19 姫の生活
ドリムが目を覚ましたのは、心地よいベッドの中でした。
ベッドが心地よかったのは、ドリムの体にちょうどいい大きさだったからでした。顔を上げると、心地よい部屋の中であることがわかりました。
ドリムが、人間のサイズになったような心地よさでした。
お月様の魔法使いのところで、一度こういうことがありました。あの時は、人形の家でした。
ドリムはベッドから出ました。寝る前まで何をしていたのか、思いだそうとしました。
イザベル姫の胸に挟まれて、眠ってしまったのでした。
ドリムが立ち上がると、丁度頭がつくくらいの小さな扉がありました。ドリムは近づいて開けてみました。
大きな部屋がありました。とてもとても大きな部屋でした。病院よりも大きなベッドに、病院の三倍はある重そうな椅子がありました。
ベッドの上に大きな人間が寝ていました。
ドリムから見るととても大きな人間でしたが、人間の中では細くて弱そうなのに気づきました。イザベル姫です。
ドリムは小さな部屋から大きな部屋に出ました。小さな部屋を振り返ると、それは小さな家でした。
小さな小さな家が、イザベル姫の枕元に置かれていました。
ドリムは家の前に座り、イザベル姫を見降ろしていました。
ただ、座っていました。
お腹も空いていなかったので、ドリムは何もすることがありませんでした。
何もすることがないときは、何もしないのが動物です。
ドリムはじっとしていました。
辺りが明るくなり、イザベル姫が目を覚ましました。
「昨日は……おかしな夢を見た気がする。話をするネズミが……」
イザベル姫は起きるとすぐにつぶやき、何かを思いだしたようにベッドの上でくるくると首を回しました。体を起こし、枕元を見ました。
「お早うございます」
目が会ったと思ったドリムが言うと、イザベル姫は嬉しそうに笑いました。
「ああ……夢ではなかったのか」
「ぼくは夢の内容を知らないので、なんとも言えません。でも、魔法使いを探してくれるという約束がぼくの夢だったら、ぼくはすぐに出かけないといけません」
「いや……夢ではない。夢ではない。魔法使いなぞ、そうめったにいるものではない。すぐに見つけてやる」
「そうですか」
ドリムは座ったまま言いました。ドリムは座っていました。ほかにやることがなかったのです。ほかにやることがないとき、ドリムは死ぬことを選んだこともありました。いまは、フィリップとの約束もあり、魔法使いを探すという目的もあるため、死ぬことはできませんでした。
『姫様! いつまで寝ているのです! とっくにお食事の時間です』
大きな部屋の外から、地鳴りのような声が近づいてきた。
「はぁい! すぐに行くわ!」
外に向けて、イザベル姫も雷鳴のような大きな声を出しました。小さなドリムにとっては、とても恐ろしい声に聞こえました。イザベル姫はドリムに言いました。
「ここで待っているか? この家の中に入っていれば、危険はないが」
「ぼくはどこに居てもいいですよ」
「じゃあ、一緒に来るがよい」
「ほかの人間に見せますか?」
「ドリムが嫌なら、隠れていてもよいぞ」
「そうします」
イザベル姫は素早く着替えました。イザベル姫はドリムを手のひらに乗せました。イザベル姫の服にはポケットがありませんでした。ドリムは結局、イザベル姫の胸の谷間に挟まって隠れることになりました。
ドリムは、イザベル姫がとても多くの人間に囲まれて生活しているのに驚きました。食事の時には給仕の人間だけで一〇人以上が並び、長い長いテーブルにはなぜか姫の他は誰も座っていませんでした。
食事が終わるとお勉強の時間といいながら、次から次へと人間が現れます。着替えや飲み物を持ってくる人間も、そのたびに違います。
お昼ご飯の前に、少しだけ自由になる時間ができたと言って、イザベル姫は庭園に出ました。庭師が植物の手入れをし、何の用事でいるのかわからない着飾った女の人間が、楽しそうにしていました。
「ドリム、おるか?」
「ずっといますよ」
ドリムはもぞもぞと、イザベル姫の胸の肉をかき分けました。谷間から顔を出して上を見ると、イザベル姫が嬉しそうに笑いました。
「うむ。どうじゃ? 王宮の中は珍しいものばかりだったじゃろう?」
ドリムは見つからないように隠れていましたが、姫が胸元の開いた服を着ていたため、時々ちょっとだけ顔を出していました。
「凄い数の人間ですね。ここは、人間の巣なのですか?」
「ドリムはおかしなことを言うのう。巣というなら、この街がすべて人間の巣ということになるが」
「では、ぼくはずっと人間の巣の中にいたのですね」
「そうなるのう。知らなかったか?」
イザベル姫はドリムの頭を指先で撫でました。細い筋張った指でしたが、不快ではありませんでした。
「人間の巣というのは、どれぐらいの広さなのですか?」
「そうだのう……人間が住む場所というなら、王宮だけじゃなくて町も全部含むことになる。わらわにもわからないのう」
「人間って、たくさんいるんですねぇ」
「本当は、ネズミのほうがいっぱいいるのじゃが」
「えっ? ……ああ、話すことができないネズミですね」
「もちろんそうじゃ。ドリムの家族は、話すことができるのか?」
「いいえ。会ったこともありません」
知恵を持った状態で、死んだネズミだったドリムは生かされました。その以前の記憶は残っていなかったのです。
