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不器用な魔術師と、行き場のない弟子 〜失われた魔法を追いかけて〜  作者: 些細


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12/20

第12話 名前だけの記憶

禁書の一件から数日、図書館都市での滞在も落ち着きを取り戻していた。宿の一室で、アルヴィンは手に入れた古書の術式図を、丁寧に写し取っていた。

「アルヴィンさん、これ、差し入れです」

 ノアが焼き菓子の包みを机に置く。エリスに教わったという町の菓子屋で買ってきたらしい。

「気を遣うな」

「気を遣ってません、ただ食べたかっただけです」

 言い訳めいた台詞に、アルヴィンは思わず小さく息を漏らした。ノアはその反応に満足げな顔をしながら、隣の椅子に腰を下ろす。

「解読、進んでますか」

「……少しずつ、な」

 机の上に広げられた紙には、術式の構造が細かく書き写されている。その片隅、余白の部分に、アルヴィンが無意識に書き込んだ小さな文字があった。

「これ……名前、ですか?」

 ノアが指差したのは、『フィリア』という三文字だった。アルヴィンは、しまった、というように紙を手元に引き寄せる。

「……ただの、書き癖だ」

「書き癖で人の名前は書かないと思います」

 ノアの追及に、アルヴィンはしばらく黙り込んだ。誤魔化す気力もなく、かといって話す踏ん切りもつかない、その狭間で言葉を探しているようだった。

「……フィリア、っていうんですね。その人」

 核心には触れず、ただ名前だけを、確認するようにノアが呟いた。追い詰めるでもなく、急かすでもなく。アルヴィンは、その距離感に、静かに救われた。

「……ああ」

 短く肯定した。それだけで、随分と大きな一歩を踏み出したような感覚があった。

「昔、一緒に――」

 言いかけて、また言葉が止まる。ノアは急かさず、ただ静かに待っていた。

「……ここで、一緒に学んでいた相手だ」

「そうなんですね」

 それ以上、ノアは何も聞かなかった。ただ小さく頷いて、焼き菓子の包みを開き、一つをアルヴィンの前に差し出した。

「今日は、これで休憩にしましょう。解読は、また明日でも」

 その気遣いに、アルヴィンは何も言えず、差し出された菓子を一つ受け取った。


            ※


  しばらく、二人は無言で資料に目を通していた。窓から差し込む淡い光が、埃の舞う空気を照らしている。

「アルヴィンさん」

 不意に、ノアが本から顔を上げた。

「その人のこと、まだ話したくないなら、それでいいです。でも」

 彼女は、まっすぐにアルヴィンを見た。

「わたしは、今、ここにいますから」

 その一言に、アルヴィンは胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。何と返せばいいのか分からず、しばらく黙り込む。

「……ああ」

 やっとの思いで、そう答えるのが精一杯だった。

 ノアは満足そうに微笑むと、また本のページに視線を戻した。それ以上何も聞かず、何も詮索せず、ただ隣に座り続けている。

(不思議な子だ)

 踏み込みすぎず、それでいて逃げもしない。その距離の取り方が、フィリアとはまるで違うのに、なぜか同じくらい、安心できる。

 アルヴィンは、そっと机の傷跡に指を這わせた。かつての記憶と、今この瞬間の温もりが、静かに重なっていく。

 まだ、フィリアのことを、ノアに話せる日は来ていない。それでも――

(もう少しだけ、前に進めるかもしれない)

 そう思えたことが、アルヴィン自身、少し意外だった。


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