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あの、と口を開く。
「コハヤで、いいです」
――私も。
「シアマネ様でいいです」
コハヤの口調を真似するように言った。
「コハヤって、呼んでもらえませんか」
困ったように、眉が下がる。
「・・・」
こてり、と何処か機械じみた動きで紅は首を傾げた。
数秒の間の後、彼女は口を開く。
「承知致しました」
――コハヤ様。
――それと、と続ける。
血色の宝石が、コハヤに向いた。
「様付け、しないで貰えますか」
慣れないのでと頬を掻く。
「コハヤさん」
敬称など要らないのだが・・・きっと、これ以上は譲らないだろう。
有難うございますと頭を下げ、来た道を引き返して行った。
森の案内という物が、少し楽しみだった。
「ははあ・・・紅、あんたあの子に惚れたね」
道を引き返して行く茶髪の青年――コハヤ。その背を眺めている紅の耳に、中性的な声が届いた。
「惚れる、ですか」
こてり、と首を傾ける。
――只の人相手に。
あり得ないという思考が声に滲んだ。
「ジョーダンだってぇ。そもそも、あんたがそういう感情持つの想像できないわ~」
――あんたは想像できる。前に回り、視界に入り込むのは亜麻色の髪を持つモノ。
肩下までの髪の上を結んだ髪型――異国ではハーフアップ、と言うのだったか。
切れ長の冴えた青色の瞳に、銀縁の眼鏡。
顔立ち等からは涼やかな印象を与える。のだが――本人は大分軽い。疎い紅でさえそう思うのだから、相当なのだろう。
どうでもいい事だけれど。
もし一度、垣間見る事が叶うのならば見目麗しい者。と、そう評価を得るだろう姿。
けれどその身体は、薄らと透けていた。
紅にとっては、見慣れた姿。人間には――否、生者には見慣れないだろう姿
死者である事を証明する、半透明の身体。
透けた腕が、紅の頭に伸びる。
意味なんて無い。触れた感触など無い。
実態のあるものに触れる事は叶わないというのに。
正に無意味な行為。
何がしたいのかなんて、紅には分からない。
好きにすればいいと思う。
じきに飽きが来るのだから。
「何故」
思い出して、口を開く。
「ん~?」
「コハヤさんを、返そうとしたのですか」
「返そうと?」
きょとんと目を瞬かせる。
態とらしいと思った。
「森が」
――教えてくれました。
答える様に、木々が揺れる。
「あ~。そういやバレちゃうんだっけか」
知っている癖に。
「何故ですか」
改めて問う。
「紅ならそうすると思ったんだけど~」
――違ったかと、にやにやと笑いながら首を傾げる。
その通りだと思う。紅なら、そうする。
「貴方なら、此処まで案内すると思ったのですが」
それとなく案内して、楽しみそうだと紅は考えたのだが。
「除霊されちゃいそうでさあ」
「除霊、ですか」
浄霊ではなく。
「除霊だよ。何て言うの?如何にも~なあの雰囲気がさ?」
無理なのだと笑う。
明るさとお人好しらしい態度、柔らかな物腰。
確かに、霊が好みそうにない人だ。
なにより――あの空気。
無自覚に除霊能力を使っているのだろう。偶に居るが――珍しいと思った。
霊体ならば、仕方が無いのだろうか。取り敢えず、それが原因で彼が居る間は大人しかったらしい。
だからこそ、
――あそこまで死が近いという事に、驚いた。
だからこそ――森が導いたのだろう。
「で、どうだった?彼奴」
男か、女か。性別の分からぬ容姿は、楽し気に紅を覗き込んでくる。
何故、という疑問は直ぐに消え失せた。
「真面目な方でした」
「そーじゃなくてさあ・・・笑った時、どう思ったよ」
コハヤが、笑った時――
「・・・特に何も」
首を傾げ考えてみるが、特に浮かばない。
「ないの?よかったあ~とか、安心~とか」
ねえねえと、顔を逸らしても視界に入って来て騒ぎ立てる。
「しつこいのでは」
「こっちへの感想は要らんのよ」
「・・・あ」
ふと、思いついた拍子に声を漏らす。
「お、浮かんだ?」
「死の気が、薄くなりました」
そーじゃないと、騒ぐのを無視して、泉に近付く。
滝から流れる水と地下から湧き出る水が混ざった、森の泉。特別な――紅の、拠り所と言える場所。
生きている紅がこの森で暮らすのに、必要な存在。
屈んで、片手を伸ばす。
触れた部分から、波紋が広がった。
冷たくて、気持ちいいと感じる。
憶えておこうと、浸っておこうと思う。
森を出るのなら、暫くは――触れる事が出来ないだろうから。
そっと、目を閉じた。
――蛍が、紅を包んだ。
(本当、人形みたいな子)
つんと澄ました顔の彼女。ぼんやりと、されど弧乃咲をはっきりと見つめる血色の瞳。
それは――霊体である己には、魅力的な色の瞳。
紅――この世界の生者の中で、最も死者に近い娘。
しゃらんと、紅の簪が揺れた。




