第九章 英雄グラーム・アゼレッダという人物①
「ううッ……、はぁ、はぁ、はっ! どこ、ここッ?」
石造りの冷たさを全身に感じて、両腕を拘束されて倒れたままのエレンツェが目を覚ます。
身体中に感じる猛烈な痛みに我慢して、今いる場所の特定に神経を尖らせた。
見たところ、ここは牢獄そのもの。しかしルネには牢屋らしい牢屋は存在していない。
それもそうだ。
罪人はすぐに闘技場に駆り出され、貴族の暇つぶしの玩具になるのだから。
ならばこの牢獄は一体どこの施設なのか。
周囲はルネのような隅々まで整った空間とは百八十度異なり、壁はデコボコで湿り気が強い。
「これは天然の洞窟? ということは、私はまだルネにいる可能性が高いということだわ。ならばこれはアイリーンの仕業? 相変わらず用意周到で狡猾な男ね。つッ、痛ッ!」
アディのためにも、自身の脱出を課せられるが、現状、エレンツェの首から下は酷い打撲痕で、すぐに動くこともままならない。
せめて手首の縄を緩めようと必死に藻掻く。
そんな中で考えたくもなかった、意識が消える前の、腐り切った経緯を改めて彷彿とさせる。
「分かっていたことだけど、こうも容易くあの人が私たちを売るなんてね……」
あの軟禁された空間から解き放たれるために、英雄グラーム・アゼレッダの子孫と明らかにしたエレンツェだが、それが逆に足を引っ張る形となった。
エレンツェとランディを恐怖で支配した母親は、アイリーンとの口裏を合わせてエレンツェの出自は明らかな嘘と言い放ったのだ。
まず間違いなく、金が目に眩んだ故にだろう。
その後は見ての通りの結果。
「こんな暴挙、到底許されるものでもなければ、屈するものでもないわッ」
エレンツェは常に怯えていたあの頃の、何も知らない少女ではないのだから。
「アディお姉さまはどうしたかしら。……私のために早まった判断をしなければいいのだけど。あのクレスがついているだけに多少期待はしても、この不安は消えそうにないわね」
エレンツェはクレスの言動の正当性を高く買ってはいるが、そんなクレスに感化されて、アディ自身の身分を危険に晒す可能性が高いと読んだ。
アディにはこの国の在り方を変えたくても変えられず、誰かに背中を押してもらって少しの勇気を貰える瞬間を待っている、そんな精神的に追い詰められた状態と、エレンツェが一番よく理解しているのだから。
「まだ私には利用価値が残っているはずです。その間になんとか……、くッ!」
両手に絞められた縄を必死に解こうとするが、流石に苦戦する。
この牢屋のような環境の存在自体がアディの監視を掻い潜り、ルネに秘密裏に造られた背景があったとするのなら、より早くアディたちと合流する必要がある。
相反する相手はアディが想定する以上に狡猾なのだから。
そんな焦りがエレンツェの心を突き動かす。
擦れる手首に鞭打って両手を縛る縄を解こうとするが、そう上手く行くはずもなく、編み方が弱いことから小さな藁が手首に刺さることで痛みが激しく、窮屈なものになる。
しかしそれだけ質の悪い縄なのだ、もがき続ければ解ける可能性はまだ消えていない。
全身の痛みにも耐えながら、エレンツェは必死に手首を動かし続けた。
「ア、アイリーンは今、一体誰に憑依しているのッ、ここは、闇がッ、深すぎるわッ!」
アイリーンの気配は感じても、接触は死を意味しているとエレンツェの感が騒いでいる。
痛みを焦る気持ちで緩和させてより急ぐ。
今のエレンツェに嘆く時間は存在していない。
手首が赤く染まっても懸命に手首を動かすと、少し緩んだのか、痛みが少し引いた感覚を逃さない。
第一難関突破からより慎重に手首を動かして、遂に両手の自由を手に入れる。
「痛ッ……、」
痛々しい手首を見るも、暗くて正確な判別はできない。
ただどこからか通る少しの風にも敏感なことから、手探りで出口の方向に目星を付ける。
「風の通り道はあっても、私が通れるだけの隙間があるとは思えないわね」
とても風通しは良いことから、どこか奥の洞窟に押し込まれたというよりは、比較的外に近い場所で、断崖絶壁の目と鼻の先と予測できる。
隠し扉を探して、暗い周囲を隈なくどこか外れそうな箇所を調べるも、今のエレンツェに残された余力は少ない。
藻掻いた手首の痛みから、両腕が小刻みに震えているのも分かる。
それでもエレンツェは最後の力を振り絞った。
***
アゼレッダ王国は、移民受け入れに熱心な国だ。
