第5話 鍛冶屋の老婆
噂の余韻も冷めやらぬまま、二人は次の町――カルヴェンという、鍛冶と工房が並ぶ小さな町に辿り着いた。
「ここは、何を探しに?」
「古い文献を扱う店がある。噂では、失伝魔法の記録が残っているらしい」
「わたしも一緒に行っていいですか」
「……好きにしろ」
もう聞き慣れた返事に、ノアは小さく笑って隣を歩く。
目当ての店は、町の外れにひっそりと佇む古びた工房だった。看板もなく、扉には錆びた鉄の装飾だけが施されている。中に入ると、薬草と金属の匂いが入り混じった、独特の空気が二人を出迎えた。
「――客かい。珍しいね」
奥から出てきたのは、白髪を一つに結った、腰の曲がった老婆だった。片眼鏡越しに、値踏みするような視線をアルヴィンとノアに向ける。
「失伝魔法の記録を探している。特に、重力と光に関するものを」
アルヴィンの言葉に、老婆の眉がぴくりと動いた。
「重力と光、ねえ……。えらく古い組み合わせを持ち出すもんだ」
「知っているのか」
「知らないとは言ってないよ」
老婆はそう言って、二人を店の奥へと手招きした。棚には、見たこともない形の魔道具や、色褪せた古文書が所狭しと並んでいる。
「あたしは昔、こういう理論を研究してた学者崩れでね。今はしがない鍛冶屋だけど」
「学者……」
「重力と光を組み合わせる術式――その筋の話は、確かに聞いたことがある。ただし」
老婆はそこで言葉を切り、二人を交互に見た。
「かなり危険な代物だって話も、一緒にね」
「危険?」
ノアが思わず声を上げる。老婆は片眼鏡を外し、布で拭いながら続けた。
「重力を操って空間を歪め、光の速度を狂わせて、時間の流れを局所的にねじ曲げる――理屈の上では可能だ。だが、術者の魔力を極端に消耗する上に、下手をすれば歪めた時空にそのまま呑まれる」
「呑まれる……とは」
「戻れなくなる、ってことさ。時間の流れごと、ね」
空気が、少しだけ重くなった。ノアが、ちらりとアルヴィンの横顔を見る。
「それでも、あんたはその術式が欲しいのかい」
老婆の問いに、アルヴィンはしばらく沈黙した後、静かに頷いた。
「……ああ」
「理由は聞かないよ。ただ」
老婆は棚の奥から、埃をかぶった一冊の古書を取り出した。
「これは、あたしが若い頃に集めた資料の写しだ。完全なものじゃない。断片しか残ってない。それでも良ければ、譲ってやる」
「対価は」
「そうだねえ……」
老婆はノアの方に視線を移し、にやりと笑った。
「そこの嬢ちゃん、重力属性だろう。あたしの工房の炉、ちょっと調子が悪くてね。重さの調整がうまくいかなくて、鋳造のたびに歪みが出るんだ。それを直してくれたら、この本はくれてやる」
「わ、わたしがですか」
「あんたの魔力の質、さっきからずっと見てたけど、悪くないよ。むしろ――なかなか筋がいい」
思いがけない評価に、ノアの目が輝いた。アルヴィンも、意外そうに老婆を見る。
「わかりました。やってみます」
ノアは迷わず頷いた。工房の奥へと案内されながら、彼女の足取りは、これまでよりずっと軽く見えた。
※
炉の調整は、思いのほか難航した。均一な重力場を保ち続けるには、繊細な集中力が必要だったからだ。何度も失敗しては、ノアが唇を噛む。
「焦るな。魔力を一気に注ぎ込もうとするな」
アルヴィンが横から短く助言する。彼女はその都度、素直に頷いて、また挑戦を続けた。
――そして、日が傾きかけた頃、ようやく炉の重力場が安定した。
「……できた」
「ああ」
老婆が炉の様子を確認し、満足げに頷いた。
「上出来だ。約束通り、これは譲ろう」
差し出された古書を、アルヴィンは丁寧に受け取った。
「助かる」
「礼はいらないよ。それより」
老婆は、去り際にふと、ノアに向けて言った。
「その属性、腐らせるんじゃないよ。誰に何と言われようと、あんたの重力は、ちゃんと『使える』ものだ」
ノアは、少しの間、言葉を失っていた。それから、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
工房を出て、夕暮れの町を歩きながら、ノアがぽつりと呟いた。
「今日で二回目です。褒めてもらえたの」
「……そうだな」
「アルヴィンさんのおかげです」
「俺は、何もしてない」
「してます。わたしを連れてきてくれたのも、こうやって色んな人に会わせてくれるのも」
アルヴィンは何も言い返せず、懐に入れた古書に手をやった。頁の奥に眠る、断片だけの理論。それでも、確かに一歩、目的に近づいた実感があった。
(この本の中に、何かがあるはずだ)
その先に何が待っているのか。アルヴィンにはまだ、分からなかった。




