第四十一話 森の国の商隊
エルフィリアの商隊がベルズに着いたのは日がすっかり沈んでからだった。
荷馬車は全部で十四台。西の大門をくぐると、そのまま大通りを抜けて広場の東側に並んで止まった。
祭の後片付けが済んだばかりの広場が、今度は見慣れない荷と人で埋まっていく。
翌朝、アルトはカイと一緒に広場を通りかかって足を止めた。
「すげえ……エルフばっかりだ」
カイが目を丸くする。
荷馬車の周りで立ち働いているのはほとんどがエルフだった。深い緑の外套を揃いで着て、荷台から木箱を下ろしている。
木箱からは乾いた葉と樹脂の匂いがした。薬草だ。それから、甘い果実の匂い。
祭の夜にリオラが持っていた林檎酒と同じ香りだった。甘い匂いに、隣でカイの腹が鳴った。
「我が君。広場にいるエルフの数は二十九名。年齢の幅が広く、百歳前後から五百歳以上までいます」
(町のエルフより、ずっと多いな)
「はい。そして、年齢の高い個体ほど覇気への感受性が高いと推定されます。抑制を強化しますか」
(頼む。できるだけ強く)
「了解しました。演算の一部を常時、覇気の抑制に回します。他の処理が少し遅くなります」
(構わない)
胸の奥で、何かがぎゅっと押しこめられる感覚がした。息が少しだけ浅くなる。胸に見えない帯を巻かれたようだった。
「おい、アルト。お前、同じエルフだろ。知り合いとかいねえの?」
「いない。俺は北の村の出だから」
「そっか。エルフにもいろいろあるんだな」
カイは素直に頷き、荷馬車の列を眺めた。
広場の端では町の衛兵たちが荷馬車の周りに立っていた。その中にエランの姿がある。栗色の短い髪をきちんと整え、槍を立てて、商隊のエルフたちと言葉を交わしていた。
同じエルフ同士でも、エランの話し方はどこか遠慮がちに見える。
「我が君。衛兵のエランです。工房の時に、我が君の覇気に反応した個体です」
(覚えてる。こっちを見るかな)
「現在、我が君への視線はありません。商隊の長老格の到着を待っているようです」
エランがふとこちらを振り向きかけた。アルトはカイの陰に半歩隠れる。
「どうした、アルト」
「なんでもない。荷運び、どこからだっけ」
「ギルドで聞くんだろ。行こうぜ、金がいい依頼はすぐなくなるんだ」
カイに腕を引かれて広場を後にする。背中に誰かの視線を感じた気がして振り返ると、エランはもう商隊のほうを向いていた。
ギルドの前にはもう人だかりができていた。
商隊の荷運びと、町の中での護衛。それから帰り道の護衛の依頼が、まとめてギルドに出されたらしい。
掲示板の前で冒険者たちが押し合っている。木の床に、冒険者たちの靴の泥が点々と散っていた。
「報酬、すげえいいぞ! 荷運びだけで一日銀貨一枚だって!」
カイが人垣の隙間から叫んだ。
「我が君。麦の穂亭の宿代の残りは、九日分です」
(受けるしかないな)
「推奨します。ただし、エルフとの接触が増えます」
(荷運びなら、裏方だ。顔を合わせることは少ないだろ)
「楽観的な推定です」
受付ではミレイユが山のような依頼票を捌いていた。アルトとカイの顔を見ると、ぱっと笑う。
「お二人とも、荷運びですね! 広場の東の、三番の荷馬車からお願いします。商隊の方の指示に従ってください。それと」
ミレイユは声を少しだけ潜めた。
「ギルドマスター、今朝から部屋に籠もって出てこないんです。屋根にもいないんですよ。珍しいでしょう」
アルトは昨夕のことを思い出した。屋根の上で、近づいてくる旗を長いあいだ見つめていた横顔を。
「……風邪でも引いたんじゃないですか」
「エルフって風邪引くんですか?」
「引くと思います、たぶん」
「その言い訳には、根拠がありません」
