第十九話 壁抜き
「杖ってのはな、魔法使いの手の延長だ」
バルドは作業台の上に、一本の木の棒を置いた。
長さはアルトの肩ほど。黒っぽい樫の木で、表面には細かな木目が浮いている。何年も乾かしたものらしく、持ち上げると見た目よりずっと軽かった。
「詠唱で練った魔力を、杖の先に集めて撃ち出す。杖がなくても魔法は使えるが、杖があれば狙いが定まるし、無駄に散る魔力も減る。腕のいい魔法使いほど、自分に合った杖を持ってる」
「我が君。杖の作製は、第一の方針の観点からも有用です」
(どういうことだ)
「現在、我が君は人前で魔法を使う理由を説明できません。魔力三百十の新人エルフが、突風を起こしたり、焚き火を爆ぜさせたりする理由を」
(運が良かった、で通してるな)
「はい。ですが、限界があります。ギルドマスターには、既に見抜かれています」
屋根の上で黒茶をすすっていたリオラの横顔が、頭に浮かんだ。運って言葉が嫌いなの、と言った時の少しも笑っていない灰青の瞳。
「杖があれば説明がつきます。よくできた杖のおかげで、魔力が少なくても魔法が使える。そういう筋書きです」
(なるほど。杖を、言い訳にするのか)
「さらに提案があります。杖の中に、出力の上限を設けてください」
(上限?)
「我が君の本当の魔力は四万八千です。何かの拍子に感情が昂ぶれば、意図せず大きな魔法が出る可能性があります。杖を通した魔法は、新人のエルフとして不自然でない威力を超えないように制限するのです」
(リミッターか)
「はい。前世の言葉で言えば、安全装置です」
「小僧。また黙りこくってるな」
バルドが腕を組んで、こちらを睨んでいた。
「すみません。考えてました」
「何をだ」
「この杖に、出力の上限をつけたいんです。魔力をどれだけ流しても、一定以上の威力にはならないように」
バルドの眉がぐっと寄った。
「……上限? 逆じゃねえのか。魔力の少ねえ奴は、普通、少ない魔力でも大きな魔法が撃てるように杖を作るもんだ」
「俺、加減が下手なので」
苦しい言い訳だった。バルドはしばらくアルトの顔を見つめていた。何か言いたげに口を開きかけて、閉じる。
「……まあいい。お前がそうしたいなら、そうしてやる」
炭の棒と羊皮紙がどんと目の前に置かれた。
「描け」
◇
杖の図面は針よりもずっと複雑だった。
魔力を集める式。狙いを定める式。撃ち出す式。
そして、出力の上限を決める式。NOAが組んだ骨組みに、バルドが長持ちさせるための曲がりを加えていく。
昨夜の作業で、二人の呼吸はすっかり揃っていた。アルトが線を描けば、バルドがすぐにその意図を読み取って、より良い形を提案してくる。
「ここの分岐、なんで二つに分けてる」
「上限を超えた魔力を、外に逃がすためです」
「逃がすなら、こっちの線と繋げたほうがいい。樫の木目に沿って流せば、熱にならずに散る」
「NOA」
「検証します。……バルド・グランハンマーの案のほうが、放熱効率が三割高いです」
「それでいきましょう」
「おう」
昼前には樫の杖の表面に、細い線がびっしりと刻まれていた。
線は杖の根元から先端へ向かって、蔦が絡みつくように螺旋を描いている。先端には小指の先ほどの小さな魔石が埋めこまれていた。
バルドが棚の奥から出してきた、透き通った緑色の石だ。
「森の魔石だ。エルフの杖には、こいつが一番馴染む」
「これも高いんじゃ」
「黙ってろ」
「我が君。返済予定額が更新されました」
(言わなくていい)
「よし、試し撃ちだ」
工房の裏手は小さな空き地になっていた。
積み上げられた薪の山。錆びた鉄くずの山。そして、工房の裏壁。
分厚い石を積み上げた、頑丈な壁だった。
空き地の端に、古い鎧を着せた案山子が立っていた。バルドが試し斬りに使っているものらしい。胸当てには無数の傷が刻まれている。
「あれに撃ってみろ」
