第3話 重力の弟子、初仕事
街道を外れ、森沿いの小道を進んでいると、行商人らしき男が慌てた様子で駆けてきた。
「た、助けてくれ! 荷馬車が、崖下に――!」
男の話によれば、道を踏み外した荷馬車が崖の途中に引っかかったまま、今にも落下しそうだという。中には、男の弟がまだ乗ったままらしい。
「アルヴィンさん!」
「分かってる」
二人は男の案内で崖まで駆けた。見下ろせば、荷馬車は今にも崩れそうな岩棚に乗り上げ、車輪の片方が宙に浮いている。中から、若い男の悲鳴混じりの声が聞こえた。
「引っ張り上げるには、ロープが届かない。落ちれば助からない高さだ」
アルヴィンは崖の状況を一目で見極めた。魔法で引き上げるにしても、荷馬車ごと持ち上げるだけの出力を、正確な制御なしに使えば、逆に均衡を崩して落下を早めかねない。
「アルヴィンさん、わたしが」
「お前には無理だ。まだ制御も安定してない」
「でも、これ――重力なら、わたしのほうが向いてます」
ノアの声に、迷いはなかった。
「馬車を持ち上げなくていい。馬車にかかる重さを、軽くすればいい。それなら、わたしの魔力量でも届く」
アルヴィンは一瞬、言葉に詰まった。力任せに引き上げるのではなく、対象物の重さそのものを操作する――発想としては正しい。だが、まだ制御も安定しない少女に任せるには、リスクが大きすぎる。
「……補助する。俺が制御の土台を支える。お前は重さを操作することだけに集中しろ」
「はい」
二人は崖際に並び立った。アルヴィンが足元に固定の術式を展開し、魔力の流れを整える。その安定した土台の上で、ノアが両手を荷馬車に向けて構えた。
「――軽く、なれ」
詠唱と共に、荷馬車を包む重力場が、ゆっくりと歪んでいく。岩棚に食い込んでいた車輪が、羽根のようにふわりと浮き上がった。
「今だ、引け!」
行商人の男が叫び、崖の上からロープを引く。軽くなった荷馬車は、拍子抜けするほどあっさりと岩棚から持ち上がり、崖の上まで引き上げられていった。
「や、やった……!」
馬車の中から、青ざめた顔の若者が転がり出てくる。無事だ。行商人の男が弟に駆け寄り、抱き合って泣いている。
その光景を横目に、ノアはその場にへたり込んだ。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫です……ちょっと魔力使いすぎただけで」
息を切らしながらも、ノアの顔には隠しきれない達成感が滲んでいた。
「わたしの魔法、ちゃんと役に立ちました……よね?」
「……ああ」
アルヴィンは短くそれだけ言って、視線を逸らした。認めるのが、少し気恥ずかしかった。
※
行商人からの礼を丁重に断り、二人は再び街道へと戻った。
「アルヴィンさん、さっき、わたしが『重さを軽くすればいい』って言った時、意外そうな顔してましたよね」
「……してない」
「してました。普通の魔術師なら、力任せに持ち上げようとするところを、わたしは違う発想をした――って思ったんじゃないですか」
図星を突かれ、アルヴィンは短く沈黙した後、渋々口を開いた。
「……重力を、『力』ではなく『重さの調整』として扱う発想は、悪くなかった」
「褒めてます?」
「事実を言っているだけだ」
「それ、褒めてる時の言い方です」
ノアがくすくすと笑う。アルヴィンは何も言い返せず、フードを深くかぶり直した。
(この子の重力の扱い方――対象にかかる重さそのものを、繊細に書き換える感覚。力任せに押し引きするんじゃない、空間の性質そのものに干渉する力だ……)
重力は、空間を歪める。そして、空間の歪みは――光の進み方を、時間の流れ方を、狂わせる。
かつて学んだ理論の断片が、頭の中で繋がっていく。ノアの重力の資質と、自分が積んできた光の術理。この二つを組み合わせられれば、あるいは。
――もしかしたら、この子の魔法の先に、自分が探しているものへの糸口があるのかもしれない。
その予感は、もう気のせいでは片付けられないほどに、確かな重みを持ち始めていた。