(分かってる)
◇
三番の荷馬車の前で、二人を待っていたのは若いエルフの男だった。百歳を少し過ぎたくらいだろうか。
人間の目で見れば二十歳前後の青年だ。
「ベルズの冒険者か。木箱を倉庫まで運んでくれ。中身は薬草の乾燥葉だ。横にすると湿気る。立てたまま運ぶように」
言い方は丁寧だったがどこか素っ気ない。人間の町の冒険者を、使い走りとしか見ていない響きがあった。
カイは気にした様子もなく、元気よく返事をして木箱を担いだ。アルトも続く。木箱は見た目より重く、腕がすぐに痺れてきた。
「重量の補助をしますか」
(いい。目立つ)
「了解しました」
倉庫と荷馬車を何度も往復する。三往復目で、若いエルフがアルトの顔をちらりと見た。
「お前、エルフか」
「はい」
「どこの出だ」
「北の、小さな村です」
「北?」
若いエルフは眉を寄せた。
「北にエルフの村があるなんて聞いたことがないな。まあいい。人間の町で冒険者なんかやってるエルフは、たいてい訳ありだ」
それきり興味を失ったように、次の木箱を指さした。
「我が君。この個体は、覇気にほとんど反応していません」
(若いからか)
「はい。百歳前後の個体は、感受性が低いと推定されます」
少しだけ肩の力が抜けた。
昼前になって、広場の向こうから人の流れが変わった。
荷馬車の間を一人の老エルフが歩いてくる。周りのエルフたちが手を止め、軽く頭を下げていた。商隊の中でも位の高い人物なのだろう。
背は高く、痩せていた。白い髪を背中で一つに束ね、深い緑の外套の胸元に銀の大樹の刺繍がある。皺の刻まれた顔は穏やかだったが、歩き方には少しの隙もなかった。
「あれは誰です?」
カイが若いエルフに小声で聞いた。
「ファルン様だ。商隊の相談役で、エルフィリアの商人組合の長老でもある。五百年以上、この交易路を回っておられる」
「五百……」
カイが絶句した。
「我が君。注意してください。この個体の年齢は推定で五百二十歳以上。広場にいる中で最も感受性が高い個体です」
(避けたほうがいいな)
「推奨します。進路を変えてください」
アルトは木箱を抱えたまま、荷馬車の陰へ回りこもうとした。
ちょうどその時、倉庫の入口から出てきた別の荷運びが木箱を落とした。中から乾燥葉の束がばらばらと石畳に散らばる。
慌てて拾い集める人の流れに押されて、アルトは荷馬車の陰へ入りそこねた。
気づいた時には目の前にファルンがいた。
すれ違う距離。半歩も離れていない。
老エルフの足がふと止まった。
何も起きなかったように見えたかもしれない。
ファルンは歩みを止めただけだった。だがその膝がほんのわずかに沈んだ。片足を引き、体を前へ傾けかける。
長い年月のあいだに体に染みついた礼の形だった。
老エルフ自身がそれに気づいたのは膝が半分ほど折れてからだった。
はっとしたように動きが止まる。ゆっくりと体を起こし、自分の膝を見下ろした。それから、目の前の木箱を抱えた若いエルフに目を向けた。
くすんだ金の髪。普通の翠の瞳。どこにでもいる新人の冒険者。
「我が君。抑制を最大にしています。漏出は一パーセント未満です」
(それで、これか)
「はい。この個体の感受性は、私の推定を超えています」
ファルンの目が細められた。何かを確かめようとするように、アルトの顔から耳へ、肩へとゆっくり視線を移していく。
「……失礼」
低く、よく通る声だった。
「足元が少しふらついた。年は取りたくないものだ」
「い、いえ」
「君は、この町の冒険者か」
「はい。荷運びの依頼で」
「そうか。ご苦労だね」
ファルンは穏やかに微笑んだ。けれど、その目は少しも笑っていなかった。
「名前を聞いてもいいかな」
