第二十八話 古坑
南の古坑の入口には松明を手にした人々が集まっていた。
鉱夫たちだった。煤けた顔に汗を浮かべ、誰もが坑道の奥の暗闇を見つめている。その輪の外側で、女たちが子供を抱きしめて立ち尽くしていた。
泣き声が夜の冷たい空気に溶けていく。
カイがアルトの隣で足を止めた。
「……ここなんだ。親父が死んだの」
低い声だった。いつもの大声がどこにもなかった。
「七年前も、こんな感じだった。みんなで入口に集まって、母ちゃんが俺の手を握ってて。三日待って、出てきたのは親父の鶴嘴だけだった」
アルトは何も言えなかった。ただ、カイの肩に手を置く。カイの肩はかすかに震えていた。
「でも、今度は違う」
カイは顔を上げた。
「今度は、俺が助ける側だ」
坑道の入口の前に、ずんぐりとした背中が見えた。
バルドだった。煤けた布を頭に巻き、腰に金槌と鑿を何本も差している。坑道の入口の岩壁に手を当て、目を閉じていた。
「バルドさん」
「おう、小僧。来たか」
バルドは目を開け、岩壁から手を離した。
「ギルドから呼ばれた。坑道のことなら、この町で俺の右に出る奴はいねえからな。ドワーフは岩の中で生まれて、岩の中で死ぬんだ」
「状況は」
「最悪じゃねえが、良くもねえ」
バルドは坑道の奥を顎でしゃくった。
「第三坑道の奥で天井が落ちた。閉じこめられたのは三人。落ちた岩の向こうに、まだ空間が残ってる。叩けば返事がある。生きてるってことだ」
鉱夫たちの間から、すすり泣く声が漏れた。
「だが、問題は崩れ方だ」
バルドの声が低くなった。
「天井の落ち方が、おかしい。自然に崩れたなら、一番弱いところから落ちる。だが今回のは、一番硬い岩盤の真ん中から割れてやがる。まるで、内側から何かに押し上げられたみてえに」
「我が君」
(分かってる。たぶん、あいつらだ)
森の奥にある焼け焦げた円。魔力を吸い尽くされた獣たち。そして、星の文字。
何かを探していた者たちがこの古坑の地下に辿り着いたのだとしたら。
救出隊は鉱夫の中から選ばれた屈強な男たちが六人。それにバルドと、ギルドから派遣されたアルトとカイだった。
「冒険者の新人が二人? 大丈夫なのか」
鉱夫の頭が眉をひそめた。バルドが鼻を鳴らした。
「こいつらは俺が選んだ。エルフの小僧は目がいい。暗いところでも岩の割れ目が見える。黒髪の坊主は、ロウエルの息子だ」
鉱夫たちの間に、ざわめきが広がった。
「ロウエルの……」
「あいつの息子か」
「大きくなったな」
年配の鉱夫が一人、カイの前に進み出た。皺だらけの手で、カイの肩を強く掴む。
「親父さんには、俺も命を救われた。……頼むぞ、坊主」
「おう」
カイは短く答えた。声が少しだけ掠れていた。
◇
坑道に入る前、ハンナが人の輪をかき分けて走ってきた。
息を切らし、髪を振り乱している。洗濯屋から駆けつけたのだろう、前掛けが濡れたままだった。
「カイ……!」
「母ちゃん」
ハンナはカイの前で立ち止まり、何か言おうとして、言葉が出てこないようだった。唇が震えている。
七年前、この入口で夫を待ち続けた人だった。
「大丈夫だよ、母ちゃん」
カイが母親の両肩に手を置いた。
「俺は親父とは違う。ちゃんと帰ってくる。アルトもバルドのおっさんも一緒だしな」
「……約束よ」
「おう。約束だ」
ハンナはカイの胸に額を押しつけ、一度だけ強く抱きしめた。それから顔を上げ、アルトのほうを向いた。
「アルトさん。カイを、お願いします」
深々と下げられた頭を見て、アルトは何も言えなくなった。ただ、頷いた。
「我が君。カイ・ロウエルの生還を、最優先事項に追加しますか」
