第13話 図書館都市の暮らし
図書館都市での滞在も、気づけば半月を過ぎていた。宿代わりに借りている小さな部屋には、いつの間にか生活の匂いが染みついている。
「アルヴィンさん、洗濯物、乾きました」
ノアが窓辺から取り込んだ衣類を畳みながら、鼻歌交じりに言う。旅を続けていた頃には、こんな落ち着いた朝は滅多になかった。
「今日は、書庫は休みか」
「エリスさんが、書庫の整理で忙しいらしくて。しばらく閲覧できないみたいです」
「そうか」
珍しく予定の空いた一日に、アルヴィンは少し戸惑っていた。何をすればいいのか、咄嗟には思いつかない。
「せっかくだから、町を歩きませんか」
「……別に、見るものもないだろう」
「行ってみないと分かりません」
押し切られるように、二人は宿を出た。
図書館都市の通りは、他の町とは違う独特の賑わいを見せていた。露店には古い写本や、珍しい魔道具、押し花のしおりなどが並んでいる。
「これ、可愛いですね」
ノアが足を止めたのは、小さな硝子細工の店だった。棚には、様々な色の光を宿す小瓶が並んでいる。
「魔力灯だ。中の魔石が、微かな光を保ち続ける」
「アルヴィンさん、詳しいんですね」
「昔、ここで作り方を習ったことがある」
その言葉に、ノアは何か言いかけたが、深追いはせず、代わりに一つの小瓶を手に取った。淡い水色の光が、瓶の中で揺らめいている。
「これ、買ってもいいですか」
「好きにしろ」
いつもの返事に、ノアは笑いながら小銭を店主に渡した。手に入れた小瓶を、大事そうに鞄にしまい込む。
「夜、灯りにします」
「……そうか」
何気ないやり取りが、アルヴィンにはひどく穏やかに感じられた。目的も、探求も、今この瞬間だけは少し脇に置いて、ただ町を歩く――そんな時間が、いつの間にか自分にとって必要なものになっていたことに、彼は気づき始めていた。
昼は、川沿いの屋台で軽食を取った。ノアは焼きたてのパイを頬張りながら、足をぶらぶらと揺らしている。
「アルヴィンさんは、ここに来る前は、どんな暮らしだったんですか」
「……あまり、特別なことはない。研究と、依頼をこなす日々だった」
「一人で?」
「……いや」
アルヴィンは短く言葉を止めた。ノアはそれ以上聞かず、パイの残りを口に運んだ。
「わたしは、あちこちの村を転々としてました。どこにも長くはいられなかったので」
「……そうか」
「でも、今は、ちゃんと『拠点』みたいなものがある感じがします。この町にいる間だけですけど」
その言葉に、アルヴィンは何も返せなかった。ただ、彼女の横顔を見つめながら、自分にとってもまた、この落ち着いた日々が、思いのほか大切なものになっていることを、静かに実感していた。
夕暮れ、宿に戻る道すがら、ノアが不意に立ち止まった。
「アルヴィンさん、見てください」
夕日に照らされた図書館の塔が、橙色に染まっている。その光景を、ノアはしばらく無言で見つめていた。
「綺麗ですね」
「……ああ」
「こういう景色、ちゃんと見るの、久しぶりな気がします」
アルヴィンも、隣で同じ景色を眺めた。急ぐでもなく、探すでもなく、ただ立ち止まって何かを見る――そんな時間を、自分がどれだけ久しく持てていなかったか、改めて思い知る。
宿に戻る頃には、すっかり日が沈んでいた。部屋の中、ノアが買った魔力灯の小瓶が、静かに水色の光を灯している。
「明日は、また書庫に戻れますかね」
「……ああ、戻れるだろう」
「じゃあ、今日はゆっくり休みましょう」
ノアはそう言って、灯りの傍に横になった。その寝顔を見ながら、アルヴィンはしばらく、静かな部屋の中で一人、思考を巡らせていた。
(この暮らしが、いつまで続くんだろうな)
目的を果たせば、いずれこの生活は終わる。それが分かっていながらも、今この瞬間の穏やかさを、アルヴィンは心のどこかで、大切に抱きしめていた。




