第十七話 設計図
「で、こいつは何に使うもんだ」
バルドは図面を指先で叩いた。
「刻印具ってのは、何かの式を閉じこめて、別の何かに働きかけるための器だ。剣に刻めば切れ味が上がる。鎧に刻めば硬くなる。こいつはどれでもねえ。こんな小せえ器で、何をする気だ」
答えに迷った。
「我が君。目的を明かすことのリスクを提示します。魔力枯渇症の治療法は、この世界ではまだ確立されていません。それを新人冒険者が作ったと知られれば」
(目立つ、だろ)
「はい。非常に」
だが目の前のドワーフに嘘をついて、まともな仕事をしてもらえるとは思えなかった。この男は図面を見ただけで、線の一本一本に意味があることを見抜いたのだ。
「……薬に使います」
「薬?」
「魔力の流れがおかしくなる病気があって。体の中の、魔力の出口を調整する仕組みが、生まれつき逆になってる子がいるんです。この刻印具を薬に溶かしこんで、少しずつ体の中の仕組みを正しい向きに直していく。そういう薬です」
バルドの眉が跳ね上がった。
「魔力枯渇症か」
「知ってるんですか」
「知ってるも何も」
バルドは空になった杯をどんと作業台に置いた。
「南の下町の、鉱夫の娘だろ。ロウエルのとこの」
今度はアルトの眉が跳ね上がる番だった。
「なんで」
「ロウエルの親父の鶴嘴を打ったのは俺だ。あいつは腕のいい鉱夫だった。落盤で死んだ時も、最後まで仲間を逃がしてたって聞いた」
バルドは炉の火を見つめた。赤い光が煤けた顔の皺を深く浮かび上がらせている。
「葬式の時に、ちっこい息子が泣きもしねえで、母親の手を握ってた。その後で、娘が病気だって噂は聞いたよ。俺には何もできなかったがな」
「その息子が、カイです。俺の……相棒です」
口にしてから、自分で少し驚いた。相棒、という言葉が、思ったより自然に出てきたのだ。
「我が君。私の役割が」
(後にしてくれ)
バルドはしばらく黙っていた。それから、大きく鼻を鳴らした。
「代金は要らねえ」
「え」
「ロウエルの娘のためなら、金なんざ受け取れるか。あいつには借りがあるんだ。俺が若い頃、坑道で落石に巻きこまれかけた時に、あいつが突き飛ばして助けてくれた」
太い指が図面の上をなぞる。
「だがな、小僧。この仕事、俺にもできるか分からねえぞ」
◇
作業台の上に、新しい羊皮紙が広げられた。
「説明しろ。その病気の仕組みとやらを。俺には刻印のことは分かるが、人の体のことは分からねえ」
アルトは炭の棒を手に取った。
何をどこまで話すか迷った。理のことは話せない。NOAのことも話せない。
けれど仕組みだけなら、絵にすれば伝わるかもしれない。
羊皮紙の真ん中に、丸をひとつ描く。
「これが、体の中の魔力の溜まり場です。泉みたいなものだと思ってください。ここから全身に魔力が流れて、また戻ってくる」
丸から何本もの線を伸ばし、体の形に沿って巡らせる。
「普通は、この泉の出口に門番がいて、魔力が出すぎないように見張ってます。溜まりすぎたら少し開けて、減ってきたら閉める」
「水車小屋の水門みてえなもんか」
「そうです。でもミナの場合、この門番が逆さまなんです。溜まったら閉めて、減ったら開ける。だから魔力が溜まった瞬間に外へ漏れて、体はいつも空っぽのまま」
バルドが唸った。
「逆さまの門番、か」
「生まれつき、門番に渡された指示書の一文字だけが間違ってるんです。開けろと閉めろが入れ替わってる。それだけなんです」
羊皮紙の上の小さな丸を、炭の先で叩く。
「たった一文字のせいで、あの子は十一年、寝台から出られなかった」
言ってから、声が少し強くなっていたことに気づいた。
バルドは黙って羊皮紙を見つめていた。太い指で、逆さまの門番を描いた箇所をなぞる。
「……たった一文字で、十一年か」
低い声だった。
