第10話 二人で座った席
地下書庫は、ひんやりとした静寂に包まれていた。天井まで届く書架には、色褪せた背表紙が整然と並んでいる。
「重力属性の資料は、この一角に」
エリスが示した棚を、ノアが夢中で漁り始める。アルヴィンはその様子を横目に、一人、書庫の奥へと足を進めていった。
――見覚えのある席があった。
窓際の、木製の古い机。表面には、幾つもの小さな傷や染みが残っている。かつて、そこに二人分の椅子が並んでいたことを、アルヴィンは覚えていた。
(ここで、よく勉強したな……)
脳裏に、蘇る光景があった。
『アルヴィン、また難しい顔してる。息抜きも大事だよ』
明るい声。呆れたような、それでいて楽しそうな笑顔。フィリアはいつも、彼が根を詰めすぎるたびに、無理やり休憩に連れ出した。
『お前がちゃんと休まないと、俺が疲れる』
そう言って、彼女は席の隣に座り、勝手に彼の資料を覗き込んでは、的確な指摘をくれた。彼女の発想はいつも自由で、アルヴィンには思いつかない角度から物事を見ていた。
(お前が、隣にいたから――)
自分は前に進めていたのだと、今更ながらに思う。
「アルヴィンさん?」
声に、はっと我に返る。ノアが数冊の本を抱えて、心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫ですか。さっきから、ずっとこの席の前で止まってて」
「……ああ、悪い」
誤魔化すように答えたが、ノアはその机をじっと見つめてから、静かに尋ねた。
「ここ、何か思い出の場所、ですか」
鋭い指摘に、アルヴィンは一瞬言葉に詰まった。だが、隠す気力も湧かず、静かに頷いた。
「……昔、よく通った席だ」
「誰かと、一緒に」
「……ああ」
それ以上は言わなかった。ノアも、それ以上は聞かなかった。ただ、彼女は抱えていた本を机の上に置くと、迷うことなく、その隣の椅子に腰を下ろした。
「じゃあ、今日はわたしが座りますね、そこ」
「……勝手にしろ」
「勝手にします」
ノアはそう言って、本を開いた。何かを埋め合わせるでもなく、ただ自然に、隣にいる。その距離感が、アルヴィンにはひどく心地よかった。
※
しばらく、二人は無言で資料に目を通していた。窓から差し込む淡い光が、埃の舞う空気を照らしている。
「アルヴィンさん」
不意に、ノアが本から顔を上げた。
「その人のこと、まだ話したくないなら、それでいいです。でも」
彼女は、まっすぐにアルヴィンを見た。
「わたしは、今、ここにいますから」
その一言に、アルヴィンは胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。何と返せばいいのか分からず、しばらく黙り込む。
「……ああ」
やっとの思いで、そう答えるのが精一杯だった。
ノアは満足そうに微笑むと、また本のページに視線を戻した。それ以上何も聞かず、何も詮索せず、ただ隣に座り続けている。
(不思議な子だ)
踏み込みすぎず、それでいて逃げもしない。その距離の取り方が、フィリアとはまるで違うのに、なぜか同じくらい、安心できる。
アルヴィンは、そっと机の傷跡に指を這わせた。かつての記憶と、今この瞬間の温もりが、静かに重なっていく。
まだ、フィリアのことを、ノアに話せる日は来ていない。それでも――
(もう少しだけ、前に進めるかもしれない)
そう思えたことが、アルヴィン自身、少し意外だった。




