第六章 マディソの第七王女エレンツェ②
「帰ってきたか、クレス」
まるで噂を辿ったかのように、事情はすべてお見通しと言わんばかりの表情で、開口一番、まずは無事帰還したクレスを労う。
「アンタは何を隠している? またヒントも与えず自分で考えろとか判断しろとか言い出さないよな? エレンツェとランディのことも、解決方法を知ってて黙ってただろ?」
「よく理解しているではないか。私の言いたいことをほぼ代弁してくれて礼を言うぞ」
冷静沈着を崩さず、茶を飲みながら感謝を伝えるアディの態度がクレスの癪に障る。
「そりゃどうも。俺も長年、支配人の傍で何も考えず毎日を過ごしていた訳ではないからな」
「そう怒ることもなかろう。状況は困難、関係は欠落、成果は無益。まったく、上手くやれ」
「……な、なんだ? なんのことだ?」
未熟な行動に大きな溜息をつくアディは、未だ理解不能なままのクレスにヒントを出す。
「エレンツェを一人残しただろう。彼女はなんとしてでも共に連れ出すべきだった」
「ま、まさか、……エレンツェを人質にされたとでも?」
「私の可愛いエレンツェは創建以来から動いてくれていた、ただ一人の間諜だ。明確な証拠を提示されては、これからは我らの出方次第で死も生も選べない状況を強いられるだろう」
「そ、それは……。まさか拷問されるかもしれないと?」
今になってエレンツェの不自然な仕草が頭を過る。
絶望で青ざめるクレスの表情を見たランディは、流石にこの状況と深刻な雰囲気を察知してかクレスを慰める。
「あ、アディがこの国の女王陛下でルネの権力者なんだろ? アンタなら止められるはず!」
「一見すると決定権が私にあるように見えるが、数で責められてはどうすることもできない。この国は金による懐柔が息を吸うことと同じように横行している。客人であるはずの貴族達と我が物顔の使用人どもが固く手を組むこの状況、象徴に過ぎない私の意見など何一つ通らぬ」
「そ、そんな横暴な……」
「ただエレンツェは立場上、遅かれ早かれこうなる運命だったのだ。過去に囚われ自分を責めすぎるな。再起は図れる。ことを成したければ今は前だけを見よ」
アディの言葉で意気消沈するクレス。
そんな悔しそうに俯くクレスを赤子のランディが膝に前足を置いて、無邪気にじゃれる。
小さな体で普段の大好きなクレスを取り戻そうしているのだ、ランディは。
「エレンツェといい、ランディといい、一体何者だ? アンタは何を隠している?」
疑いの目、というには少々切実で、迷える子羊のようにアディからの真実を求める。
「……いいだろう。真実を知って己を知るいい機会だ」
多くの困難を知って、多くの窮地を脱して、多くの泥水をすすって。
アディはクレスが経験で勝る相手ではない。
厳しい現実を突きつけて、アディはエレンツェとランディの秘密を明かす。
***
「まったく、この状況は立場と地位を考えても、あまりに無礼ではなくて?」
急遽、軟禁を強いられたエレンツェ。
外の扉には兵士がそれぞれ厳重に見張る中、時折監視にくる女中頭に対して、息の詰まるこの状況に文句の一つでも言いたくなるこの環境。
「エレンツェ姫、貴女さまはもうただの客人ではございません。様々な疑惑に対して複数の容疑が掛かっています。今後は私の言うことに素直に従い、大人しくして頂けないのであれば罪を認める行為と判断します故、今はどうか安易な行動だけは慎み下さいませ」
「……様々な疑惑と容疑とは何のことですの? 一体私が何をしたと?」
怪訝そうに眉を顰めるエレンツェとは対照的に、余裕の笑みで見下し始めた女中頭。
「それは貴女さまの胸に手を当てて、真摯にご想像しましたらご理解頂けますことでしょう?」
エレンツェに向けられた悪意と憎悪。
強硬手段も厭わない意思を全面に押し出して、今すぐにでもエレンツェを害そうと、あの手この手と手法を変えて、罪を植え付けようとする。
この状況では流石にアディは頼れないと踏んで、ここぞとばかりに畳み掛けているのだろう。
「エレンツェ姫、いや、エレンツェ。化けの皮が剥がれているのは理解できているか?」
丁寧語を止めて、女中頭が吐いたのは、エレンツェを完全に見下した言葉の数々。
「常々おかしいと思っていたんだよ。エレンツェ、お前が貴族でない証拠は揃っている」
「……貴族でない証拠、ですって?」
「登録したマディソの第七王女との記録、すべて偽装だろう? 実際にマディソへ使者を遣わし、確認された。マディソには第七王女は実在しても、エレンツェと言う名の姫はいないとな」
マディソは遠く辺境の地に擁する国。一日中馬を走らせても、よくて片道一週間は掛かる。
