18 人間の姫
何も考えず、ただとぼとぼと歩き続け、ドリムは疲れたので休むことにしました。
手入れのされた植物がたくさん育てられた場所でした。
人間の臭いがしていたので、ドリムを食べようとする動物があまりいないだろうと思いました。
ドリムを殺そうとする人間はたくさんいるかもしれません。
人間は話ができるので扱いやすいと、ドリムが思いはじめたのはここ数時間のことです。
夜になりました。
お腹が空きましたが、食べるものはありませんでした。
お腹が空きましたが、食べたいと思いませんでした。
食べなければ死んでしまいます。
ドリムは死ぬわけにはいきませんでした。
それでも、ドリムは食べ物を探しにいこうとは思いませんでした。
ドリムはずっと座っていました。
手入れのされた植物には、触ると痛そうなとげがたくさん生えていました。
ドリムは痛そうなとげに囲まれて、座っていました。
大きな足音が聞こえてきました。
地面をべったりと踏みつける足音は、人間に違いないと思って聞いていました。
痛そうなとげを生やした植物も、大きな人間にはかなわないようでした。
重そうな足音は、だんだん近づいてきました。
ドリムは人間に見つかりたくありませんでした。人間は、ドリムを見つけると殺そうとするのです。話ができるといっても、人間のことが嫌いなことは変わりませんでした。
植物を踏みつけにしながら、まっすぐに近づいてくる足音に、ドリムは隠れる場所を探しました。生えている植物の影に隠れることにしました。
「泣いているのはだれじゃ?」
甲高い声でした。人間です。ドリムは隠れながら、声を出した相手を見上げました。
ふわふわした服を着た、細長い人間でした。頭の上に、光る金属を乗せていました。
「どうしたのじゃ? 隠れていないで出てくるといい。ずっと、ここで泣いていたじゃろう?」
言いながら、細長い人間は首をぐるぐるとめぐらしていました。
探しているのは、ドリムのことでしょうか。でも、ドリムは泣いていませんでした。
「おかしいのう。昨日の夜から、ずっと誰かが泣いているって、召使いが言っていたのじゃが」
「誰もいませんでしたよ」
できれば人間に立ち去ってほしいのと、人間が困っているようだったので、ドリムは口を出してみました。
「誰? どこにいるのじゃ?」
「あなたが探している人はいませんよ。だって、ぼくはずっとここに座っていましたから。話しているのは、あなたの足元です」
細長い人間は、ドリムに言われるまま足元を見降ろしました。ドリムを見つけました。じっと見ました。
「そなたがしゃべったのか?」
「ええ。そうみたいですね」
ほかに誰もいないので、しゃべったのが誰かと人間が聞いた相手は、ドリム以外には考えられませんでした。
「ずっとここにいたのか?」
「ええ。間違いありません」
「いつからじゃ?」
「昨日の夜からでしょうか。もっと前かもしれません」
腰を折って足元を覗き込んでいた人間は、膝を折って小さくなりました。どんなに小さくなっても、ドリムよりはずっと大きいのは変わりません。
「なら、そなたじゃな。どうしてずっと泣いていたのじゃ?」
「泣いていた? ぼくがですか?」
「そう。今も泣いているではないか。涙が出ているぞ」
「……本当ですね」
ドリムは自分の顔を撫でました。小さな手に、小さな水滴がつきました。ドリムの目からあふれた水が長い鼻を伝っていました。
「どうしてぼくは泣いているんですか?」
ドリムは尋ねました。ドリムは泣いたことがありませんでした。
「わらわには解らないのう。そなたのことじゃからな。しかし、きっと、すごく悲しいことがあったのじゃろう」
細長い人間は、地面に座っていた小さなドリムに向かって、細い手を差し出しました。乗れということなのだと、ドリムは思いました。今まで見てきた人間の手の中で、一番細く、白い手でした。力が弱そうに見えました。ドリムが乗っても大丈夫かどうか、心配になりました。
ドリムはお尻を持ち上げ、土を踏んでいた足で、細い指を踏んでみました。ドリムが人間を見上げると、細い人間は小さく笑いました。ドリムは人間の手に乗りました。
