第四章 「選んだのは、お前や」
その言葉は、
静かだった。
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だが、
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逃げ場がなかった。
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「……俺が?」
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喉が乾く。
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「選んだって、何を」
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浮浪雲は、すぐには答えない。
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いつもの軽さがない。
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「順番にいこか」
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そう言って、壁にもたれた。
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「この世界な」
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浮浪雲はゆっくり話し始める。
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「“観測されたもんだけ”が存在できる」
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「……それは聞きました」
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「せやけどな」
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指を一本立てる。
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「人間は、全部を観測できへん」
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「だから“優先順位”つける」
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「大事なもん、どうでもええもん」
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胸の奥が、ざわつく。
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「それが積み重なると、どうなると思う?」
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答えられない。
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いや、
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答えたくない。
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浮浪雲は、はっきり言う。
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「“見ないもん”が決まる」
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「たとえばや」
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彼は続ける。
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「電車で見かける人間、全部覚えとるか?」
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「……いや」
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「コンビニの店員の顔、思い出せるか?」
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「無理です」
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「ほな、それは“存在してへん”のと一緒や」
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「いや、それは違う」
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思わず否定する。
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「存在はしてる」
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「でもな」
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浮浪雲の声が、低くなる。
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「お前の世界には“おらん”」
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言葉が刺さる。
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「それをな」
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「意図的にやる連中がおる」
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あのスーツの男。
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頭に浮かぶ。
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「“消す側”や」
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「……なんでそんなこと」
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浮浪雲は、少し笑う。
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「簡単や」
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「世界を“軽くする”ためや」
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「……は?」
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「人間が増えすぎた」
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「情報も増えすぎた」
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「全部抱えたら、世界は壊れる」
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その言葉は、
妙に現実的だった。
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「せやから、“削る”」
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「必要ないもんをな」
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「それが――」
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少し間を置く。
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「“最適化”や」
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「哲学でいうたらな」
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浮浪雲は空を見上げる。
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「“存在とは何か”って話や」
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「見るからあるのか」
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「あるから見るのか」
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答えが出ない問い。
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「連中はな」
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静かに言う。
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「“見られへんもんは無い”って決めた」
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心臓の音がうるさい。
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話が、戻ってくる。
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自分に。
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「……それが、俺とどう関係あるんですか」
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浮浪雲は、まっすぐこちらを見る。
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「お前はな」
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「その“選別”に関わっとる」
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空気が凍る。
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「嘘だ」
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即答する。
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「そんなことするわけがない」
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「ほな、なんで“思い出されへん”?」
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言葉が詰まる。
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浮浪雲は、ゆっくり近づいてくる。
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「お前が忘れとる“誰か”」
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「そいつな」
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「勝手に消されたんやない」
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息が止まる。
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「お前が、“消す側”に回った結果や」
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「やめろ!!」
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思わず叫ぶ。
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頭を抱える。
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ありえない。
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そんなはずがない。
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でも――
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記憶が、
拒絶している。
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それはつまり、
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“触れている証拠”だった。
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浮浪雲は、それ以上は言わない。
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代わりに、
静かにこう言った。
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「思い出したら終わりや」
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「……何が」
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「お前が、お前やなくなる」
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そのとき。
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遠くで、
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足音。
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複数。
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振り返る。
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路地の奥。
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影。
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また来た。
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「今度は、“選ばせに来た”で」




