第七章 女王陛下としての選択①
「あ、アイリーン?」
アディの告白でエレンツェとランディの出生を知った中、要注意人物として、アディは妙な敵の名を挙げた。
敵のイメージがまったく掴めないことで、クレスの頭は混乱を来す。
「アイリーンとは我々に共通する因縁の敵。あの地獄の支配人も手を焼くほどの人間だ」
「し、支配人がッ?」
支配人の名が出てきたことで、ついにその強さのバロメーターが振れる。
亜空間、つまりは地獄での支配人の存在は桁違いだからだ。
そんな支配人の管轄をすり抜けることが可能な人物と聞けば、不謹慎とは言え、クレスのアイリーンに対する人物像に対して、膨らむばかりの飽くなき興味は尽きない。
「お前の今までの立場では仕方ないとはいえ、そう期待を込めるものではない。今、エレンツェの命は奴が握っている。奴がこの国を牛耳る限り、私の命令などあって無いものだ」
国を動かす立場にあるアディが自身の無力を公言できるほど、アイリーンという人物は相当危険人物と流石のクレスも認識し始めることで、改めて気を強く引き締めた。
「で、そのアイリーンって奴はどの役職だ? とにかく高位なんだろ?」
「……私がお前とランディ以外を傍に寄せ付けないのは、なんのためだと思っている?」
「? ま、まさか《誰もがアイリーンになれる可能性がある》、ということか?」
「察しが良い。支配人の傍に居ただけのことはある。アイリーンとは同じ属性の肉体……、この場合、人間に憑依して肉体を意のままに操れる、厄介な能力を保持しているのだ」
未だ見ぬアイリーンの能力を想像して、クレスのベースに出てきたのは、支配人の姿。
「つまりは地獄の支配人クラスの超人が、この国に潜伏しているという認識で良いか?」
「力はそれほど強くはないが、如何せん、非常に頭の切れる人物だ。加えて底なしの強欲さを持ち合わせており、残酷非道な行為に対してことを成すに一切の迷いがない奴よ」
アディの話し方、目線の落とし方に加え、より複雑になる心情の隠し方。
すべてにおいてアイリーンが強敵であることを示唆している。
そんな危険人物の行動を予測すれば、最初の標的になるのは、ただ一人。
「大変だ、……エレンツェが危険だッ!」
道が完全に遮られた孤独の中、敵に囲まれた苦境のエレンツェが格好の餌食となるのは自然な流れ。
すでにエレンツェも死を自覚していることだろう。
下手をすれば、ただ死を迎えるだけでは済まされない事態に発展する可能性もある。
「お、俺がエレンツェを助けに行く! 元はといえば俺がエレンツェとランディを別個体にしたせいで、エレンツェを孤立させてしまったッ! 俺のせいだ、全部俺のせいだッ!」
後悔という言葉では済ませられないクレスの想いは、行き場のないこの場で大いに混乱を来たす。
あの時、確実にどちらかが拘束される運命だった。
その未来をエレンツェは自ら買ってくれたのだ。すべては中途半端な正義感が生み出した、クレスの失態というのに。
「そう熱くなるな。力こそがものを言う地獄と、心を噛み砕いて無理に納得しなければならない現実とでは、死に様も生き様も異なるものよ。まずお前はその駆け引きを知る必要がある」
勢いだけで口走る今のクレスの暴走は、本人だけならまだしも、誰のためにもならないもの。
「しかし、何もせずただ時間が過ぎるのを待つのは性に合わない。例え後悔しようが、黙っているより絶対に良いに決まっているッ!」
「まったく、クレス、お前は何も分かっていない。結局、誰もが必ず地獄へ落ちると思っているのだろう? その地獄すら辿り着けない者が数多くいる現実を知っているのか? 後悔とは二度と戻ってこない、取り返しのつかない事態のことなのだぞ!」
まだ世界のすべてを知らない、心が未熟なままのクレスを一喝するアディ。
地獄で幼少から長く暮らしたせいで、命の尊さも重みも感じられない、無鉄砲なクレスの感情に疑問を呈した。
「……そう言うことだ? 一体、どういう意味だ? え、エレンツェは仲間だろ?」
「エレンツェは、《妖精》なのだよ」
「へ? よ、妖精? なんだ、それは……?」
アディの言う《妖精》とは、主に曾祖父母、祖父母の血から生まれる隔世遺伝の総称。
以前、フレイがグアンに打診した出生だったが、結局グアンは妖精ではなく、グアンは至って純粋で純潔な同胞の一人だった。
しかし今回の事例に関しては、恐らく正体不明の英雄、グラーム・アゼレッダを曾祖父に置いたのかはまだ判断できない段階だが、非常に純度の高い同胞であるエレンツェとランディを一つの肉体にして、世に生まれたことを可能にしたと見る。
そう、子孫となれば、かたや聖女と謳われ、かたや女神と噂され、ちやほやされただけのただの普通の女の体内で生命を宿して生まれてしまうのだから。