杖を握る。手のひらに、樫の木のざらりとした感触が馴染む。
「出力の上限、設定済みです。新人のエルフが撃つ、風の初級魔法相当です」
(初級の風、だな)
杖の先を案山子に向ける。魔力を、ほんの少しだけ流しこんだ。
次の瞬間。
杖の先端の魔石がまばゆい緑色に光った。
ごう、と空気が唸る。杖の先から放たれた風の塊が案山子の胸当てに直撃した。鎧ごと案山子が吹き飛ぶ。
そのまま風は勢いを失わず、背後の工房の裏壁に叩きつけられた。
轟音。
石が砕け、土埃が舞い上がる。
土埃が晴れた時、工房の裏壁には、人がくぐれるほどの大きな穴が空いていた。
穴の向こうに、工房の炉が見える。炉の前の作業台の上で、昨夜の羊皮紙が風にはためいていた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人とも、しばらく何も言えなかった。
(NOA)
「はい」
(初級じゃなかったのか)
「解析中です。……原因を特定しました。出力の上限の式は正常に機能しています。ただし放熱のための分岐が、上限を超えた魔力を外に逃がす代わりに、風の魔法そのものに再合流させていました。バルド・グランハンマーの改良により、魔力の伝達効率が想定の約六倍に向上していたためです」
(つまり)
「上限を超えた分が、全部そのまま上乗せされていました」
(……安全装置が、ブースターになってたのか)
「はい。申し訳ありません。検証が不足していました」
横を見る。
バルドが穴の空いた自分の工房の壁を見つめていた。口が半開きになっている。髭が土埃で白くなっていた。
「バ、バルドさん。すみません、壁、弁償します」
バルドの肩が震えはじめた。
怒っているのかと思う。だが震えはどんどん大きくなり、やがて腹の底からの笑い声になった。
「ぶはははははは!」
バルドは膝を叩き、天を仰いで笑い転げた。
「壁が! 俺の工房の壁が! 百年もってた壁が! ぶはははは!」
「本当に、すみません」
「謝るんじゃねえ! 見ろよ小僧、これが俺たちの仕事だ! 初級の風で石壁をぶち抜く杖なんざ、どこの国の宮廷にもねえぞ!」
バルドは涙を拭いながら、壁の穴に近づき、砕けた石の断面を撫でた。
「いい穴だ」
(いい穴って何だ)
「理解不能な評価です。ですが、当該個体は満足しているようです」
◇
「何事だ!」
表の通りから、鋭い声が飛んできた。
工房の表の戸口に、革鎧の上に町の紋章入りの外套を羽織った若い男が立っていた。腰に剣を下げ、手には槍。
町の衛兵だ。その後ろに、物見高い近所の住人たちが何人も集まってきている。
衛兵の耳は長く尖っていた。
エルフだった。年はアルトより少し上に見える。栗色の髪を短く刈りこみ、真面目そうな顔を険しくしかめていた。
「バルド殿。今の轟音は」
「炉が爆ぜた」
バルドは平然と答えた。
「炉が、ですか。壁に穴が空いていますが」
「空いたな。古い炉だ。たまにはそういうこともある」
「たまに、炉が爆ぜて壁に穴が空くのですか」
「空くんだよ。ドワーフの炉はな、気難しいんだ」
衛兵は納得していない顔で、壁の穴とバルドと、それからアルトを順番に見た。
視線がアルトのところで止まった。
衛兵の眉がわずかに寄る。何かを確かめるように、もう一度。それから、ほんの一瞬だけ、その目に戸惑いの色が浮かんだ。
「警告。あのエルフの個体が、我が君の覇気にわずかに反応しています。先ほどの試し撃ちで感情が昂った際、抑制が一時的に緩みました」
(まずいか)
「今は再度抑えています。ですが、反応の残滓は残っている可能性があります」
「……そちらの方は」
「客だ。杖の注文に来た新人の冒険者だよ。炉が爆ぜた時に居合わせて、肝を潰してやがる」
バルドがアルトの背中をばんと叩いた。危うく前のめりに転びかける。
「そう、ですか」
衛兵はしばらくアルトを見つめていたが、やがて小さく首を振った。気のせいだと自分に言い聞かせるように。
