第十一章 悪夢の瞬間②
「緊張しているのね、クレス……」
まだ未成年のクレスの身体に、自身の身体を重ねようとするエダン。
この愛を確かめられるための、エダンの唇がクレスの唇に重なりそうな瞬間、エダンはキュッと目を瞑った。
〈バチィィイイィイィイイィン!〉
突然の衝撃に、エダンは一瞬何が起きたか分からない。
ただ間違いないのは、脳がグワングワンと大きな音が内に響いて揺れ動く感覚と、側頭部に激しい痛みを伴うことだろう。
「く、くれ、す、……おま、おまえ……ッ!」
ガルガ宅で品定めしていたあのフライパンを右手に握って、勢いよくエダンに直撃させたクレス。
薬を加えた酒に酔って、意識が朦朧としていたはずの、弱々しい彼の姿はどこにもいない。
「悪いな、俺には酒も薬も効果はない」
「なッ? わ、わた……、し、だま……、し、た……」
会話の途中で事切れたエダン。
クレスには体内に物体を出し入れできる祝福の複合的な能力で、金属ではない衣服も体内に内蔵できるだけに、酒や薬物なども容易に体外へ振り分けることなども朝飯前。
ただ薬物に関しては、後々利用出来ると判断して体外には排出しなかったようだ。
クレスは金属は当然、毒物、劇物、異物と体内で所有できる高度な能力も持っている。
金属に混ぜられている異物や、致死量に値する毒物に対しても無限の抗体を作り、身体に浸透させては細胞を集約させて、再び繋ぎ合わせる事も可能なのだから。
早々に気絶するエダンから離れると、クレスはこの部屋を隈なく詮索する。
ガルガから聞いた、日頃の不正の実態を証明できる確実な証拠を見つけるためだ。
ただエダンの不正を突き詰めると言うことは、エレンツェたちの立場も危うくするということ。
「どう足掻いてもエレンツェらの足を引っ張るなら、アンタの不正を暴くまでだな」
すぐにこの部屋を捜索すると、拍子抜けするほどわんさか出てくる証拠の数々。
あまりの杜撰さに呆れたほどの。
「まぁ基本、意識喪失にされる場だから、油断していても不思議ではないか……」
酒の度数が高く、薬物が相乗効果になって依存度も高まる品物であることから、この場で一体何人の人間、つまり男性が犠牲になったことか、想像するだけで悪寒が走る思いだ。
「お、アゼレッダ国王との密約の書類も残ってるな。国家ぐるみのズブズブの関係かよ」
問題はこれをどこで、どうやって公表するのが効果的になるか、だ。
もちろん公開しない選択もまだ残っている。
「流石にこれらは俺一人では判断が難しい。帰ってアディかガルガにでも聞くか」
数多くの証拠を手にクレスはこの部屋から出ようとするも、礼拝堂にはあの厳つい男達が見張りをしている。
様子が明らかに普通でない見た目から、クレスはある存在を思い出す。
「なんだ? 支配人が言ってた精神搾取を施された奴か。地獄で何度か、見覚えがある」
この部屋に退路はなく、衝突は避けられない。
「一、二、三……、いいだろう、肩慣らしだッ!」
〈ガッ、コッッッン!〉
体内から長剣を抜き出して豪快に扉を蹴ると、臆することなくクレスは堂々と姿を現した。
大きな音に反応して、この緊急事態にクレスを捉えた男達は、脇目もふらず、クレスだけを見て一斉に駆け出す。
クレスの懐に到達する目前、男達のその姿を別の生物に変えて。
「ふッ……、ざけんなよぉッッッ!」
覚悟が決まっているのもあるが、小さな頃から鍛錬に励んでいたのだろう、その太刀筋にブレない。
一瞬で血潮に染まる神聖な教会。
しかしそれだけでは済む訳がない。
血は色を変えて、緑の血飛沫が舞い踊るのだから。
多くの犠牲者を生み出した場所だ、この光景こそが最も光り輝く。
「なるほどな、アンタらが俗にいう完全体って奴らかよ。間違いないか答え合わせしようぜ!」
余裕たっぷりなまま挑発するクレスに、死を恐れない既に人間でない者達は、強い殺意を放ってクレスを害するためだけに他の考えも及ばず、ただ力の限りを尽くす。
クレスは完全体を見るのも相手にするのも初めてだ。
支配人の下で勉学に励んだその成り立ちに大いに関心を抱き、直情的な意味も含めてか、クレスの口角が右に少し上がった。
***
〈ガリ、ガリッ…、ガリガリッ、ガリッ……〉
ずいぶんと太陽が落ちた頃、アディとの会話から浮上した不穏に対して、ありとあらゆる可能性と方法に想像を膨らましては、無理があると切り捨てる作業を頭の中で繰り返すガルガ。
「言葉を、心の声に耳を傾ける方法は存在している。しかし……、」
ガルガが推考するそれは、神に等しい者にしか許されていない〈パンドラの箱〉。
「心の声を聞くにはそれ相当の条件と犠牲が伴うはず。一介の人間にそんな……」
最初こそ気軽にあり得ると思ったものの、ピンポイントで、有ろうことか異端に向けてだけ聞けるなどと、そんな都合の良い話、現実にあってたまったものではないのだ。
