15 フィリップとの約束
ドリムが一人で目覚めた次の日、見たことがある人間が泣きながら病室に入ってきました。
フィリップに少し似た臭いがする人間でした。フィリップより大きくて、髪の毛がもじゃもじゃしていました。
ドリムはベッドの下の住処に隠れました。
大きな人間は、フィリップの持ち物を片付けているようでした。あまり多くなかったので、直に終わったようです。時々、フィリップの名前を呼んでいました。
ドリムは、大きな人間が早くいなくなればいいのにと思いました。
フィリップが帰ってくるのを待っていました。
大きな人間は、なかなかいなくなりませんでした。
フィリップが寝るはずのベッドに腰かけ、しばらく動きませんでした。
ドリムは、人間が何をしているのか知りたくなりました。
人間が一人だけなら、少しぐらい顔を出しても見つからない自信はありました。
ドリムは、ベッドの下の住処から、顔を出してみました。
大きな人間は、ベッドに腰かけて、何かを読んでいました。
本の形をしていました。ドリムは本を見たことがありませんでしたが、本を読んでいる人間は見たことがありました。人間は、本を読んでいる間は周りのことに気が付かないのです。
ドリムベッドをよじ登りました。人間は気が付かないと思ったのです。
途端に、人間は本を閉じました。ドリムは驚いて逃げようとしました。
「ドリム?」
人間が呟くように言いました。その言い方が、あまりにもフィリップにそっくりだったので、ドリムは思わず立ち止まりました。
「なんです?」
そればかりか、返事までしてしまいました。
人間が顔を動かしました。
二つの目で、ドリムを見ました。
人間に見つかってはいけないはずなのに、ドリムは人間に見つかったことをはっきりと理解しました。
「あなたがドリム?」
「ええ……まあ、そうですね」
次に、人間は騒ぐかドリムを殺そうとするでしょう。ドリムは、おどおどしながら返事をしました。
ドリムの予想とは違い、大きな人間は騒ぐことなく、まるで人間に話しかけるように、ドリムに言いました。
「フィリップに上げた日記帳、ほとんど書いてないと思ったけど、入院してからだけ、ずっと書いていたわ。入院中はよほど退屈しているんだと思っていたけど、読んでみたら違っていた。全部、ドリムというお友達の話だった。すごく、楽しかったみたい。フィリップの友達になってくれて……ありがとう」
ドリムはなんだか居心地が悪くなりました。
逃げなければならないはずなのに、目の前の大きな人間は、ドリムにお礼を言ったのです。
「あなたは、フィリップを知っているんですか?」
「ええ。あの子の母親だもの」
「フィリップは、いつ帰ってくるんです?」
「帰ってこないわ」
ドリムは驚きました。フィリップは、ドリムにずっと一緒にいることを約束したのです。帰ってこない理由がありません。
「フィリップは帰ってきますよ。ぼくと約束したんですから」
「……日記に書いてあったわ。『ドリムは……ぼくの願いを叶えてくれようとしている。病気を追いだして、ぼくの部屋に戻れるようにしてくれる。でも、ぼくはずっとドリムといたい。ドリムが一緒なら……病気のままでもいい』あなたには、感謝しているけど……フィリップは、もう戻ってこないの」
「どうしてですか? 手術は終わったのでしょう?」
「ええ……言っても、信じてくれないでしょうね。一緒に来る?」
フィリップと似た臭いがする人間を、ドリムは信じてみることにしました。ドリムを見つけても、殺そうとしなかったのです。何より、ドリムはフィリップが帰ってこない理由を知りたかったのです。
ドリムはフィリップの約束を守ろうとしているのに、フィリップがドリムとの約束を守ろうとしない理由を知りたかったのです。
フィリップの母親が差し出した手に、ドリムは乗りました。温かい、ごつごつした手でした。フィリップの手よりずっとごわごわしているのに、なぜかとても落ち着きました。