「どう足掻いても与えられた環境は、最悪を抜けれないということか……」
「そう言うことだ。産まれて間もなく、我々は敵だらけの中で幼少期を過ごすのが宿命だ。……が、クレス、お前のような例外も極稀にあるがな」
「うッ……」
アディの指摘に思わず身が引いたクレス。
「ま、まぁ、それは分かったが、エレンツェたちと妖精の何が深刻な問題になるんだ?」
いまいちピンと来ないクレスの様子から、どうやらあの地獄の支配人はクレスに能力の全てを、一番肝心な真実を教えていないという事実を悟る。
支配人が何を思ってクレスに伝えなかったか、その判断も困難なもので、故に残酷な現実をアディの口から発する義務が生じてしまった。
「クレス、お前はエレンツェとランディの遺伝子を別個体に解放しただろう?」
「あ、ああ……」
「あれは〈純潔〉であるランディと、〈不潔〉であるエレンツェを完全に分断させたことで、エレンツェは遺伝子の多くを人間属性へ染めたのだよ。つまりはエレンツェは今世限りの命だ」
「……は? どういうことだ? ま、まさか、存在が抹消されてしまうのか?」
ただ呆然とアディの言葉の意味を噛み締めて、多くの疑問と頭の混乱で硬直するクレス。
「何を思ってかは知らんが、支配人はお前の能力の長所と短所も教えていないと見て話すが……、」
アディの言葉はクレスの頭を更に混乱させる。
あの地獄での楽しく暖かな思い出と記憶が、一瞬で冷たい地獄に塗り替えられるような、大事な思い出が一瞬で目の前を真っ暗に変えた瞬間を知るのだから。
支配人との微笑ましくも優しかった、絆が大きくひび割れて。
「……妖精といった人間の遺伝子を取り除く施術を行える人物は、《この世に二人しか存在しない》という特殊な条件と事情がある。クレスよ、お前はその貴重な二人の内の一人なのだよ」
「そ、それは……、じゅ、純潔と不潔とはなんだ? どういう意味なんだッ?」
あまりの混乱から、思わずアディを問い詰める。
「……純潔とは我らの血を受け継ぐ者のこと。不潔とは人間の血を含んだ不完全な者のことだ。ただ不潔を言葉のまま否定的に捉えてはいけない。血を混在させたことはどう足掻いても降り払えない運命と意味し、生まれた瞬間からの不治の病ようなものと認識している。エレンツェはそれをより多く含んだ、我々にとっても救済の可能性が低いあまりに不完全な存在だ」
アディの言葉はクレスの世界を木っ端微塵に壊していく。
「支配人は、……知っていた? 分かってて、……こんなッ! 俺はッ! こんなッ……」
信じていたものはすべて嘘だったのか、信頼を寄せていたのは自身だけだったのか。
あまりのショックから顔は青ざめ、目を見開いたままブツブツと呟く。
「クレス、エレンツェはいずれこうなる運命だった。天命とも言える。彼女はそれをよく理解していたよ。強い子だ、だからきっとお前がそこまで傷つくことを望んではいない」
「な、ならば人間属性であるのに、毒されてないエレンツェがどういう原理で生まれた?」
「エレンツェは人間の身体に異端の魂を有した。突然変異からランディの欠片がエレンツェの体内に組み込まれてしまったのだよ。それ以外にもエレンツェはランディを弟として大切に接していた。互いに信頼を築いたことで、皮肉にも少ない異端の魂も育んでしまったのだ」
「それは……、それはエレンツェが一個体として覚醒したということか?」
「そうだ。肉体こそ共有はしているが、身体の仕組みは全く異なる別個体だ。……性別までもな。元々混在する要素は無かったはずが、エレンツェの異端としての心があまりに強い。が、相当無理をしている。変異を引き起こすまでにな。きっと多くの葛藤があったことだろう」
気高く高貴なエレンツェの凛とした佇まいは自信に溢れていて、内に秘める辛さや葛藤、苦しみは全く感じさせなかった。
ただいくらクレスを上手く騙したからと言って、そんな重大な危機的状況に気付けなかった、自身の危機感の無さには心底うんざりしているようだ。
「じゃあ俺は今、エレンツェのために何ができるんだ? ただ手をこまねいて傍観しろと?」
自身に対するどうしようもない後悔から、自然と首に浮き出た04の刻印。
「……熱くなりすぎるな。激情に駆られていては、何をしても上手くいかないものだ」
爆発するばかりの理性を失ったクレスに対して、冷静さを引き出すようアディは言葉を選んで鎮火させる。
アディも運命だからと安易にエレンツェを切るわけもなく、運命に抗う戦いを間近で見てきたのだ。
クレスが思う以上に、間違いなくアディは誰よりも苦しんでいるはず。
つまりこれは生死が存在する以上、いつか必ず起こるものと断言できる不幸な事故。
いくら悔やんで悲しんでいるだけでは、根本的な解決に至るはずがない。
ならば積極的に、かつ迅速に行動を起こすのみで、クレスは静かに意気込んだ。




