第二十三話 調査隊
夜明け前の東門には十数人の冒険者が集まっていた。
吐く息が白い。冬の始まりの冷たい空気の中で、松明の炎が揺れている。誰もが武具を点検し、荷を確かめ、低い声で言葉を交わしていた。
「すげえ……みんなCランク以上だぞ」
カイが声を潜めて、アルトの袖を引いた。
「あっちの赤い外套のパーティが『赤狼の牙』。リーダーのダグさんは元Bランクで、ベルズで一番の古株なんだ。こっちの三人組は『三日月』。全員魔法使いで、氷と雷が得意なんだってさ」
赤狼の牙の五人は揃いの赤い外套に使いこまれた鎧を着ていた。先頭に立つ禿頭の大男がダグなのだろう。
両手剣を背負い、顔の半分を古い火傷の痕が覆っている。
三日月の三人は深い青の長衣をまとった女性たちだった。手に手に杖を持ち、そのうちの一人が退屈そうにあくびをしている。
「我が君。各個体の魔力量を推定しました。最も高いのは三日月のリーダーで、約四千。赤狼の牙のダグは約二千。いずれも偽装後の我が君の六倍以上です」
(偽装前と比べると)
「偽装前の我が君の、十分の一以下です」
(……言わなくていい)
「確認されたので」
荷を積んだ二頭のロバの手綱を握っているのはアルトとカイの二人だった。雑用係は他にもう一人、ギルドの見習いの少年がいるだけだ。
「おい、新人ども」
ダグが振り返り、アルトとカイを見下ろした。
「荷物は落とすな。ロバは逃がすな。それと、魔物が出たら俺たちの後ろに隠れてろ。死なれると報告書が面倒なんだ」
「は、はい!」
「……はい」
カイが背筋を伸ばして返事をする。ダグは鼻を鳴らし、前に向き直った。
最後に現れたのはリオラ。
いつもの着崩した制服ではなかった。濃い灰色の革鎧に、膝丈の外套。腰の細身の剣のほかに、背中に短弓を背負っている。
白金の髪はきつく編みこまれ、首の後ろでひとつにまとめられていた。
冒険者たちのざわめきがすっと静まった。
「おはよう、みんな。寒いわね」
声はいつもどおり柔らかい。けれど、誰一人としてそれを冗談として受け取っている者はいなかった。
「目的は東の森の調査。魔物が何から逃げているのか、原因を突き止める。戦闘は最小限。原因が分かったら、それ以上は深入りせずに引き返すこと。いいわね」
「了解」
ダグが短く答え、三日月のリーダーも頷いた。
「それから」
リオラの視線がロバの手綱を握るアルトに向いた。
「荷物持ちの子たちは、私の近くにいなさい。目の届く範囲から離れないこと」
「我が君。監視の意図が明確になりました」
(最初から分かってた)
◇
東門の外に、小さな人影が二つ立っていた。
一つはハンナ。もう一つは毛布にくるまった小さな女の子。ミナだった。
「ミナ!? なんで来てんだよ、寒いだろ!」
カイが慌てて駆け寄る。ミナは毛布の端から顔を出して、にっと笑った。
「お見送り! お兄ちゃんとアルトさんが、森の調査に行くって聞いたから」
「母ちゃん、止めてくれよ」
「止めたわよ。でも、走って先に行っちゃうんだもの」
ハンナが苦笑した。その顔に、もう以前のような疲れの影はない。
ミナは毛布の中から何かを取り出し、アルトに差し出した。
小さな布袋だった。口を紐で縛ってあり、中から乾いた草の匂いがする。
「お守り。お母さんに教わって作ったの。中に、うちの鉢植えの花を乾かして入れてあるんだよ」
「……ありがとう」
「お兄ちゃんにもあるからね!」
「おう、知ってる。昨日の夜、三回くらい言われた」
ミナは最後にもう一度だけアルトの顔を見上げ、それから、小さな声で言った。
「エルフさん、気をつけてね」
アルトさん、ではなかった。
「我が君」
(……聞こえた)
