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第三十話 番人

暗がりから、それが歩み出てきた。


 人の形をしていた。だが大きさが違う。背丈はバルドの三倍、アルトの倍近くある。


 全身が回廊と同じ白い石でできていて、継ぎ目がひとつもない。両腕は太い柱のようで、拳だけで大人の頭ほどもあった。


 顔には目も鼻も口もなかった。ただ、額に二つ、青白い光が灯っている。


 一歩踏み出すたびに、広間の床が低く鳴った。


「……ゴーレム、か」


 バルドが鑿を握り直した。声が乾いていた。


「我が君。この個体は、遺構の守護のために作られた番人です。動力は、遺構全体に張り巡らされた理の網から供給されています。侵入者の排除が、その役目と推定します」

(侵入者って、俺たちか)

「はい。東の壁の穴から侵入した者たちの痕跡に反応して、目覚めたと推定します。現在、広間にいる全員を侵入者と判断しています」


 番人の額の光がゆっくりと広間を見回した。


 カイに。バルドに。そして、アルトに。


 青白い光が一瞬だけ、アルトのところで止まった気がした。


 それから、カイのほうへ向き直った。


「カイ、下がれ!」


 叫んだのと番人が動いたのは、ほとんど同時だった。


 柱のような腕が横薙ぎに振るわれる。風を切る重い音。カイが咄嗟に剣を盾にして受けた。


 金属が悲鳴を上げた。


 剣が根元から折れ、カイの体が吹き飛ぶ。石の床を転がり、壁際で止まった。


「カイ!」

「げほっ……だ、大丈夫だ……!」


 カイが咳きこみながら体を起こす。折れた剣の柄を握りしめたまま。


「生体反応、正常。肋骨に軽い損傷がありますが、骨折には至っていません」


 番人がカイのほうへ歩み寄っていく。もう一度、腕を振り上げる。


「させるかよ!」


 バルドが飛びこんだ。


 ずんぐりとした体が信じられない速さで番人の足元に滑りこむ。腰の金槌を抜き、番人の膝の裏に叩きつけた。


 甲高い音。火花が散った。


 白い石の表面に、小さなひびが一筋入っただけだった。番人の動きはまるで止まらない。


「硬えな、こいつ!」


 番人が足元のバルドを見下ろした。振り上げた腕の向きが変わる。


「我が君。番人の腕の振り下ろし、推定二秒後。バルド・グランハンマーへの直撃は、致命傷になります」

(杖は)

「出力の上限では、この番人の表面にひびを入れるのが限界です」

(偽装を解いたら)

「この番人を破壊することは可能です。ですが、遺構全体の理の網が傷つく可能性があります。それに、カイ・ロウエルとバルド・グランハンマーの目の前で」


 その前に、アルトは一度だけ杖を抜いていた。


 番人の腕の付け根に狙いを定め、出力の上限の範囲で風を撃つ。圧縮された空気の塊が白い石の肩に叩きつけられた。


 乾いた音。番人の肩に、小さな欠けができただけだった。


 番人は振り向きもしなかった。


「出力の上限では、表面を削るのが限界です。予測どおりです」

(分かってて撃ったんだよ。注意をこっちに向けたかった)

「注意は向いていません。この番人は、脅威の優先順位を固定しています」


 壁抜きでは駄目だ。


 杖を下ろす。バルドの頭上で、白い拳が振り上げられていた。


 一秒。


 考えている時間はなかった。


 アルトは走っていた。



   ◇



 番人とバルドの間に、体を滑りこませる。


 両手を広げた。杖も構えず、魔法も組まず。ただ、立ちはだかった。


 自分でも、何をしているのか分からなかった。


 頭上で、番人の腕が振り下ろされる。白い石の拳がまっすぐにアルトの頭へ。


「小僧っ!」


 バルドの叫び声。


 拳が止まった。


 アルトの額の指一本分手前で。


 風圧だけが前髪を揺らしていった。


 番人は腕を振り下ろした形のまま動かなかった。額の二つの光がアルトを見下ろしている。青白い光がゆっくりと明滅していた。


 何かを、確かめているように。


「……我が君。番人が、我が君の理を読んでいます」

(読んでる?)