ドリムは腕を駆け昇り、フィリップの母親の、もじゃもじゃした髪の毛に隠れました。母親は少し驚いたようでしたが、何も言わずにフィリップの病室を出ました。
フィリップの母親は、すれ違う白い服を着た人たちに頭を下げながら、どんどん人間が少ない場所に向かっていました。
ドリムは人間が好きではなかったので、人間が少ない場所に行くのは落ち着きました。安心して揺られていました。もじゃもじゃの髪の中は、とても温かかったので、ドリムは少し眠くなりました。
ドリムを連れた人間は、とても寒い部屋に来ました。人間はほかに誰もいませんでした。
ほかに誰もいなかったので、ドリムは人間の髪の中から顔を出しました。
フィリップの病室より暗い部屋でした。
とても寒く、まるで冬のようでした。
部屋の真ん中に、ベッドが置いてありました。
フィリップだと、ドリムにはすぐにわかりました。
フィリップは顔に布をかぶせていました。
体に白いシーツを乗せていました。
ドリムは、フィリップの寝相の悪さを知っていました。
ドリムは、フィリップがずっと仰向けに寝ることを嫌っていることを知っていました。
「どうしたんです? フィリップ、こんな場所で何をしているんですか?」
フィリップの母親が、腕を前に伸ばしました。ドリムはその腕を駆け下り、フィリップのベッドに飛びつきました。フィリップの顔にかぶせてある、白い布をめくりました。
フィリップは穏やかな顔をしていました。
ドリムが見たことがない顔をしていました。
笑っているのに、まるで表情がありませんでした。
「フィリップ? どうして部屋に戻らないんです? 一緒にいるって……どうして、こんなに冷たいんですか? フィリップは、まだやりたいことがあるのでしょう? どうして……死んだりしたんです?」
「フィリップは、手術の直前に、あなたのことを言っていたわ。何のことかわからなかったけど。いらっしゃい。ここにあまり長く居ては駄目。人が来て、ネズミのあなたは殺されてしまう。フィリップの友達を、死なせたくないから」
ドリムは何度も死んだことがありました。死ぬことがどんなことか、解っているつもりでした。何もなくなるのです。フィリップが死んでいることは間違いありません。でも、フィリップには生きる理由があったはずです。死にたくなるはずがありません。
「フィリップは、どうして死んだんですか?」
母親が差し出した手に戻らず、ドリムは尋ねました。
「手術が上手く行かなかったの」
「病気を追いだすための手術でしょう? 失敗したぐらいで、どうして死ぬんですか?」
ドリムには、手術というものが理解できませんでした。病気を追いだすための儀式的なものだと思っていたのです。
フィリップの母親は、何も言いませんでした。ただ、小さく首を振りました。その様子がとても悲しそうだったので、ドリムはきっと、聞いてはいけないことなのだと思いました。
「フィリップは、死ぬのを怖がっていました。生きたがっていました。そうでしょう?」
「ええ……本当に……」
母親の声が涙で掠れていました。ドリムは、それでも知りたいことがありました。
「フィリップは死にたくなかったのに、どうして死ななければいけなかったんですか?」
母親は泣き崩れました。フィリップの死体に覆いかぶさり、激しく声を上げて泣きました。ドリムはどうしていいかわからなくなりました。これ以上、何を尋ねても無駄なのはわかりました。
フィリップがどうして死ななければ行けなかったのか、この人間は知らないのだと思いました。
しばらくして、フィリップの母親である大きな人間が顔を上げ、ドリムを探しました。ドリムはフィリップの体の影に隠れていました。
人間は、フィリップとドリムが一緒にいるのを喜ばないと思ったのです。しばらくあたりを探しましたが、人間はあきらめて出ていきました。
ドリムは約束しました。
フィリップは、ずっと一緒にいてほしいと言ったのです。
ドリムは約束を守ろうと思いました。
たとえ動かなくとも、フィリップは確かにここにいるのですから。