「フィリップが死んだのです」
「そうか。悲しいのう。そなたの友達か?」
「ええ。フィリップは友達です。でも、死んだことは悲しくありません」
「では、何が悲しいのじゃ?」
「フィリップとたくさん約束をしました。でも、一つも守れませんでした。それなのに、フィリップはぼくに『生きて』と言いました。フィリップとの最後の約束だけは守りたいのです。でも、他の約束はすべて守れなかったです。それが、悲しいのです」
「フィリップは、人間か?」
「ええ。あなたと一緒ですね」
ドリムは浮き上がりました。人間が持ち上げたのです。細い人間でしたが、ネズミのドリムを持ち上げるぐらいには力があったのです。ドリムより、とても力が強いのです。
「わらわと一緒かのう? そのフィリップは、魔法使いなのじゃないのか?」
「魔法使いを知っているんですか? でも、フィリップは違います。だって、自分の体も直せないんですから。魔法使いは、死んだネズミを生き返らせたりできます。ぼくは……魔法使いとの約束も果たさないといけません」
「そうか。忙しいのじゃな。でも、フィリップが魔法使いじゃないのなら、フィリップではない他の人間とも、友達になれそうじゃな」
「……ぼくを殺そうとしない人間なら」
言いながら、ドリムはロバをつれた人間のことを思いだしました。思いだし、付け加えました。
「ぼくのことを色々な人間に見せる人間も嫌いです」
「そうか。そなた、名前は?」
人間はもう一本の手にドリムを移しました。手に乗せ、高く掲げました。まるで、ドリムを楽しいおもちゃでも見ているように目をきらきらと輝かせて見つめていました。不思議と、ドリムは嫌ではありませんでした。
「ドリムです」
「わらわはイザベル。ドリムや、そなたは約束が守れなくて泣いているのではないのじゃ」
「どうしてですか?」
どうしてそんなことを言うのでしょうか。
どうしてイザベルにそれがわかるのでしょうか。
どうしてドリムは泣いているのでしょうか。
色々と聞きたくても、言葉が出てきませんでした。ドリムの質問に、イザベルは少しだけ微笑みました。
「それが知りたければ、わらわと一緒に来るのじゃ。フィリップとの最後の約束は、どこでも構わないのじゃろう」
「ええ……でも、魔法使いとの約束も果たさないといけません」
「それはなんじゃ?」
「別の魔法使いに、手紙を届けなければいけません」
「なるほど。魔法使いなんてそんなにいないし、ドリム一人で見つけるのは大変じゃろう。どこに居るのじゃ?」
「地図があります」
ドリムはイザベル姫に、お月様の魔法使いから渡された地図を見せました。
「解らないのう。何しろ、この国の中としかわからない地図じゃ。こんな地図で魔法使いを探させるだなんて。酷い話じゃのう」
「でも、約束ですから」
イザベル姫は、しばらく地図を眺めていました。うなずいて、ドリムに言いました。
「では、わらわが探してやろう。すぐに見つかる。誰かの力を借りちゃいけないなんてこと、言われて無いのじゃろう?」
「ええ。それは禁じられていません」
「なら決まりじゃ」
イザベル姫は、自分の服を引っ張りました。胸元を引っ張り、桃色の服が伸びました。
「何が『決まり』なのです?」
「ドリムが、わらわと一緒にいることじゃ」
「ああ……そうなりますね」
イザベル姫は、はだけた胸にドリムを押し込みました。ドリムは膨らんだ肉の間にうずまりました。柔らかい肉だったので、苦しくありませんでした。
ドリムの地図は、イザベル姫に取り上げられてしまいました。ドリムは困りませんでした。探している魔法使いは、イザベル姫が見つけてくれるのです。
お使いが済めば、ドリムが果たす約束は、フィリップとの約束だけになります。
ただ『生きる』ことだけなのです。
でも、なんでそれが重要なことなんでしょうか。どうして、フィリップはドリムにそんなお願いをしたのでしょうか。どうして、フィリップが死んだ後も、ドリムに生きてほしかったのでしょうか。
ドリムには解りませんでした。
柔らかい肉に挟まれて揺られているうちに、ドリムは眠ってしまいました。