「はい。我が君の血の波形と、称号を照合しています。終の林檎の石箱と同じ方式です。照合の対象は」


 NOAが一瞬だけ黙った。


「古王朝の、継ぎ手の署名です」


 番人の光がひときわ強く瞬いた。


 それから、ゆっくりと、腕を下ろした。


 石の巨体が軋む音を立てて沈んでいく。片膝が白い床につく。重い音が広間に響いた。


 番人は膝をついたまま、上体をわずかに傾ける。額の光が柔らかな青色に変わっていた。


 そして、その巨体を横へずらした。


 まるで、道を譲るように。


 番人の背後で、七本の樹が刻まれた白い扉が、淡く光りはじめた。



   ◇



 広間はしんと静まり返っていた。


 アルトは両手を広げたままの姿勢で立ち尽くしていた。心臓が今さらのように激しく打ちはじめる。膝が震えていた。


 背後で、誰かが息を呑む音がした。


 振り返る。


 バルドが金槌を握ったまま床に尻もちをついていた。口が半開きになっている。煤けた顔の中で、目だけが大きく見開かれていた。


 壁際のカイも、同じ顔をしていた。折れた剣の柄を握ったまま、ぽかんとアルトを見上げている。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 番人の膝の下で、白い石がかすかに軋む音だけが響いていた。


「我が君。説明を推奨します」

(どう説明しろって言うんだよ)

「演算中です」

(……お前でも、すぐには出ないのか)

「はい。前例がありません」


 最初に動いたのはバルドだった。


 金槌を腰に戻し、膝に手をついて、よっこらせと立ち上がる。尻についた石の粉を、ぱんぱんと叩いて払った。


 それから、アルトの顔をじっと見る。


 長い時間だった。番人を見た時と同じ、何かの奥にあるものを見透かそうとする目。


「……小僧」

「……はい」

「言いたくなきゃ、聞かねえ」


 ぶっきらぼうな声だった。


「だがな、今度、酒奢れ。グラン・ドルムの火酒だ。一番高えやつをな」


 アルトは言葉に詰まった。


 バルドは鼻を鳴らし、番人の巨体を見上げた。


「それにしても、とんでもねえ石工だな、こいつを作った奴は。俺が一生かかっても、指一本作れやしねえ」


 そう言って、番人の膝のひびを、職人の手つきでそっと撫でた。


 バルドは番人の膝のひびを撫でながら、ぽつりと付け加えた。


「それと、小僧。さっきのは無茶だ。二度とやるな」

「……はい」

「と言っても、お前はまたやるんだろうがな。そういう顔をしてやがる」


 バルドは鼻を鳴らした。


「だったら、せめてやる前に一声かけろ。俺が先に殴っといてやる。ドワーフの頭は石より硬えんだ」


 カイが壁に手をついて立ち上がった。


 脇腹を押さえながら、ふらふらとこちらへ歩いてくる。アルトの目の前で立ち止まり、見上げた。


「アルト」

「……なんだ」

「お前、何者だ?」


 まっすぐな目だった。責めているのでも、怯えているのでもない。ただ、知りたいという目。


 アルトは口を開きかけて、閉じた。


「……今は、言えない」


 ようやく、それだけ言った。


「ごめん」


 カイはしばらく黙っていた。


 それから、ふっと笑った。脇腹が痛むのか、顔をしかめながら。


「そっか」


 あっけないほど軽い声だった。


「じゃあ、言えるようになったら教えてくれよ。相棒だろ。待つよ」


 カイはアルトの肩を、拳で軽く小突いた。


「それにさ、さっきのお前、めちゃくちゃかっこよかったぞ。何も持たずに、ゴーレムの前に飛び出してさ」

「……あれは、何も考えてなかっただけだ」

「なおさらかっこいいじゃねえか」


 カイが歯を見せて笑う。


 喉の奥が熱くなった。


「我が君。カイ・ロウエルとバルド・グランハンマーの信頼度の評価を、更新します」

(……ああ)