ミナはもう、母親の背中に隠れて手を振っていた。
お守りの袋を懐にしまう。乾いた花の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
東の森に入ったのは朝日が昇りきった頃だった。
前に月光草を採った外縁部を過ぎ、さらに奥へ。泉へ向かった時の獣道とは違う道を進んでいく。ダグが先頭で藪を払い、三日月の三人が中央で周囲を警戒している。
リオラは最後尾にいた。アルトとカイとロバのすぐ後ろに。
森は前に来た時よりもさらに静かだった。
鳥の声がない。虫の音もない。落ち葉を踏む自分たちの足音と、ロバの蹄の音だけが、木々の間に吸いこまれていく。
「……なんか、気味悪いな」
カイが小声で呟いた。
「我が君。周辺の生体反応は、前回の泉への道中と比較して、さらに半減しています」
(森から、生き物が消えてる)
「はい。逃げたか、あるいは」
NOAは言葉を切った。その先は聞かなくても分かった。
しばらく歩いたところで、リオラがアルトの隣に並んだ。
「坊や。森の歩き方、上手ね」
「……そうですか」
「足音が小さいし、枝を踏まない。エルフの里で育った子の歩き方よ」
褒められているのか、探られているのか分からなかった。たぶん、両方なのだろう。
「ねえ、この森、どう感じる?」
「どう、って」
「エルフはね、森の声を聞くの。耳じゃなくて、肌で。木の幹に触れると、その木が今どんな気分か、なんとなく分かるでしょう」
リオラは歩きながら、手近な木の幹にそっと指先を触れた。
「この木は、怯えてる。根の先が、ずっと縮こまってるの。何かから逃げたくても、木は逃げられないから」
アルトも、隣の木の幹に手を当ててみた。
理の層を開かなくても、分かった。樹皮の下を流れる水がどこか細く、浅く、震えている。シルヴェールの森で毎日触れていた木々とは、まるで違う手触りだった。
「……苦しそうです」
「そうね」
リオラは小さく頷いた。
「坊やにも分かるのね。今の若いエルフは、町暮らしが長いと、だんだんこれが分からなくなるの」
「我が君。エルフとしての感覚を示したことで、北の村の出身という申告の信憑性が、わずかに上がりました」
(皮肉だな)
「同意します」
前のほうで、カイがダグに何か話しかけていた。ダグはうるさそうに手を振りながらも、時々振り返って、カイの足元を確かめてやっている。
口では邪険にしながら、新人の歩き方を見てやっているのだ。
「ダグはね、昔、新人の仲間を森で死なせたことがあるの」
リオラが前を見たまま言った。
「だから、新人が嫌いなふりをするの。嫌いなふりをして、誰よりも目を離さない」
「……リオラさんと、少し似てますね」
リオラがこちらを向いた。
灰青の瞳が少しだけ丸くなり、それから、ふっと細められた。
「生意気ね、坊や」
昼過ぎ、先頭のダグが足を止めた。
「止まれ」
手を上げて、全員を制する。藪の向こうに、何かが倒れていた。
鹿だった。一頭ではない。三頭、四頭。
その先にも、猪が一頭、狐が二匹。どれも外傷がなく、体は痩せ細り、毛並みは灰色にくすんでいる。
アルトが泉の帰りに見つけた鹿と、同じだった。
「なんだ、こりゃ」
ダグが膝をつき、鹿の体に触れた。
「傷がねえ。病気か? いや、それにしちゃあ」
「魔力を抜かれてるわ」
三日月のリーダーが杖の先を鹿に向けながら言った。
「体の中に、魔力がほとんど残ってない。病気でこんな死に方はしない。誰かが吸い出したのよ」
「誰かって、誰がだ」
「そこまでは分からないわよ」
リオラが前に出て、鹿の喉元を覗きこんだ。