「鋼もな、そういうことがある。一箇所だけ、打ちが甘いところがあると、どれだけ丁寧に仕上げてもそこから折れる。俺は若い頃、それで客を一人死なせかけた」
炉の火がぱちりとはぜた。
「その一文字を、直すってのか」
「はい」
「なら、やってやる」
バルドが顔を上げた。煤けた顔の中で、目だけが炉の火のように光っていた。
「線が細すぎる」
バルドは図面を炉の明かりにかざし、苦い顔をした。
「俺の手なら、髪の毛くらいの線までは刻める。だがこいつは、その半分だ。しかもこの数。指先ほどの金属片に三百本以上。一本でも歪めば、全部やり直しだろ」
「はい。一本でも狂うと、式が通らなくなります」
「だろうな。人間の手じゃ無理だ。ドワーフの手でもな」
作業台の端に転がっていた刻印針を、バルドが指先で弾いた。細い鋼の針が乾いた音を立てて転がる。
「俺の持ってる一番細い針でも、これが限界だ。これより細くすると、針のほうが折れちまう」
アルトは転がった針を拾い上げた。
(NOA。この針、見てくれ)
「解析します」
針に青い文字列が浮かぶ。鋼の硬さ。先端の形状。
そして、柄の部分に刻まれた小さな刻印。
「柄の刻印は、硬化の式です。針の先端を硬くし、折れにくくしています。ドワーフの標準的な技術です」
(この式、書き換えられるか)
「どのように」
(硬くするだけじゃなくて、先端の位置を固定する式を足す。手が震えても、針の先だけは決まった線の上から外れないように)
NOAが一拍黙った。
「……前世の我が君が使っていた、手ぶれ補正の発想ですね」
(そういうこと。それから、針の先に魔力を通して、金属を削るんじゃなく溶かして線を引けるようにしたい。そうすれば、物理的な細さの限界を超えられる)
「可能です。式の設計を始めます。ただし、その式を刻むためにも、精密な刻印が必要です」
(だから、二段階でやる。まず普通の針で、精密な針を作る。その精密な針で、ミナの刻印具を作る)
「道具を作るための道具、ですね」
(前世でもよくやったろ)
「はい。我が君は、作業を自動化するための道具を作るために、作業そのものより長い時間をかけることがよくありました」
(……それは言わなくていい)
「おい、小僧」
顔を上げると、バルドが訝しげにこちらを見ていた。
「さっきから針を睨んで黙りこくって、何を考えてる」
「バルドさん。紙と書くもの、ありますか」
「あ? あるが」
「新しい図面を描きます。ミナの刻印具じゃなくて、それを刻むための針の図面です」
バルドが目を見開いた。
作業台の上を片づけ、渡された古い羊皮紙を広げる。炭の棒を握り、NOAが視界に表示した式の線を、一本ずつ写していく。
針の柄に刻む式。手の震えを吸収し、先端の位置を固定する式。先端に魔力を集め、金属を熱で溶かす式。
それぞれの式を、どう繋ぎ、どう配置するか。
描きながら、アルトは自分の手が少しずつ速くなっていくのを感じていた。
前世の感覚だった。コードを書いている時の、頭の中と指先が一本の線で繋がるような感覚。何を書けばいいのかが書く前から分かっている。
「我が君。三行目の配置を左に寄せると、魔力の通り道が短くなります」
(ああ、そうだな。こっちの分岐は統合できる)
「同意します。効率が十二パーセント向上します」
気づいた時には羊皮紙が一枚、細かな線でびっしりと埋まっていた。
顔を上げる。
バルドが作業台の向かいで固まっていた。
「……小僧」
声が掠れていた。
「お前、今、それを頭の中から出したのか。どこかの本を見たんじゃなく」
「えっと、はい」
「手ぶれを殺す式。針先で金属を溶かす式。それを、刻印の線の組み方だけでやる。魔石も、特別な素材も使わずに」
バルドは羊皮紙を持ち上げ、炉の火にかざした。指がかすかに震えている。
「こんなもん、グラン・ドルムの王宮刻印師でも組めねえぞ」
「グラン・ドルム?」
「ドワーフの国だ。俺が昔……いや、どうでもいい」