断崖絶壁に国を構える特殊な小国ルネとは友好関係を表向き銘打ってはいるが、実際は厳しい法整備と罪状の多さで奴隷を大量に生み続けてルネへ強制移送させるという、ズブズブな関係を確立させてる。
つまり、人身売買が多く横行している非常に危険な国の一つ。
そんなアゼレッダの街中に足を踏み出した二人だが、クレスは当然声を上げた。
「ここ、俺が最初に辿り着いた街だ! 無銭飲食してルネに移送された所で間違いない!」
何とも分が悪い表情で、当時の状況を説明したクレス。
最初こそ不条理とおかしさに頭を捻ったものだが、こんなカラクリがあったのなら、もっと抵抗すればよかったと悔しさが残る。
「両国間で毎日平然と賄賂が横行する国だ。真面目な商売などあったものではないぞ」
「……商売は小金稼ぎで、密告が本職か?」
「そうだ。人一人差し出すだけで大家族でも優に一ヶ月は豊かに暮らせる」
ゴミ一つない綺麗な街並みを歩きながら、アディはなかなか残酷な現実を話す。
「聖女が崇められる国で、よく、そんな……」
「フッ、あの〈聖女エダン〉を前にすれば、お前なら卒倒しそうだ」
「な、なんだよ、何をそんな楽しそうにッ」
クレスを揶揄って、思わず笑みがこぼれるアディ。
そんなアディの様子に一時の安心を得るも、本番はここからだろう。
「で? これから王様にでも会うつもりなのか? どう考えても無謀と思うが?」
「……何のために私が町娘の格好をしていると思うのだ?」
「あ、ああー……、なるほど」
活気ある街から外れて、ひっそりとした人気の少ない森の近くへアディは赴く。
途中大きく立派な教会を避けたことから、クレスは声を張り上げようしたが、この国の在り方を思い出して周囲を見渡した後、ひそひそと耳打ちした。
「アディ、聖女エダンの行動を偵察するんじゃないのか?」
「その必要はない。エダンに関しては全てを把握している。大体、お前には事前に言ったはずだろう。『会わせたい人物がいる』と」
静かな通りを歩いていくと、目の前の古めかしい鍛冶屋の玄関にガタイの良い男が一人。
「アディさま、お待ちしておりました」
鍛冶屋と言うだけあり、服は所々煤で汚れている男だ。
「ガルガよ、待たせたな、彼奴は04だ、安心してくれ」
「数字持ちですか! 珍しい、なるほど、これが……、ほう! ふむッ!」
実に物珍しそうにジロジロとクレスを見て回るガルガは、その見た目と行動から優しそうな好漢の印象が全面に押し出されている。
「あッ、すまないね! つい珍しくて。さあ、中へ入って下さい。少々小汚いですが」
謙遜しがちな雰囲気で中に招待するガルガ。
やれどんな店かと期待して入ってみれば、ビックリするほど金物製品の展示の少なさから、質素な店に思わずクレスは二度見してしまう。
「ハハッ! そんなにビックリしなくとも。大丈夫だよ、調理器具から武器までたんまり貯蔵しているから。国の治安上、展示できなくてね。君が希望するなら話の後、案内するよ」
「な、なるほど、そうか……」
店に入ってすぐのテーブルを囲んで、即、アディが本題を話す。
「単刀直入に言う、エレンツェが捕まった。早急に救う必要がある」
「え? エレンツェちゃんが? ……ランディ君もですか?」
驚きふためきつつも、その深刻性を問うガルガ。
話し方を聞く限り、いつかは起こり得る可能性を予感していたのだろう。
なぜならあの優しそうな印象からは想像できないほど、ガルガは真剣な顔つきになるのだから。
「いや、ランディはクレスによって肉体を二分化させた後だ。今はそれぞれ一個人として行動している。しかしこのままだとエレンツェの命はない。……永久にな」
アディによって紡がれる言葉が、クレスの心を突く。
「わ、悪かった……。俺が、俺がエレンツェを見殺しにするも同然の行為をしたんだ……」
全ての原因は自身と、罪悪感に苛まれるクレス。
エレンツェに対する後悔ばかりが先立つ。
「……言い方が悪かった。私はお前を責めていないし、エレンツェも責め立てるようなことは思っていないだろう。そう自分を責めなくてもよい」
いくらアディの訂正を聞こうとも、エレンツェの生命線を切ったのはクレスだ。
どんなに後悔してもしきれない、間違ってはいけない過去なのだから。
「クレス君と言ったかな? アディさまにこの国の歴史と経緯についてまだ何も聞いていないのだろう? この国の根幹に関わる重要な話なんだ、是非最後まで聞いてい欲しい」
ガルガの鋭いまなざしを見て、ゆっくり頭をコクリと頷くクレスの合図から始まり、過去の選択を悔しがるような表情で衝撃的な話を紡ぎ出す。