喉が詰まった。
「我が君。偽名を使う意味はありません。ギルドの記録に名前があります」
(分かってる)
「……アルトです」
ファルンの眉がかすかに動いた。
「アルト」
老エルフは口の中でその名前を転がすように繰り返した。
「古い名だね。今の若い者には、あまりつけない」
「育ててくれた人が、古い言葉が好きだったので」
「そうか」
ファルンはそれ以上何も聞かなかった。軽く頷き、アルトの横を通り過ぎていく。
すれ違いざま、老エルフがほとんど聞き取れないほどの声で呟いたのが分かった。
「……梢の名を持つ子が、人間の町で荷を運ぶか」
足音が遠ざかっていく。
アルトは木箱を抱えたまま、しばらく動けなかった。
◇
「おいアルト、大丈夫か? 顔、真っ青だぞ」
カイが心配そうに覗きこんできた。
「……重かっただけだ」
「そうか? なら、ちょっと休もうぜ」
倉庫の裏の日陰に腰を下ろす。水筒の水を飲むと、喉の奥がひりついていた。
「我が君。報告します」
(ああ)
「先ほどの個体は、我が君の覇気を明確に感じ取りました。ただし、正体を特定するには至っていません。あの個体の目の動きは、確かめようとして確かめきれなかった者のそれでした」
(梢の名を持つ子、って言ってたな)
「はい。リオラと同じく、我が君の名前の意味に気づいています。名前と、膝を折りかけた事実。この二つを結びつけるかどうかは、推定できません」
アルトは膝を抱えた。
ベルズに来てから、少しずつ増えていく。自分が普通ではないと気づく人が。リオラ、バルド、カイ。
ハインリヒ。そして今日、エルフィリアの長老。
「抑制を強化します。現在の演算の三割を、常時覇気の抑制に充てます」
(それで、お前の他の処理は)
「遅くなります。解析の速度が三割落ちます。戦闘時の反応も同様です」
(……大丈夫なのか)
「エルフに膝を折られるよりは、ましだと判断します」
NOAの声はいつもどおり平らだった。けれど、その判断が自分の能力を削ってのものだということは、アルトにも分かった。
「無理はするなよ」
「はい。無理はしません。必要なことをするだけです」
(それを無理って言うんだよ)
「では、言い換えます。必要な無理をします」
カイが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「お前さ、時々黙ってどっか見てるよな。考えごとか?」
「……ああ。考えごとだ」
「そっか。俺は考えごとすると腹減るんだよな。昼、なんか食いに行こうぜ」
カイはそう言って、倉庫の裏の日陰から立ち上がった。銀貨一枚の仕事はまだ半分も終わっていない。
夕方、最後の木箱を運び終えた。
若いエルフが銀貨を一枚ずつ、アルトとカイに手渡してくる。それから、少しだけ声の調子を変えて言った。
「お前、ファルン様と何か話していたな」
「名前を聞かれただけです」
「そうか。……ファルン様が人間の町の冒険者に名前を聞くなんて、珍しいことだ」
若いエルフは首を傾げながら、荷馬車の列へ戻っていった。
ギルドに報告に戻ると、受付の前に見慣れない男が立っていた。
エルフだ。商隊の緑の外套ではなく、黒に近い濃紺の上着を着ている。襟元に、小さな銀の紋章。
白い鳥が枝にとまった意匠だった。年は三百を超えているだろうか。背筋をまっすぐに伸ばし、ミレイユに向かって丁寧に、しかし有無を言わせない口調で話していた。
「ギルドマスターのリオラ・ヴェルシエル様に、お取り次ぎを願いたい。ヴェルシエル家の家令、ベルトランが参ったとお伝えください」
ミレイユが困ったように、階段のほうを振り返った。
階段の上で、扉の開く音がした。




