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私はと、彼女は口を開いた。
「――紅、と申します・・・」真白の肌を持つ彼女――紅は、静かに頭を下げた。
「クレナイ、さん・・・?」
聞き慣れぬ響きの名に、たどたどしく復唱する。
「はい」緩やかに頭を上げた彼女の顔に表情は無く、血の様に赤い瞳は集点が合っていない。
それに気付いて、ぞくりと背筋が泡立つのが分かる。
無表情の、作り物の様な顔――ノウメンの様だと思った。
ノウメン――異国で作られる顔に付ける面。無表情である事、端正な顔立ちである事を表現する時に『ノウメンの様な顔』と言うのだったか。
まさにその通りだと思う。作り物と見間違う程に整った、美しい顔立ち。
自分はまだノウメンを見た事が無いから、想像でしかないのだけれど。
――シアマネ様は、何故。
コハヤが紅に見蕩れていると、そっと彼女の顔が向けられた。
「何故、此方に」
何故――何故、か。コハヤが、此処に来た理由。心をざわつかせる森を、進んだ理由。
コハヤは――勇者だった。
比喩ではなく。通称でもない。神によって定められた、正真正銘の――勇者。
魔王討伐――それが、勇者の役目。在り来たりだけれど。夢物語の様だけれど。
魔王だけでない、魔物達も討伐対象。人を助ける事も。きっと、勇者の御役目。
コハヤは—―勇者、コハヤ・シアマネは聖人といって差し支えない人物だった。
真面目で、優しく、強い。裏など無い、完璧な。正に勇者。
そう、見えるよう。そう、成れるよう。努力してきた。
まあ、それも――過去の事だけれど。
今もまだ、人を信じられるのか。分からない。
だから、此処に来た。
死の森――なんて、大層な名前なら。
死ねるかと。御役目から、解放されるかと。
思ったのに。
彼女が――紅が、この森で見た自分以外の生きる者。
彼女が、殺してくれるのだろうか。
こんな、細い腕で?太い訳では無いコハヤよりも細く白い腕で。
華奢で、力なんて無さそうな容姿で。
傷一つない、シルクの様な――滑らかな真白の肌。
お世辞にも、コハヤに――勇者である己に、敵うとは思えない。
もう、‘‘元‘‘なのだろうか。
否、御役目を果たすまで。この命が散るその時まで、己は勇者なのだ。生きる限り、永遠に。
「シアマネ様」
現実に引き戻される。
「あ、・・・死ねるかと、思って」
似たような年齢だろう彼女に、こんな事を言うのはどうかとも思った。けれどもう、どうでもよくて。そう、思ってしまって。
「それは、此処が」
――死の森と、呼ばれているからですか。
血色が、微かに輝いた様に見えた。
直ぐに凪いだ、集点の合わない瞳が視界に映る。
単純だと、思ったのだろうか。意味が分からないと、思うだろうか。
本当に死にたいのなら、自害でも何でもやりようはあったのに。
やろうとしても、身体が震えて動く事が出来なかった。
――怖いのだと思う。死が怖い。
当たり前の反応かもしれない。生者なら、普通の事。
何故だろう。何故、死に恐怖を感じるのだろう。
なんて、考えたところで答えは出ない。
勇者として、戦いに身を置く者として。コハヤは弱いのだろう。
ずっと、ずっと。
怯えながら戦っている。死にたくないから、抗おうと剣を握る。
最初から。強くなって、慣れてきた今もそれは変わらない。
どちらともなく、黙り込む。
――貴方は
顔を上げた。
「死を、お望みですか」
唯々静かに、確認するように問われる。
責めるでもなく、怒るでもなく。淡々と。
どうなのだろう。此処に入るまでは、死にたかった。それしか、無いと思っていた。自分には、もう――それしか無いのだと。
今は、どうだろう。
「分かり、ません・・・」何故だか後ろめたくて、顔を伏せる。
彼女の返事は、これまた淡々としていた。
そうですか、その一言だけ。
どれくらいの間、静かだったのだろう。数秒なのか、数分なのか。
コハヤには、数時間にも感じられた。
ならと、彼女が言う。
「お帰り下さいませ」
静かに、促される。
当たり前の対応だと思う。彼女にとって、コハヤは外から来た部外者。それだけだ。
明確な目的も無く来た己は、迷惑でしかないだろう。
でも、帰ったところで――何になるのだろう。
仲間に、気を許せた彼らに裏切られて。勇者という立場も奪われて。
彼らの事を信じていた、と思う。
分からない。もう、なにもかもが曖昧で。
もう――何も残っていない。
「シアマネ様は、生きておられます」
「え・・・」
どういう、意味だろう。
「生は、貴方の命は」
――残っております。
何も無い訳ではない、と。そういう事だろうか。
自分に彼女の意図は分からない。だから、受け取りたいように解釈しよう。
コハヤは、人間だ。
生きていると、言うのなら。命があると言うのなら。好きなように、思いたい意味を見出して、受け取ろう。
紅さんと、彼女の名を呼んだ。
「有難うございます」
唐突だっただろうか。唯の自己満足。
それでも彼女は、紅は――黙って、頭を下げた。
「紅さんは、ずっと此処に居るんですか?」
「永遠ではありませんが。御役目ですので」
此処に居る事が、彼女の御役目・・・。
「出る事は、可能でございます」
不意に、彼女が言った。
「・・・・・・」
「シアマネ様は、危うい」
「危うい、ですか?」
とてもと、紅は目を伏せる。
なんとなく、自覚はある。きっと、コハヤが思っている以上にコハヤは――。
「紅さん。一つ」
――お願いしても、いいですか。
「内容によります」
――全能ではありませんので。ちらりと木々に目をやった彼女は、静かに答えた。
「僕と、一緒に来てくれませんか」
口から出た言葉。お願い、なんて可愛い物じゃない。非常識な願い。
とても、初対面の相手にするものでは無いだろう。
「時間を」
――頂けますか。
この場で答えを出す訳にはいかないだろう。
「同行は構いません。森を出るのに、用意する時間が」
――欲しいのです。
「良いんですか・・・?」
ぽかんと、口を開けて固まる。間抜けな顔をしているのだろうな。
「そう言っています。明日の夜、また」
お越し頂けますかと紅は言った。
「あ、・・・はい。有難うございます」
――紅さん。
久し振りに、上手く笑えた気がした。