そこにはアルトが見たのと同じ、白く乾いた焼き印のような痕が残っていた。普通の目にはただの擦り傷にしか見えないかもしれない。
だがリオラはその痕を指でなぞり、長いあいだ黙っていた。
「……ギルドマスター?」
ダグが声をかける。リオラは立ち上がった。表情は変わっていない。
けれど、指先がかすかに強張っているのを、アルトは見逃さなかった。
「先に進みましょう。原因は、もっと奥にあるわ」
「我が君。この個体は、痕の正体に気づいた可能性があります」
(神聖星国と戦ったことがあるって言ってた)
「はい。この術式を、二百年前に見ている可能性が高いです」
◇
日が傾く前に、野営の準備に入った。
小さな沢のほとりの開けた場所。アルトとカイはロバから荷を下ろし、天幕を張り、薪を集めた。赤狼の牙の若い団員が火を起こし、三日月の一人が周囲に簡単な結界を張った。
鍋で干し肉と根菜を煮る。カイが味見をして、塩を足しすぎて、ダグに頭を叩かれていた。
夜が来た。
焚き火を囲んで、冒険者たちが交代で見張りに立つ。アルトとカイは見張りから外されていた。新人に任せられることではない、というのがダグの判断らしい。
カイはすぐに寝息を立てはじめた。一日中ロバの手綱を引いて、さすがに疲れたのだろう。
アルトは眠れなかった。
「我が君。睡眠を推奨します」
(森がうるさい)
「森は、静かです」
(だから、うるさいんだよ)
NOAは何も言い返さなかった。
焚き火の向こう側に、リオラが座っていた。
膝を抱え、炎を見つめている。見張りの番ではないはずなのに、ずっとそこにいた。
目が合う。
リオラが小さく手招きをした。
少し迷ってから、アルトは焚き火を回りこみ、リオラの隣に腰を下ろした。炎の熱が頬を温める。
「眠れないの?」
「……少し」
「私もよ」
リオラは炎に小枝をくべた。ぱちり、と火の粉が夜空へ舞い上がる。
「坊や。あの鹿の喉の痕、見た?」
心臓が跳ねた。
「我が君」
(分かってる)
「……擦り傷、ですか」
「そう見えたなら、それでいいわ」
リオラは炎を見つめたまま、静かに続けた。
「二百年前、ロートリンゲンの森でね、同じ死に方をした獣をたくさん見たの。神聖星国の神官が、星の聖文っていう術を使う前に、森の魔力を集めるのよ。大きな術ほど、たくさんの魔力が要るから」
炎の光がリオラの横顔を赤く照らしている。
「あの時は、森がひとつ丸ごと死んだわ」
アルトは何も言えなかった。
神聖星国。星の聖文。森の魔力を集めて、何か大きな術を使おうとしている者が、この森のどこかにいる。
里を焼いた者たちと、同じ国の。
「我が君。心拍数が急上昇しています。覇気の抑制が不安定です」
(……っ)
拳を握りしめ、息を吸う。吐く。
隣で、リオラがちらりとこちらを見た気がした。
焚き火の向こうで、ダグが見張りの若い団員と交代するのが見えた。交代の時、ダグは若い団員の肩を叩き、何か短く言葉をかけている。
三日月の三人は身を寄せ合って一枚の毛布にくるまっている。
誰もが明日には町に帰るつもりでいた。
その時、地面が揺れた。
かすかな揺れ。最初は気のせいかと思った。だが焚き火の上の鍋がかたかたと小さく鳴っている。
沢の水面に、細かな波紋が広がっていく。
見張りに立っていたダグが両手剣の柄に手をかけて振り返った。
「……なんだ、今のは」
揺れがだんだん大きくなっていく。
遠く、森の奥のほうから、地鳴りのような音が近づいてくる。何百、何千という足音が、一斉に地面を叩いているような。
リオラが立ち上がった。
さっきまで炎を見つめていた柔らかな横顔は、もうどこにもない。
「全員起きなさい!」
鋭い声が夜の森を切り裂いた。
「来るわよ!」