(最初から入ってる)
「了解しました。順位を一つ上げておきます」
バルドが坑道の入口の脇に立てかけてあった古い鶴嘴を、黙って手に取った。
柄が黒ずみ、刃先が欠けている。ずいぶん古いものだった。
「おっさん、それ……」
カイの声がかすれた。
「お前の親父のだ。落盤の後に見つかったやつを、鉱夫たちが入口に祀ってたんだ。七年な」
バルドは鶴嘴を、カイの手に押しつけた。
「俺が打った鶴嘴だ。百年もつように作った。お前の親父が使い切れなかった分、お前が使え」
カイは鶴嘴を両手で受け取り、長いあいだそれを見つめていた。
それから、ぎゅっと柄を握りしめる。
坑道の中は冷たく湿っていた。
頭上を木の梁が支え、壁には鶴嘴の跡が無数に残っている。松明の火が揺れるたびに、影が生き物のように壁を這った。
どこかで水の滴る音がする。カイの父親も、この道を毎日歩いていたのだろう。
「視界を補助します。岩盤の構造を重ねて表示します」
坑道の壁に、青い線が浮かび上がった。岩の層。割れ目。
地下水の通り道。見えない地面の下の形が透けて見えるようになった。
(落盤の場所は)
「この先、約四百歩。第三坑道の分岐の奥です」
分岐を曲がると、行く手を巨大な岩の塊が塞いでいた。
天井から崩れ落ちた岩盤が坑道を完全に埋めている。大人が五人で手を繋いでも抱えきれないほどの岩が、何層にも折り重なっていた。
バルドが岩に耳を当て、金槌の柄で軽く叩いた。
こん、こん、こん。
しばらくして、岩の向こうから、かすかな音が返ってきた。
こん、こん。
「生きてる」
鉱夫たちの間から、安堵の息が漏れた。
「だが、こいつをどかすのは骨だぞ。下手に動かせば、上がまた落ちてくる。向こうの空気も、いつまでもつか分からねえ」
(NOA。岩の構造を)
「表示します」
折り重なった岩盤に、無数の青い線が走った。どの岩がどの岩を支えているか。どこに力がかかっているか。
どこを動かせば、どこが崩れるか。
そして、岩盤の割れ目の奥に、別の色の文字が見えた。
白く乾いた、星の光のような文字。
「星の聖文の残滓です。岩盤の下から、強い力で突き上げる術が使われた痕跡があります。この落盤は、人為的なものです」
(やっぱりか)
「さらに報告があります。閉じこめられた三人の生体反応の向こう側に、大きな空洞があります。坑道ではありません。人の手で、もっと精密に作られた空間です」
(空洞?)
「規模は、ギルドの建物の十倍以上。そして、その壁面の理の書き方が」
NOAが一瞬だけ言葉を切った。
「シルヴェールの里の、石箱の封印と同じ系統です」
「小僧。何か見えるか」
バルドの声で、我に返った。
「……はい。右下の、あの平たい岩。あれが全体を支えてます。あれを動かすと全部崩れる。逆に、左上の三つは浮いてます。上から順に外せば、隙間ができると思います」
バルドが目を細め、アルトが指さした岩を一つずつ確かめた。耳を当て、金槌で叩き、指で割れ目をなぞる。
「……合ってるな」
低く唸る。
「お前、本当に目がいいな」
「エルフなので」
「便利だな、エルフ」
「その言い訳は、本日一回目です」
(数えなくていい)
◇
作業は夜を徹して続いた。
バルドが岩の割れ目に鑿を打ちこみ、鉱夫たちが縄をかけて少しずつ引き出す。アルトが次に外す岩を指さし、NOAがその裏で崩れそうな箇所の理をわずかに締め固めていく。
誰にも気づかれないように、ほんの少しずつ。
夜半を過ぎた頃、頭上で嫌な音がした。
ぎし、と。坑道の梁が軋んでいる。天井から、ぱらぱらと砂が落ちてきた。