詰まらない執念だけで人と時を消費しただけでも腹立たしいと言うのに、激しい敵意を一方的に向けられては、流石のエレンツェも黙っていられない。
一度目を瞑ると、ゆっくり目を開け、細めて笑う余裕を見せた。
「当然ですわ。私、マディソの第七王女ではありませんもの」
「認めたな! 貴族に対する詐称に屈辱、断じて許せぬッ! 死して償えッ!」
「あら、私が貴族ではないなどと一言でも申したかしら? 私の出生を調べたのなら、もっと重大な事実が浮き彫りになるはずですのに?」
長い髪の毛をクルクル指に絡めながら、余裕綽々で発言するエレンツェ。
「こ、この気に及んで一体何をッ!」
「……《アゼレッダ》。貴女、隣国アゼレッダはご存じで?」
「ハッ! まさかこの場に及んでアゼレッダ王国の血筋とでも言いたいのか?」
見え透いた嘘とエレンツェを愚弄する女中頭だが、ある記憶が女中頭の脳裏を掠めた。
その瞬間、女中頭の表情はどんどん青ざめる。
「あら、お分かりで? そうですわ、私は《英雄グラーム・アゼレッダ》唯一の子孫ですのよ」
英雄グラーム・アゼレッダ。
この近辺で最も凄惨と言われる先の戦争で、最前線で指揮をとりながら多くの功労と功績を成した、別名《紅い天使》と呼ばれる伝説になった人物だ。
なによりこの英雄の型破りなところは、極力死者を出さない戦いで勝利を掴み、敵対した国同士の平和協定の参加はもちろんのこと、両国の復興にも尽力して親睦を深めた 文武両道の戦士だった。
しかしながら常に紅い鎧を纏っていたため、素顔も分からず、本名すら名乗らず、素性の知れない人物でもあった。
そんな謎多き人物は、両国が復興の波に乗った機会にある日忽然と消えたのだ。
そんな恩恵を受けた民は、彼を称えるため、敬意を込めてグラーム・アゼレッダと命名したのが始まり。
長く仲違いを続けた両国の平和を象徴するように、それぞれの国名を掛け合わせた名で。
そんな中、小国グラームは元々洗練された精鋭揃いではあったが、数年で自然衰退を迎えていたところ、吸収合併という形で和解したアゼレッダ王国の援助もあり、事実上の友好国として名を連ねたことで、英雄グラーム・アゼレッダの功績は更に大きいと言われている。
「え、英雄グラーム・アゼレッダは伝説と謳われる人物だぞ! お前にそんな証拠どこにっ!」
「あら、彼が唯一残したモノはとても有名な話だと思ったけれど、……お忘れ?」
英雄グラーム・アゼレッダは、ある置き土産を残してその姿を消したのだ。
まだ生まれたばかりの、玉のような女児を。
通常なら孤児院送りになるが、英雄グラーム・アゼレッダとの唯一の繋がりであり、平和の象徴ともなる赤子だ。
高貴な身分を望む住民は多く、崇高な女神的存在として最も位の高い、聖女として地位を与えられたのはこの周辺では有名な話。
そんな彼女も後に子孫を残した記述もしっかり残っており、追って調べれば簡単に家系を辿れるようになっている。
「しかしッ! お前はッ!」
「確かに私はマディソ第七王女と銘打ったわ。でも一介の王女か、伝説の聖女か……。後々面倒事に巻き込まれることも、貴女の言う通り色眼鏡で見られてあらぬ噂が立つことも考えると、恐ろしくて事実を隠してしまったの。それに関しては反省しているわ、ごめんなさい」
真摯な謝罪を受けて、女中頭はこれ以上の反論ができない。
だからと言ってエレンツェを自由の身にする気も毛頭ない。
どの選択が有利に事が運ぶのか、どう動けば正解になるのか、あまりに判断が難しい状況で、現状維持を保つまま、今一番有効と言える選択は一つしかない。
「口先だけでは判断できない。出自は調べる、真実が判明するまで軟禁は継続するッ!」
この真実に納得できない気持ちの表れか、扉を閉める音は乱暴で、怒りに満ちていた。
「……どう調べても、これは逃れられない真実ですのに」
まるで本来の身分こそ毛嫌いするのように、俯いたエレンツェの表情は悲しそうなままテーブルの縁をなぞり、その先にある椅子にゆっくり座ると、窓から見える景色の方角へ静かに首を動かす。いつも見ていた素晴らしい絶景は、今日だけ沈んで見えた。
しかしエレンツェには感傷に浸る時間はない。
ある程度心を納得させると、次にすべき行動を考え始める。嘘が平然と飛び交うのが世の中だ。
疑う気持ちは理解できても、何の権限も権利すら持たない一介の女中頭が遠く使者を送り、エレンツェの出生、ただそれだけを調べるためだけの早馬というのは余程の金を積むか、権力を持つ誰かの仕業としか考えられない。
「誰か、ね。アディお姉さまの意向無しに、使者の派遣を要請できるなんて笑える話ね。そんな命令がまかり通るとすれば、あの男しかいないわ」
エレンツェの脳裏に、最も危険な人物の姿が鮮明に映る。




