね」
話したところで何になるという事を、口に出す。
でも彼女は、ええと答えた。
「尊い物で御座います」
顔に水飛沫が飛んできた。
冷たい。
薄く、明るくなった。
顔を上げると、空が薄くなっている。
もうすぐ、夜明け。
「黎明の空」
紅が言った。
「え?」
ご存知ですか、紅は目を細める。
「夜明け前の、明るくなり始めた空。ですよね?」
昔、聞いた事があった。聞きかじり程度なのだけれど。
うろ覚えの拙い知識を話すと、紅は頷いて見せた。
「その通りで御座います」
「よかった」
間違った知識を話すのは、怖いから。
空を見上げている紅。そっと横顔を窺う。
変わる事の無い、ノウメンの様な無表情。なのにそれは、何処か柔らかく思えた。
見惚れていると、視線に気づいた彼女が此方を見る。
「そろそろ」
――参りましょうか。
催促していると思われただろうか。
「あ、・・・はい。そうしましょう」
答えると、紅は岩に近付く。最初に来た時、彼女が座っていた少し平らな岩。
今更気が付いたけれど、そこには旅行鞄が置かれていた。あまり大きさのない、茶色のそれ。
並んで、森を出た。