「そうなのか……あっ、女子たちがくる。隠れているとよい」
イザベル姫はドリムの頭を押し、自分の胸の中にぎゅっと押し込みました。
ドリムはまた柔らかい肉の中に埋もれました。
しばらくして、イザベル姫が移動したのがわかりました。ドリムを呼ぶ声がしたので、ドリムはまたもや肉の海を這いあがりました。
「さっきのはのう、王宮に出入りしている貴族の娘たちなのじゃ。特に用もないのに、できる限りあの庭に来るようにしておるようじゃ」
「用がないのに、どうしてくるんですか?」
「王の家族とか、他の貴族に覚えてもらうためじゃな。本人たちにはそんな気もないのかもしれぬが、あの子たちの母親の命令もあることじゃろう」
「色々と、大変なのですね」
ドリムはしみじみと言った。イザベル姫の話のほとんどが、ドリムには全く理解できず、そもそも興味もありませんでした。ですが、人間も大変なのだろうということだけは解りました。
「そうなのじゃ。大変なのはドリムだけじゃないのじゃよ。それより、大臣のところに行くことにする。呼んだら出てきておくれ」
「いまでもそうしていますよ」
「そうじゃな。しかし、今度はたぶん知らない人も一緒だから、驚かないでほしいのじゃ」
「ぼくを殺しませんか?」
「わらわがついておる」
それがどれほど頼もしく感じるかといえば、あまり頼もしくは感じませんでした。ドリムは、お姫様というのがとても大切にされていのだということを、理解していませんでした。
行きかう人々の視線を避けるために、ドリムはまたもぞもぞと姫の肉の中に戻りました。
しばらく揺られてから、ドリムはまたもや名前を呼ばれ、言われていた通りに肉の中を上り、姫の胸の谷間から顔を出しました。
目の前に、白いひげを生やした人間がいました。驚いた顔をしていました。
「これはこれは。賢そうなネズミですね」
「とっても賢いのじゃ。ドリム、ご挨拶をするとよいぞ」
「こんにちは」
ドリムは言いました。白いひげを生やした人間は、ドリムをじっと見つめました。ドリムを見つめてから、まわりを見回しました。
「……これは、どういうカラクリですか?」
「カラクリではないぞ」
「お月様の仕業です」
ドリムは、お月様の魔法使いというのを忘れました。白いひげを生やした人間は、お月様のように丸い目をしました。
「月から……きたのですか?」
「そうなのか?」
白いひげを生やした人間と、イザベル姫に尋ねられました。ドリムは少し考えました。イザベル姫の胸の谷間に体の大部分をうずめたまま、自分の長い鼻柱を手で撫でました。
「そうですね。ぼくはお月様から来て……魔法使いのところに届け物があるのです」
「ああ。そうじゃった。大臣、この国の魔法使いを探してほしいのじゃ。ドリムの持っている地図によると、汚くてよくわからないのでな」
大臣と呼ばれた白いひげを生やした人間は、ますます目を大きく開きました。
「なんと、魔法使いですか」
「知っているのか?」
「いいえ。魔法使いに知り合いはいませんな。とても理解しがたい連中だと聞いたことがあります。姫様、そのドリムが持っているという地図は拝見できませんか?」
「ドリム、いいか?」
ドリムは小さな鞄をもっていました。とても小さな鞄です。いまは姫の肉に挟まれています。ドリムもぞもぞと動き、イザベル姫の胸の上に出ました。鞄の中から小さく折りたたんだ紙を取り出し、広げて大臣に渡しました。
「ふうむ。どうやら本当のネズミの様ですな」
大臣は紙よりもドリムをじろじろと見つめました。ドリムはちょっと恥ずかしくなったので、隠れることにしました。ドリムのお気に入りの隠れ場所は、いつの間にかイザベル姫の胸の谷間になっていました。
「ふむ。この地図は学者たちに見せましょう。いずれにしろ、魔法使いがそう何人もいることはないでしょうから、この国にいる魔法使いを探させます」
「簡単に見つかるのか?」
「探し方次第ですな。大量にネズミを買ったり、不自然に鳥が出入りしている家があれば、それが魔法使いの家でしょう」
「ぼくがいたお月様の家も、ネズミの死骸でいっぱいでした。ぼくは成功例だといわれましたが、その前にたくさん失敗していたのでしょうか」
大臣はそろりと指を伸ばし、ドリムの頭を撫でました。大臣がそろりと指を伸ばしたのは、イザベル姫の胸に向かって指を伸ばすことになるからだと、ドリムは気が付きませんでした。
「有力な情報も得られましたな」
「では、頼むぞ」
「はい。お任せください。ところで、このネズミ……失礼、ドリムはどうするのですか?」
イザベル姫は首を傾けました。大臣が何を言っているのか、わからないようでした。
「『どう』っとはどういう意味じゃ? もちろん、わらわとずっといっしょにいるぞ」
「学者たちは、大いに興味があるでしょうね」
「渡さないと言っておけ。ドリムが嫌がるし、そういう約束でわらわと一緒におるのじゃ。そうだな?」
イザベル姫はドリムに尋ねました。ドリムは姫の胸元から、顔だけを出して言いました。
「知らない人間に見つかると、すぐにぼくを殺そうとします」
「なるほど……わかりました。ドリムのことは伏せて、魔法使いを探させましょう」
「頼むぞ」
言いながら、姫はドリムの頭を抑えました。ドリムは、姫の胸の谷間にずぶりと沈みました。




