第15話 司書の手引き
翌朝、二人が事情を話しに向かうと、エリスは書庫の受付で難しい顔をしていた。
「監査官の件、聞きました。……すみません、私の力不足です」
「エリスのせいじゃない」
アルヴィンが短く返すと、エリスは少し考え込むような素振りを見せた後、周囲を確認するように声を落とした。
「正式なルートでは、確かに時間がかかります。ですが」
「何か、方法が?」
「禁書指定の資料そのものは制限されていますが……その内容を、私的に『引用』した研究記録なら、規制の対象外なんです」
「引用……」
「以前、あなた方が閲覧した禁書の内容、覚えていますか。あの術式図」
「頭には入っている」
「でしたら、あとはそれを、既に規制対象外の一般文献と組み合わせて、独自の理論として構築すればいい。形式上は、禁書を直接参照したことにはなりません」
ノアが、ぱっと表情を明るくした。
「それなら、審査を待たなくても……!」
「グレーな方法ではあります。研究院に睨まれるリスクもゼロではありません。それでも」
エリスは、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私も、正直、この理論の行方には興味があるので。協力させてください」
アルヴィンは、しばらくエリスの顔を見つめてから、深く頭を下げた。
「……恩に着る」
「頭を上げてください。それより、時間が惜しいですよ」
※
その日から、三人での作業が始まった。エリスが一般文献の中から使えそうな理論を選び出し、アルヴィンがそれを禁書で見た術式の記憶と照らし合わせ、ノアが実際に重力場を発生させて検証する。
「ここの魔力の同調率、もう少し上げられますか」
「やってみます」
ノアが集中し、繊細な重力場を展開する。アルヴィンがその場に光の屈折術式を重ねると、二つの魔力が奇妙な共鳴を起こした。
「――これだ」
アルヴィンの呟きに、エリスとノアが同時に顔を上げる。
「反応が変わった……ほんの少しだけど、周囲の時間の流れが、揺らいでる」
机の上に置いた砂時計の砂が、一瞬だけ、明らかに不自然な落ち方をした。三人の間に、緊張と興奮の入り混じった空気が流れる。
「成功、なんですか……?」
「まだだ。ほんの入り口に過ぎない。だが」
アルヴィンは、震える手で記録を書き留めた。
「理論が、間違っていないことは、証明できた」
その言葉に、ノアが思わず声を上げた。
「やった……! アルヴィンさん、やりましたね!」
「まだ、成功じゃない」
「でも、一歩進んだんですよね?」
問いかけに、アルヴィンは小さく頷いた。無表情を保とうとしながらも、その口元には、隠しきれない安堵と喜びが滲んでいた。
エリスが、そんな二人の様子を見て、静かに微笑んだ。
「良い師弟関係ですね」
「……そういうのじゃない」
「あら、否定するんですね」
からかうような口調に、アルヴィンは何も言い返せず、記録用紙に視線を落とした。
※
その夜、宿への帰り道、ノアが弾んだ声で言った。
「今日、本当にすごかったですね。砂時計、絶対おかしな動き方してました」
「……ああ」
「これでフィリアさんに――」
言いかけて、ノアははっと口を噤んだ。アルヴィンも、一瞬、足を止める。
「……ごめんなさい、勝手に」
「いや」
アルヴィンは、静かに首を振った。
「その通りだ。フィリアに、会うために」
初めて、自分の口から、目的をはっきりと言葉にした。ノアは驚いた顔をしていたが、やがて、穏やかに微笑んだ。
「会えるといいですね」
「……ああ」
夜道を並んで歩きながら、アルヴィンは、胸の奥にあった重たいものが、少しずつ形を変えていくのを感じていた。