「一つあり得るなら、同胞が加担している可能性だ。一番有力だろうが、一体、何のために?」
簡単な作業を行う傍らで、答えを貪るように頭をフル回転させて模索する。
それでも納得できる答えは見つけられないまま。
そんな中、休憩を挟むためにキッチンに移動したガルガの耳に届いたのは、玄関をガリガリと引っ掻く音だ。
〈ガリガリッ、ガリッ……〉
「なんだ? 野良猫かな?」
音の小ささから子猫が逸れたのかと、怪しむことなく扉を開けた。
「ギャーォオ!」
「ラ、ランディ君じゃないか! アディさまは? アディさまはどうしたんだい?」
一度挨拶を済ませれば、小さな体をくねらせてガルガの家へ踏み入れるランディ。
何かを辿りながら探しているようで、キッチンを調べたと思えば鍛冶場に赴き、一周回ればすぐこの場を離れる。
早々に外へ出たランディの動きを見て、ガルガはあることに気が付く。
「君はもしかして、クレス君を探しているのかい?」
「ギャーォオ!」
まるで正解と言っているかのように、ガルガの言葉に反応した後、その場に止まる。
「一緒にクレス君の所に行きたいのか! 少し待って、支度をするよ!」
この時ガルガは不安を隠せない。
ランディ一匹で行動している事実が、アディの身に何かあったと言っているようなもの。
片手に鈍器を持って、すぐに家を出てランディの後を追った。
***
ランディが尻尾を振って止まったのは、代々聖女エダンが所有する立派な教会。
「私の鍛冶屋を通るすぐ傍の協会じゃないか。……クレス君の身に何かあったのかい?」
「ギャーオ!」
何かしら不穏を感じ取って、ランディだけでは解決できないと判断でもしたのだろうか。
ガルガの玄関でガリガリと引っ掻く行為をしない所を見る辺り、敵の気配に戸惑っている。
「ッ! 鍵が開いているようだね」
呼吸を正して、教会の中へゆっくり侵入しようとするガルガたちは、驚きの光景を見た。
「こ、これはッ! クレス君、大丈夫なのかい?」
山のように積まれた男達の上で、クレスが一人佇んでいる。
緑の体液を身体に纏って、異様な匂いが漂う中、徐々に息を整えているものの、その目はまだ血に飢えているように見えた。
「な、なるほど、この不穏な匂いからランディ君は私を呼んだね。しかし、それにしても……、」
礼拝堂は残酷なほど豪快に緑の血飛沫で汚れている。
男達に至ってはもう人間ではない故に、その身体は燃えるように小さく、燃やされたように軽く、その形を失くしていった。
「数字持ちがこれほどとは。頼もしくもあるが、……恐ろしくもある」
怖いぐらい感心しながら、クレスのこれから待ち受ける未来を思うと、目を塞ぎたくなる現実がガルガの感情を押し上げる。
これを見て自身の苦難など所詮、序の口と理解できたからだ。
「クレス君、もう敵はいないよ。だから普段の君に戻るんだ、ランディ君もいるんだから」
「ラ、ランディ……?」
「ギャーォオ!」
ランディは次々と消えていく男達の山を駆け上り、クレスの許へ近寄る最中、突然細胞を分散させる。
早々に再び細胞を引き寄せると、赤子のホワイトライオンのとても小さな身体は、ある一人の人間の形を作った。
「クレスさぁああんッ!」
「へ?」
「は?」
突然のことで硬直する二人を他所に、人間化したランディはホワイトライオンの時と変わらず、クレスの身体に自身の身体を擦りつける。
まるで母親を慕い、すり寄る幼子のように。
「わ、分かった、分かったからランディ。……とりあえずお前、服着ろよ」
現状、『ここに女の子がいなくて良かった』と心から安堵しながら、クレスの発言にガルガも深く頷く。
***
「で? お前は何のためにここまで来た?」
「そんな他人行儀な! いつものように優しく頭を撫でて下さいよ、クレスさん!」
「……俺は今、その過去を猛烈に後悔してるッ」
まるで黒歴史とも言わんばかりに、どん底まで落ち込むクレス。
「そんなぁ! やっと人のカタチになれたのにぃ! あんまりですよ!」
「まぁまぁ、二人共落ち着いて……」
ランディが服を着ながら、クレスが着替えながら、お互いの感情をぶつけ合う。
ただガルガが良い仲立ちをしてくれたことで、この後すぐに本題へ入ることが出来た。
「あの、実は、エレンツェ姉さんが憑依されてしまって……」
「エレンツェがッ? 何でそんな重要なことさっさと言わねぇんだ!」
あまりの驚きでクレスは思わずランディの胸ぐらを掴む。
クレスの反応を分かっていたからこそ、ランディは付け加え重要な補足を言い足した。
「ま、まだ、エレンツェ姉さんの意識は残っています! 完全に消えたわけではありません!」
「おまッ、お前、……一体何を見聞きしたんだよ?」
「実はあの後……」
アディとクレスがルネから脱出した後、ランディの身に起こった出来事を、少々言いずらそうにしつつも全てを話す。




