第16話 監査官、再び
理論実証の翌日、書庫にやってきたのは、あの黒い外套の監査官だった。
「――昨日、地下書庫で不審な魔力反応があったと報告を受けています」
冷ややかな声に、エリスの表情が強張る。アルヴィンは平静を装いながら、一歩前に出た。
「独自の理論構築だ。禁書には触れていない」
「独自、ですか」
監査官は、机の上に残されていた記録用紙に目を落とした。砂時計の実験結果、術式の構造図。専門家が見れば、その出所に見当がつくものだった。
「この構造、既存の一般文献だけで組み上げるには、いささか出来すぎているように思えますが」
「……偶然の一致だ」
「そうですか」
監査官はしばらく記録を見つめた後、静かに紙を置いた。
「――正直に申し上げますと、あなた方が禁書を厳密に『参照』したかどうか、証明する術は、私にはありません」
その言葉に、三人は緊張したまま、次の言葉を待った。
「ですが、これだけは伝えておきます。あなた方が触れようとしている理論――重力と光による時間干渉術式は、過去に一人の術者を、時空の狭間に沈めた記録があります」
「知っている」
「知っていて、なお続けるのですか」
アルヴィンは、まっすぐに監査官を見返した。
「……ああ」
短い、だが揺るぎない返事だった。監査官は、しばらくその目を見つめ返してから、小さく息を吐いた。
「……研究院としては、これ以上の私的研究を推奨できません。ですが」
彼は、意外な言葉を続けた。
「個人としては、止める権限もありません。あなた方の選択です。ただ――」
監査官は、懐から一枚の書類を取り出し、机に置いた。
「これは、過去に事故を起こした術者の記録です。同じ轍を踏まないための、参考になれば」
それだけ言って、監査官は踵を返し、去っていった。残された三人は、しばらく無言で顔を見合わせていた。
「……あれは、警告なのか、それとも」
「たぶん、両方だと思います」
エリスが、監査官の残した書類を手に取った。目を通すうちに、その表情が徐々に強張っていく。
「これ……術者は、術式の途中で自我を保てなくなって、そのまま歪みの中に消えたと」
ノアが、思わずアルヴィンの袖を掴んだ。
「アルヴィンさん、大丈夫なんですか、これ……」
アルヴィンは、書類に目を通しながら、静かに答えた。
「原因は、同調の失敗にある。術者一人だけで、重力と光の両方を担おうとしたことが、失敗の要因だ」
「一人だけで……?」
「俺たちは、違う。重力はお前が、光は俺が担う。役割を分けている分、負荷は分散される」
その説明に、ノアは少し安堵したような、それでいてまだ不安の残る表情を見せた。
「それでも、危険は、ゼロじゃないですよね」
「……ああ」
アルヴィンは、正直にそう答えた。誤魔化す気にはなれなかった。
「危険はある。それでも――」
「わたしは、やります」
ノアが、迷いのない声で遮った。
「アルヴィンさんの目的のためだけじゃありません。わたし自身、確かめたいんです。誰にも必要とされなかったこの力が、本当に、大切な人を取り戻す手助けになれるのか」
その言葉に、アルヴィンは何も言えなかった。ただ、彼女の覚悟の強さに、胸を打たれていた。
※
その夜、エリスが二人を見送りながら、静かに言った。
「無茶だけは、しないでくださいね」
「……努力する」
「約束、ですよ」
念を押すエリスに、アルヴィンは小さく頷いた。
監査官が残した書類――過去の失敗の記録は、これから進む道の危うさを、はっきりと示していた。それでも、二人の中で、後戻りするという選択肢は、もう残されていなかった。