「失礼しました。私は町の衛兵のエランと申します。怪我人がいないのなら結構です。ですがバルド殿、壁の修理はお早めに。夜盗が入りますので」
「おう、分かってる」
エランは軽く会釈をして、集まった住人たちを散らしながら去っていった。去り際に一度だけ振り返り、またアルトを見る。
何かを言いかけて、結局何も言わずに角を曲がっていった。
「……おい小僧。あの衛兵、お前のことじろじろ見てたな」
「同じエルフだから、珍しかったんじゃないですか」
「そうかい」
バルドはそれ以上何も言わなかった。ただ、どこか面白そうに鼻を鳴らしただけだった。
「我が君。町のエルフへの露見の可能性について、評価を開始します」
(……頼む)
出力の上限の式を組み直すのに、さらに一刻かかった。
今度はNOAが念入りに検証し、バルドが一本ずつ線を確かめる。もう一度試し撃ちをすると、杖の先から出た風は案山子の帽子を軽く飛ばしただけで、すっと消えた。
「今度こそ、初級相当です」
「……つまんねえな」
バルドが心底残念そうに呟いた。
「バルドさん」
「冗談だ。……半分な」
組み直しの合間に、バルドがふと手を止めた。
「なあ小僧。さっきの一撃、お前はほんのちょっとしか魔力を流してなかったよな」
「……はい」
「ほんのちょっとで、あれだ」
バルドは壁の穴を顎でしゃくった。
「上限をつけたいって言った理由が、少し分かった気がするぜ」
返す言葉が見つからなかった。バルドはそれ以上何も聞かず、また刻印針を動かしはじめた。
「我が君。この個体は、我が君の魔力が三百十ではないことに気づいています」
(だろうな)
「ですが、追及する意思はないようです」
(……変わったドワーフだな)
「同意します。そして、好ましい個体です」
NOAが誰かを好ましいと言うのを、アルトは初めて聞いた気がした。
出来上がった杖を、両手で受け取る。
樫の木に刻まれた螺旋の線が陽の光を受けてかすかにきらめいていた。手に吸いつくように軽い。持っているだけで、体の中の魔力の流れが落ち着いていく気がする。
「名前、つけるか」
「名前?」
「いい道具には名前をつけるもんだ。ドワーフの決まりだ」
アルトは杖を見下ろした。
(NOA、何かあるか)
「我が君が命名してください。私は採点に専念します」
(……じゃあ)
壁の穴が目の端に入った。
「『壁抜き』で」
バルドがまた噴き出した。
「四十点です」
(今のは分かってて付けたんだよ)
「ネーミングの意図を考慮しても、四十点です」
工房を出る前に、バルドが一枚の紙切れを渡してくれた。
「ロウエルの娘の薬の材料だがな。銀苔ってのは、東の森の奥の、古い泉のそばにしか生えねえ。泉の周りの石に、銀色の苔が貼りついてる。それを石ごと持って帰れ。苔だけ剥がすと、すぐに枯れちまうからな」
紙切れには泉までの道筋が、意外なほど丁寧な字で描かれていた。
「ありがとうございます」
「礼は、その娘が元気になってから言え」
バルドはそっぽを向いて、壁の穴の前で腕を組んだ。
「それと、壁の修理代は、お前が稼げるようになってからでいい。百年後でもいいぞ。ドワーフは気が長えんだ」
「我が君。返済予定額が、再度更新されました」
(百年後なら、まあ、なんとかなるか)
「エルフの寿命を考慮すれば、現実的な期限です」
工房を後にする。背中に、樫の杖の重みが心地よかった。
夕方、麦の穂亭に戻ると、食堂の入口でカイが仁王立ちしていた。
「アルト! 昨日の夜からどこ行ってたんだよ! マーサさんに聞いても知らないって言うし!」
「……ちょっと、買い物」
「一晩中か!? しかも、なんだその杖! お前真っ黒じゃねえか!」
カイがアルトの煤だらけの顔を指さして叫ぶ。厨房の奥から、マーサが「ちゃんと風呂入って、ちゃんと食べな!」と怒鳴った。




