第五話 正体
後から父と警察に聞いた話によると、母を殺害した犯人は神田夏子(37)。父と母の高校の同級生だったらしい。
神田は学生時代からずっと父に想いを寄せていたが、父が母を選んだことを知り、母を激しく逆恨みして殺害を計画したのだという。
彼女は母を刺した直後、周囲に取り押さえられながらも、自ら用意していた毒を煽って自害した。
母の葬儀は、身内だけで静かに、小規模に営まれた。
それからの我が家は、父と、当時小学1年生だった妹、そして僕の3人きりになった。
悲しみを抱えたまま、ただ必死に1年が過ぎた頃、父の精神は限界を迎えていた。
そして、父は再婚した。
新しく母親になった人は、父の同僚だった。
1年前に夫と離婚し、彼女もまた限界を迎えていたそうで、似たような境遇の父と支え合う道を選んだらしい。
こうして、家族は5人になった。
父、口数の少ない継母、僕、そして中学生になった妹と、新しく僕の弟になった継母の連れ子。
これといった大きな変化もないまま、僕たちは淡々と日々を重ね、気がつけば僕は高校2年生になっていた。
そして、現在。
駅で突如として起きた凄惨な事件。目の前であの日の光景がフラッシュバックし、僕は足がすくんで動けなくなってしまった。
その時、一人の女子高生が僕の手を強く引き、その場から連れ出してくれた。
しばらく息を切らして走ったところで、ようやく足が止まる。その時、僕は初めて相手の顔をまじまじと見た。
「紅葉……?」
なぜ彼女がここにいるのか。疑問は山ほど浮かんだが、今の僕にはそれを尋ねる勇気がなかった。
少しの間を置いて、紅葉がこちらを振り返り、決まり悪そうに口を開いた。
「知り合いが困ってるのが見えて……何か動かなきゃって思って。……んっと、その、もう大丈夫だよ!」
「ごめん、変なところを見せたな。忘れてくれ」
「ううん、人が目の前で刺されたんだもん、誰だって動けなくなるよ。だから……気にしないで!」
「誰だって、か……。ありがとう、もう大丈夫。紅葉、久しぶりだね。なんでこんなところにいるの?」
「えっと、実は親とケンカしちゃって……逃げてきた、みたいな感じかな」
「親とケンカ、か」
「そうなの! お母さん、本当にわからず屋でさ」
「そうかな。ちゃんと向き合って、話してみるのもいいと思うよ」
「……櫻がそう言うなら、そうしてみようかな」
紅葉は少し照れくさそうに、俯きながらそう微笑んだ。
その時後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「おーい、櫻!探したぞー!」
拓海が心配そうな顔で近づいてきた。
「さっき、あっちのホームで事件があったっぽいけど……櫻、大丈夫だったか?」
正直に話すべきか一瞬迷ったが、これ以上余計な心配をかけたくなくて、僕は努めて平然を装うことにした。
「全然、大丈夫だよ」
「嘘つけ。その顔、絶対に何かあっただろ。まあ、言いたくないなら無理にとは言わないけどさ……昔のこともあるんだから、抱え込むなよ。……で、その子は? 櫻の知り合い?」
「うん、まあ。さっきそこで偶然会って。」
僕たちの様子を窺っていた紅葉が、一歩前に出て丁寧に頭を下げた。
「初めまして、紅葉と申します。」
「おう、よろしくな! これからも櫻と仲良くしてやってくれよ。こいつ、不器用だけどめちゃくちゃ優しい奴だからさ」
「余計なこと言うなよ。」
「はは、じゃあ俺は先に帰るわ。紅葉さん、櫻のことよろしくな。」
「了解しました!」
「了解すんなって……」
「じゃあな、櫻」
ひらひらと手を振りながら、拓海はそのまま雑踏へと消えていった。
残された僕たちの間に、少し気まずい沈黙が流れる。それを破ったのは、駅の構内に響き渡ったアナウンスだった。
『――先ほど発生した事件の犯人は身柄を確保されましたが、詳細な調査のため、事件を目撃された方は恐れ入りますが改札口までお越しください……』
アナウンスを聞いた紅葉が、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「……無理、しなくてもいいんだよ?」
紅葉は僕の過去を知らないはずだ。それでも、僕の震えを察して気遣ってくれている。
だけど、あの現場を一番近くで見ていたのは僕だ。その自覚が、僕の足を一歩前に進めさせた。
「いや、行くよ。……もう、あんな事件、二度と起きてほしくないから」
母のような犠牲者を、もう誰にも出してほしくない。その強い想いが、僕の声を支えていた。
「分かった。櫻がそう言うなら、私もついていく。もちろん、一緒にね」
「いや、一人で大丈夫だよ。」
「ついていくの。心配なんだもん、放っておけるわけないじゃん。」
頑固に言い張る紅葉の真っ直ぐな瞳に、僕はとうとう根負けした。
「……分かったよ。ありがとう。」




