第三話 視線
2人の関係が再び動き出したのは、暑い夏を越えた2年生の10月のことだった。
その日の放課後、櫻は拓海と一緒に駅へ買い物に来ていた。櫻の家の近くにある駅は、田舎のショッピングモールほどの大きさは無いものの、それなりの商業施設が併設されている。
その日、駅で事件は起こった。
◇
その1時間前
櫻は人と接するのが苦手だ。だから買い物も一人で済ませたかったのだが、今日ばかりはそうもいかなかった。
「お前が俺と買い物なんて珍しいな」
「拓海が勝手に着いてきただけでしょ」
「まあ細かいことはいいとして、何を買うんだ?」
「もう冬だし、新しいコートを買う予定」
「じゃあ最初は服屋に行くか!」
「……はい」
2人は服屋へ向かった。
櫻にしてみれば、正直、寒さを凌げるなら何でも良かった。だが、適当に選ぼうとすると隣の男がうるさいのは目に見えている。そのため、いっそのこと拓海に選ばせることにした。
「これとかどうだ?」
楽しそうに拓海が掲げたのは、セールになっている真っ赤なパーカーだった。
正直に言って、拓海にはセンスがない。陰キャの自分がこんな派手な差し色をしても、似合うわけがないのだ。
それに、ほかにも赤を避けたい理由があった。
だが、それをそのまま口にすれば空気が悪くなりそうだったため、オブラートに包んで伝えることにした。
「せっかく選んでくれて申し訳ないんだけど……赤はあまり好きじゃないんだよね。赤以外で選んでくれる?」
拓海は櫻の気持ちを察したのか、「わかった」とだけ言って別のものを探しに行った。
数分後、拓海が無難な黒いコートを持ってきた。
「これはどうだ?」
「いいと思う」
「自分のやつなんだからもう少し興味を持てよ。……まあ、いいなら買ってこい。俺は店の外で待ってるから」
コートを会計し、櫻は拓海の元に戻った。
「ちょっとトイレに行ってくるから、この辺で待ってて」
拓海にそう言われ、櫻は通路の椅子に腰掛けて待つことにした。
しばらく経ったその時、櫻の後ろから、いかにも無職といった風体の小汚い男が、一つのバッグを抱えて通り過ぎていった。
あまり気にしても仕様がない。櫻はイヤホンで音楽を聴こうと、ポケットから取り出して耳にはめようとした。
――その瞬間、悲鳴が響いた。
女性の悲鳴に、周りの客が一斉にそちらへ注目する。
そのとき、櫻は前方を見てしまった。
櫻の目に、さっきの男が30代くらいの女性の腹部をナイフで刺す光景が、鮮烈に飛び込んできた。次の瞬間、女性の白いコートが血で真っ赤に染まっていく。
女性は僕の方に崩れ落ち、男は正気に戻ったのか、動揺しながらその場から逃げ出した。
その現場に、一番近くにいたのは櫻だった。
犯人に間違われるのではないか
――そんな問題ではなかった。
普通、人が目の前で刺されれば、怖くて逃げ出すか、あるいは刺された人を助けようとする。
だが、そのときの櫻は何もできなかった。ただ、身体がすくんで動けない。
周囲がにわかに慌ただしくなる。
「救急車と警察を呼べ!」
「止血しろ!!」
緊迫した声が飛び交う中、櫻の耳には別の声も届いた。
「あの人、人が目の前で刺されたってのに何してるのかしら……」
「邪魔だからどけよ」
その声を聞き、櫻はさらに動けなくなった。
呼吸が浅くなり、次第に過呼吸になっていく。
それは単なる衝撃などではなく、櫻の心に深く刻まれたトラウマに近い症状だった。
幸いにも刺された女性の傷は浅く、周囲の客が迅速に止血を行ったため、救急車が到着するまでは持ちこたえられる状態になった。
すると次に、周囲の視線が一斉に櫻へと向けられた。
心配してくれる視線だと、一瞬でも期待した櫻が馬鹿だった。
「君、動揺するのは分かるけど、邪魔になるってことが分からなかったの?」
女性を真っ先に助けた若い男性が、冷ややかな声を放った。
周囲からも同様の蔑むような視線が突き刺さる。櫻は何も言い返せず、ただ過呼吸に苦しむことしかできなかった。
そのときだった。
人混みの後ろから、一人の女子高生が周囲をかき分けて入ってきた。
その女子高生は櫻の手を強く握り締めると、
凍りついたその場から2人で連れ出すように走り去っていった。