「両者とも、最上位です。リオラと同格です」

(脅威度じゃなくて、信頼度で最上位か)

「はい。分類が異なります」



   ◇



 扉は淡い光を帯びたまま、まだ閉じていた。三人はしばらく、広間の床に座りこんでいた。


 バルドが腰の水筒を取り出し、ぐいと呷る。中身は水ではなかったらしく、火酒の匂いがふわりと漂った。


 それから、黙ってアルトに水筒を差し出した。


「……一口だけ」

「おう」


 口をつける。喉が焼けた。前ほどは咳きこまなかった。


「お、慣れてきたな」

「慣れたくないです」


 カイが笑い、バルドからも水筒をひったくって一口飲んだ。次の瞬間、盛大にむせた。


「げほっ、なにこれ、喉が燃える……!」

「ガキにはまだ早え」

「おっさんがくれたんだろ!」


 広間に、三人の笑い声が反響した。


 膝をついたままの番人が額の青い光を穏やかに瞬かせていた。


「我が君」

(なんだ)

「先ほど、我が君が番人の前に飛び出した時のことです」

(……無茶だったって言いたいんだろ)

「はい。生存確率の計算を挟まずに行動した我が君を、初めて見ました」


 NOAが少しだけ間を置いた。


「私は、我が君を止められませんでした。止めるべきだったのか、判断できません」

(止めなくてよかったよ)

「なぜですか」

(あそこで止まってたら、俺はまた何もできないまま見てるだけだった)


 NOAは何も答えなかった。けれど、しばらくして、小さく言った。


「……記録しておきます。分類は、保留です」


 番人の背後で、白い扉が音もなく開いていった。


 七本の樹の彫刻が左右に分かれ、その向こうから、淡い光が溢れ出してくる。


「おい、開いたぞ」


 バルドが目を細めた。


 扉の向こうにはさらに広い空間があった。天井一面に、何かが描かれている。光の線が複雑に絡み合い、ゆっくりと明滅していた。


「我が君」


 NOAの声がかすかに揺れていた。


「この遺構の理の書き方について、報告があります」

(なんだ)

「番人の式、扉の封印、回廊の壁面の生成。いずれも古王朝の技術ですが、その式の組み立て方に、ある特徴があります」

(特徴?)

「条件の分岐の置き方。変数の名付けの規則。処理を分割する単位の切り方。それらが」


 NOAが一拍置いた。


「前世の我が君が私を設計した時の癖と、非常によく似ています」


 足が止まった。


(……偶然だろ)

「偶然の一致である確率は、算出できません。比較対象が少なすぎます。保留とします」


 保留。出所不明のデータと同じように。


 アルトは扉の向こうの光を見つめた。胸の奥で、何かが小さくざわめいている。


 扉の向こうへ足を踏み出す前に、アルトはもう一度だけ振り返った。


 カイが折れた剣の柄を腰に差し、新しい松明に火を移している。バルドは番人の膝のひびを、まだ名残惜しそうに撫でていた。


 自分が何者なのか、二人はまだ知らない。それなのに、待つと言ってくれた。酒を奢れのひと言で済ませてくれたのだ。


 里を失って、名前を偽って、誰にも本当のことを言えないまま生きていくのだと思っていた。


 けれど、もしかしたら。


 いつか、この二人には全部話せる日が来るのかもしれない。


「我が君。その日は、遠くないと推定します」

(お前、俺の考えてること分かるのか)

「我が君の心拍数と、表情筋の動きからの推定です。それと」


 NOAが少しだけ間を置いた。


「私も、そう望んでいます」


 その時、背後の広間の東側から、かすかな音が聞こえた。


 石を踏む音。複数の足音。押し殺した話し声。


 東の壁に開けられた、あの穴の方角から。


「警告。東の侵入経路から、生体反応が六つ接近しています」


 NOAの声が硬くなった。


「魔力の流れに、星の聖文の痕跡があります」

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