バルドは首を振り、羊皮紙を作業台に置いた。それから、じっとアルトの顔を見つめる。
目つきが変わっていた。さっき弓を見ていた時と同じ、何かの奥にあるものを見透かそうとする目だった。
「お前、何者だ」
「我が君。危険な質問です」
(分かってる)
「……ただの新人冒険者です。弓が下手な」
バルドはしばらく黙っていた。
それから、肩を揺らして笑い出す。腹の底から響くような、豪快な笑い声だった。工房の壁に反響し、炉の火が揺れる。
「ただの新人冒険者、か! いいぜ、そういうことにしといてやる!」
バルドは笑いながら酒瓶を掴み、自分の杯になみなみと注いだ。
「職人ってのはな、腕と仕事で語るもんだ。どこの誰かなんざ、どうでもいい。この図面を描ける奴が目の前にいる。俺にとっちゃ、それだけで十分だ」
ぐいと杯を呷る。
「よし、決めた。今夜はこいつをやる。まず針を作る。それから、ロウエルの娘の刻印具だ」
「今夜、ですか」
「当たり前だ。こんな面白え仕事、明日まで待てるか」
◇
「我が君。一点、報告があります」
(なんだ)
「麦の穂亭の女将に、今夜戻らないことを伝えていません。前回、我が君が夕食を抜いた際、女将は三回ため息をつきました」
(……明日の朝、怒られるな)
「確率、九十四パーセントです。カイ・ロウエルにも伝えていません。明朝、宿の前で待機している確率は、九十九パーセントです」
(そっちは百だろ)
「私は百パーセントという数字を、極力使わないようにしています」
(なんでだよ)
「前世の我が君が、本番環境で絶対はないと、繰り返し言っていたためです」
バルドは炉に新しい炭を放りこみ、ふいごを踏んだ。
炎が勢いよく燃え上がり、工房の中が一気に熱くなる。壁の棚から、いくつもの金属の塊を下ろしてくる。
鋼。銀。それから、淡い青色に光る小さな金属片。
「魔銀だ。ドワーフの国の深い鉱脈でしか採れねえ。刻印との相性が一番いい」
「それ、高いんじゃ」
「黙ってろ。俺が使うって言ったら使うんだ」
バルドは魔銀の欠片を指先で弾き、満足げに鼻を鳴らした。
「よく見ろ、小僧。魔銀ってのはな、鋼みてえに叩いて形を作るもんじゃねえ」
バルドは青い欠片を指先でつまみ、炉の明かりにかざした。
「こいつは、刻印を覚えるんだ。一度刻んだ線を、何十年でも忘れねえ。だから王宮の刻印師は、国の宝になるような道具には必ず魔銀を使う」
「王宮の刻印師のこと、詳しいんですね」
言ってから、しまったと思った。バルドの手が一瞬止まったからだ。
「……昔、ちょっとな」
それだけ言って、バルドは欠片を作業台に戻した。それ以上は何も言わない。
「我が君。この個体は、ドワーフの王宮の内部事情に通じている可能性があります。グラン・ドルムの出身であることと合わせ、記録しておきます」
(聞かないほうがいいことも、あるだろ)
「承知しています。記録するだけです」
「我が君。魔銀の市場価格は、同じ重さの金の約二十倍です」
(……後で絶対返す)
「記録しておきます。返済予定、未定」
アルトは上着を脱ぎ、袖をまくった。工房の熱気で、もう額に汗が滲んでいる。
「小僧、ふいごは踏めるか」
「やったことないです」
「なら今覚えろ。一定の調子で踏め。速すぎても遅すぎても駄目だ。炉の火の色を見て、橙色から黄色に変わる手前で止めるんだ」
「NOA」
「炎の温度を表示します。最適な踏み込みの間隔は、一・二秒ごとです」
ふいごに足をかける。
ぎこちなく踏みこむと、炉の炎がごうと唸った。
「速え! もっとゆっくりだ!」
「一・五秒に調整してください」
踏みこむ。炎の色が落ち着いていく。
「おう、そうだ。悪くねえ」
バルドが真っ赤に焼けた鋼を金床に置き、金槌を振り上げた。
「いいか小僧。今夜は寝られねえと思え」
金槌が振り下ろされる。甲高い音が夜の工房に響き渡った。