「警告。右上方の岩盤に、新たな亀裂が生じています。三十秒以内に崩落の可能性」
「上だ! 崩れるぞ!」
アルトが叫ぶと、鉱夫たちが一斉に後ずさった。
(NOA、締め固めろ)
「実行します」
亀裂の入った岩盤の理に、青い光の糸が流れこんでいく。ひび割れた式が繋ぎ直され、岩の中の結晶がぎゅっと寄り集まる。
軋む音が止まった。
しばらく、誰も動かなかった。砂の落ちる音も、もう聞こえない。
「……止まった、か?」
鉱夫の頭が恐る恐る天井を見上げる。
バルドが無言で岩盤に近づき、手のひらを当てた。長いあいだ、そのまま動かない。
「おかしいな」
低い声だった。
「さっきまで割れかけてた岩が、締まってやがる。岩ってのは、一度割れはじめたら戻らねえもんだが」
バルドが振り返り、アルトを見た。
アルトは目を逸らした。
「我が君。疑念を持たれました」
(分かってる)
「……まあ、いい。運が良かったな」
バルドはそれだけ言って、また鑿を手に取った。その背中がほんの少しだけ笑っているように見えた。
カイは誰よりも多く岩を運んだ。
両手の皮が剥け爪が割れ、額から血が流れても、一度も手を止めなかった。鉱夫の一人が休めと言っても、首を横に振るだけだった。
「カイ。少し休め」
「休まねえ」
「お前が倒れたら、助ける奴が一人減るだろ」
「……」
「我が君の論法は、カイ・ロウエルの過去の発言と同一の構造です」
(あいつが言ってたからな。怪我したら依頼に行けない、って)
カイは岩を下ろし、壁にもたれて座りこんだ。肩で息をしている。アルトは水筒を差し出した。
カイは一気に半分を飲み干した。
「なあ、アルト」
「なんだ」
「親父の時も、こうやって誰かが掘ってくれたのかな」
「……たぶんな」
「そっか」
カイは水筒を返し、また立ち上がった。
「じゃあ、今度は俺の番だ」
夜明け前、最後の岩が外れた。
崩れた岩盤の向こうから、冷たい風が吹きこんできた。松明の炎が大きく揺れる。
狭い隙間の奥に、三人の鉱夫が身を寄せ合ってうずくまっていた。煤と埃にまみれ、目だけが松明の光を映して光っている。
「おい! 生きてるか!」
鉱夫の頭が叫ぶ。
「……生きてる! 生きてるぞ!」
かすれた声が返ってきた。坑道に、歓声が響いた。
鉱夫たちが次々と隙間に入り、三人を引きずり出していく。一人は足を骨折していたが命に別状はなかった。
カイが助け出された一番若い鉱夫の肩を支えていた。若い鉱夫は泣きながら何度も礼を言っている。カイは何も言わずに、ただ頷き続けていた。
その目から、涙がこぼれている。
皆が三人を連れて引き返していく中、アルトは崩れた岩盤の隙間の前に残っていた。
バルドも、残っていた。
二人で、隙間の奥を見つめる。
鉱夫たちがうずくまっていた狭い空間のさらに奥。崩れた岩盤の裂け目から、坑道とは明らかに違う何かが覗いていた。
壁だった。
鉱山の粗い岩肌ではない。鏡のように滑らかに磨き上げられた、白い石の壁。継ぎ目ひとつない一枚岩の表面に、細かな文字がびっしりと刻まれている。
「……なんだ、こりゃ」
バルドが呟いた。ドワーフの目が大きく見開かれていた。
「百年、この町の岩を叩いてきた。だが、こんなもんがあるなんて、聞いたこともねえぞ」
アルトは壁に刻まれた文字を見つめていた。
誰も読まなくなった、遠い王朝の文字。
夜ごと灯りの下で、皺だらけの指がなぞっていた文字。
――お前は考える子だ。それでいい。
松明の光の中で、壁の一番上の一行だけが、くっきりと浮かび上がっていた。
アルトはその一行を声に出さずに読んだ。
――継ぎ手よ、ここに来たれ。




