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紅の彼女と出立を ~境界の彼女と追放された彼~  作者: 黎明


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6


 ざああ、と滝が立てる水音が紅の耳に届いた。

 沈んでいた腕を、持ち上げる。

 ぱしゃんと、泉に波紋が広がった。

 滝から少し離れたところの、もう一つの泉。滝の水が地下を経由して出来た、少し小さい泉。

 そこで紅は、禊をしていた。

 この森で暮らし始めてから、毎日する大切な事。何時の間にか、習慣化していた。


 上を向くと、淡く光った月と目が合った。遮る物は無い。森の水辺は、周囲から木々が減っているから。

 此処から見る空が、紅は嫌いではなかった。

 湿って冷たい髪が肌に張り付く。

 少し邪魔に感じた。

 雫が滴った。

 ほうと息を吐く。

 冷たい筈なのに嫌と感じる事は無い。

 唯々心地いい。

 ふるりと躰が震えた。

 そろそろ、出た方が良いのだろう。

 冷やし過ぎは、あまり良くない。

 けれど、

(もう、少しだけ・・・)

 何度目かの言葉を浮かべ、水中に肉体を沈めた。

 泉の中央へ、そっと足を進める。

 黒髪が、水面に広がる。


 あまり、中央へ行く事は無かった。滝程じゃないけれど、此処も充分深いから。

 紅が溺れる事は無いだろうけれど。

 一度、弧乃咲が叱ってきた事があったから。

 今日くらいは、許してくれるだろう。

 許しを得る必要が、あるのかは分からないが。


 澄んだ水は、凄く綺麗で。

 両手で掬い、空に向ける。

 ゆっくりと、皿の形を崩した。

 雫が、零れ落ちる。月明りを受けて、輝いた。

 腕を、冷たい物が伝っていく。


 そっと、紅はその血色の瞳を隠した。

 今はただ、この場に居たかった。




 水が撥ねる音がする。

 弧乃咲は木の枝に座り、幹に背を預けていた。

 幾ら実体が無くとも、地面にそのまま座るのは抵抗があったから。

 かといって、禊について行く気も無い。

 紅は年頃の娘なのである。たとえ本人にその自覚が無くとも。裸を見られたところで何も思わなくとも。

 する事も無い弧乃咲は、紅の禊が終わるのを待っていた。

 何時もよりも長いそれに、溜息を吐いた。

 分かっていた事だ。紅にはこの森が必要で。この森にもまた、紅が必要である。

 それを弧乃咲は勿論、紅も理解していた。

 だからこそ、紅が森を出ると判断を下した事に、弧乃咲は驚いた。

 自分は、


 ――自分は、どうしよう。

 紅は、森を出る。

 では、弧乃咲は?

 紅の居ないこの森で過ごす?

(僕は・・・)


「お待たせ致しました」

 木の下から声がした。

「っ、紅か・・・。終わったの?」

 ふわりと木から降りる。

 ふわふわと浮くこの体は、何時まで経っても慣れない。

「はい。遅くなりました」

 いつも通りの無表情。ただ、その黒髪は纏められておらず、服だって何時もの着物ではなかった。通常白である筈の白衣は、黒で。下の緋袴は通常の赤。

 濡れているからか更に艶を帯びた黒髪からは、ぽたりぽたりと雫が垂れている。

 見慣れた、禊後の紅の姿。

「髪、まだ濡れてんじゃん」

「ああ、手拭を忘れてしまって」

 着物で拭く訳にもいきませんからと、紅は言った。

「一回家戻る?」

「そうしようかと」

 頷いた彼女は歩き出した。弧乃咲も、後に続く。


「暗いねえ。転ばないように気を付けなよ」

 何時の間にか、真暗だ。

 それに、着物を持っているのだから足元が見にくいだろう。

「はい」

 ――弧乃咲さんも。

 変わらない無表情。紅は腹立つくらいに何時も通りだった。

 霊体である自分に言う事ではない気もするけれど。弧乃咲は小さく笑みを零した。



「彼奴。森出れた?」

 話題を振られた。

 ――彼奴、コハヤの事。

「無事に」

「そう。怯えてた~?」

「一度、立ち止まったそうです」

 何か考えていたようでと紅は言った。

 考え事ねえと弧乃咲が漏らす。

「行きはよいよい、帰りは怖い。ってやつ~?」

 楽しげな声。きっと揶揄い交じりに笑っているのだろう。

「意味が違うのでは」

 童歌だったか。

「行きは楽しくて、帰りは怖いんでしょ?何がかは知らんけど」

「確か――怖い、というのは疲れを指す言葉だったかと」

「え、今と違うんだが。はっ、これがジェネレーションギャップ・・・!」

「ジェネレーションギャップ・・・?」

 聞き慣れない言葉。多分、異国で使われている物。

 一体、何処から仕入れているのだろう。何時も森に、紅の側に居るというのに。

 禊の時、だろうか。それとも、その後の紅が御役目を果たしている時か。

 なんとなく、聞いても答えない気がした。

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