第十一章 悪夢の瞬間①
「ランディ、ランディッ!」
ルネの書斎に戻ってきたアディは、一番にランディの名を呼ぶ。
アゼレッダを目指して、このルネに帰ってくるまでに優に三時間は経っただろうか。
最大半日の離脱を想定した計画だったが、まだ名を知らないはずのクレスを求めて、エダンが現れたのだから、この数時間でなにかしらルネが激動した可能性が非常に高い。
あの怒涛の宣言をした闘技の正午を駆け抜けて、今は太陽が沈む兆しを見せていて、もう一、二時間で夕刻がやって来る時間帯になるだろう。
エレンツェの救出が最優先ではあるが、突然姿を消したランディの行方に対しても嫌な予感が拭いきれない。
「部屋を出たのか?」
すぐ扉を開けようとするが、内側からしっかり施錠されているようだ。
出入りの痕跡がないことから、あの赤子のランディの手によって施錠されたことを訴えてくる。
ただゆっくり鍵を開けて周囲を見たが、常駐された兵士どころか人気すら感じられないこの異様な状況。
「ランディは今どこに? ……何か、あったのか」
扉から出た形跡がないとなれば、退路となる道は一つだけしか残っていない。
「まさか、この断崖絶壁を降りたと言うのか? ……嫌な予感しかしないな」
不穏な足音に焦りの色を隠せないまま、表向き冷静沈着を装いながら豪華なドレスを再び着て、エレンツェとランディを助けるためにアディは正面から堂々と書斎を出た。
眩いばかりの装飾を縫い付けた豪華なドレスは、今のアディにとって戦闘服のようなもの。
現状、エレンツェとランディを救えるのはアディしかいないのだから、頭をフル回転させながら多くの可能性を考慮して城の中を堂々と歩いて行く。
ルネの構造を何度も思い出しては、エレンツェが幽閉されている可能性が高い場所を絞って捜索範囲を狭める。
牢屋の機能を持たない拷問をするだけの場は、最下層と分かり切ってはいるが、アディの目を掻い潜って幽閉するなら新たに造った隠し部屋ならば道理が通るというもの。
この断崖絶壁には、天然の洞窟との遭遇が幾度も起こった問題だったからだ。
アイリーンならこの城で快適に生活するための、隠秘なる場を存在させるはずと考える。
最悪亜空間を融合させて、秘密裏に様々な空間を創った可能性も浮上しているのだから。
「……おかしい、人の気配がしない」
この日の正午、アディは貴族達を前に衝撃的で攻撃的な内容を口にした。
呆れて怒ってすぐに荷を積んだ可能性もあるが、あれだけの数の貴族を囲っていただけに、この時間帯なら渋滞必至な混乱の真っ只中でも特別不思議な現象ではないというのに。
ゆっくり優雅に歩くが、心は想像以上に焦っているようで、この状態の徹底究明のための模索を求め過ぎるが故、頭は冷静さを与えてくれない。
しかしある程度の目星はついている。
「やはり、我らは何かしら監視されていると確定して間違いない」
結局は筒抜け。
今更言葉として吐くことになんら問題は生じない。
表情は魅惑的なほど真剣で、かつ動きは優雅に、アディはある人物の部屋を目指す。
***
天子の揺籃ルネは硬い地盤でできた、人間業とは思えない不思議で神秘的な空間だ。
構想を練るにしても、実際に空間を造るにしても、天才的な知力と柔軟な労力と勢いが必要なのが見て取れる。
ただ穴を掘るのでさえ難しいというのに、明らかな余裕が感じられるのはそこかしらの支柱に美しい彫刻を掘られているからだろう。
そんな高級な外観と、天国のような居心地の良さが貴族の心を捉えたのがこの空間。
中間層の高級宿泊所に興味を持たず通り抜けて、一番質素な暗い空間へ入って行くアディ。
風が通るのか、廊下を照らすロウソクたちが揺れる中、アディは薄暗い一つの扉を叩いた。
「……なんですか? ア、アディルメル様ッ? わざわざこんな所へ何用で?」
部屋から出てきたのは執事のバネット。
どうやらこの周辺は使用人の部屋らしく、小部屋が連なって配置されている。
「バネットよ。仕事が終わってないだろう今、どうして部屋にいるのだ?」
行動を探るための言い訳を聞き出そうとするが、思いもよらない出来事がアディを惑わす。
「あら、アディお姉さま? どうされましたの、こんなところ滅多に来ませんのに?」
「エ、……エレン、ツェ?」
アディが通った廊下からトコトコとやって来たのは、驚くことにエレンツェ。
「お、お前こそ、……どうしてここを通る?」
「ふふふ、実はアディお姉さまが珍しくこの部屋に繋がる廊下を歩くのをお見掛けして、驚かせたいと思いまして機会を伺ってましたの。大成功で嬉しい限りですわ!」
まるで子供のような、無邪気な笑顔でアディを見るエレンツェ。
アディを慕う、普段のエレンツェが目の前にいる。その事実がアディを冷静にさせない。
「私は部屋に忘れ物をしたので折り返しただけですよ。まったく、アディ様は心配性ですね」
エレンツェとバネット。
この二人の言動がアディの確信を固めていく。
「さぁ、アディお姉さまの書斎に向かいましょう。ここにお姉さまは不釣り合いですわ」
エレンツェの眩い笑顔につられてか、バネットは穏やかに笑う。
柔らかな時間が流れているこの現状、アディは大きな違和感と危機感しか感じられない。
まるで何事もなかったように、無駄に笑顔を振り撒いているのだから尚の事。
だからと言って何の証拠もないまま憶測にしかならない発言をすれば、本物のエレンツェや急に消えたランディの安否にも関わるかも知れないのだ。
明らかに怪しい二人に囲われて、アディは自身の書斎へと戻される。
まさに牢獄へ連行される罪人のように。
最も最悪な方向へ陥るこの地獄は、アディにとって耐えられない現実が心を阻んだ。




