第6話 夜霧の中の影
カルヴェンの町を出て二日目の夜、二人は森の外れで野営の準備をしていた。
「今日は月が出てないですね」
ノアが焚き火に薪をくべながら呟く。空は分厚い雲に覆われ、あたりは霧が薄く漂い始めていた。
「……何か、いる」
アルヴィンが不意に、火の周りを見渡した。ノアも息を呑む。
「アルヴィンさん?」
「気配だ。囲まれてる」
言い終わるより早く、霧の向こうから複数の低い唸り声が響いた。木々の間から、赤く光る眼が幾つも、こちらを窺っている。
「――影狼だ。群れで動くやつは、初めて見るな」
「かなりの数……!」
アルヴィンは即座に立ち上がり、詠唱の構えを取った。
「ノア、後ろに」
「い、いや、わたしも」
「今回は無理だ。数が多すぎる。俺が抑える、お前は火から離れず、周囲の警戒だけしろ」
有無を言わさぬ口調に、ノアは一瞬悔しそうな顔をしたが、頷いて焚き火の傍に留まった。
最初の一匹が飛びかかってきた瞬間、アルヴィンの手から放たれた凍結の術式が、正確にその喉元を捉えた。凍りついた狼が、地面に崩れ落ちる。
「二匹目、三匹目――!」
次々と襲いかかる影狼を、アルヴィンは冷静に捌いていく。だが、数はまだ十匹以上。徐々に、包囲の輪が狭まってくる。
「アルヴィンさん、後ろ!」
ノアの叫びに、アルヴィンが振り向く間もなく、一匹の影狼が背後から飛びかかってきた。
――間に合わない。
そう思った瞬間、影狼の体が、不自然に地面へと叩きつけられた。
「な――」
狼の体重が、突如として何十倍にも増したかのように、地面にめり込んでいる。振り返ると、ノアが両手を突き出し、荒い息を吐いていた。
「重さ……変えました。あいつだけ、急に」
「……お前、無茶を」
「無茶じゃないと、間に合わなかったので」
言い訳するようにそう言って、ノアはふらつきながらも構えを崩さない。アルヴィンは一瞬、彼女の顔を見てから、短く息を吐いた。
「……分かった。二人でやるぞ」
「はい!」
そこからは、連携だった。アルヴィンが凍結と斬撃の術式で数を減らし、ノアが群れの動きを乱すように、狙った獲物の重さを操って行動を封じる。息の合った動きとは言えない、ぎこちない連携だったが、それでも確実に、影狼の数は減っていった。
最後の一匹――群れの中でも一際大きな個体が、アルヴィンに向かって跳んだ。
「ノア、そいつの重さを――今だけでいい、極限まで軽くしろ!」
「え――はい!」
軽くなった影狼の体が、勢い余って宙に浮く。無防備になったその一瞬を、アルヴィンの氷の刃が正確に射抜いた。
静寂が戻る。
息を切らしながら、二人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……終わったか」
「はい……終わりました」
ノアがその場にへたり込む。アルヴィンはすぐに彼女の傍に膝をつき、様子を確認した。
「大丈夫か。魔力切れは」
「ぎりぎり、大丈夫です。それより――」
ノアは肩で息をしながら、それでも笑みを浮かべた。
「わたしたち、今、連携できましたよね」
「……ああ」
「一人じゃできないこと、二人ならできるんですね」
その言葉に、アルヴィンは何も言えなかった。ただ、彼女の言葉が、思いのほか深く胸に残った。
(一人では、届かない。二人なら――)
それは、影狼との戦いだけの話ではないような気がした。
焚き火を熾し直しながら、アルヴィンは、懐に入れたままの古書に手を触れた。重力と光の理論――一人で追い続けてきたその答えに、もしかしたら、彼女の力を借りることで初めて手が届くのかもしれない。
その考えを、今夜初めて、はっきりと自覚した。




